* WanderLust *=memorandum for me=

blog名変更しました!格好付けて英語なんかにしちゃったりして・・・(笑)新blog名共々、今後とも宜しくお願いします!

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『灯台守の話』

ジャネット・ウィンターソン著/岸本 佐知子 訳/白水社
幼いシルバーは母と2人暮し。崖に斜めに突き刺さった家に暮らしていたから、母は滑り落ちて亡くなってしまった。孤児となったシルバーは、灯台守のピューに引き取られた。灯台には話が付き物と、ピューが語ってくれる幾つもの話。次第にシルバーは、自らも語る事を憶えていく。とりわけピューの話で興味深いのは、町の司祭だったダークの話。二重生活を送るダークの、心の闇を覗き見るシルバー。果たして、彼女がダークの人生に見たものとは?

本屋で偶然見かけて、粗筋を読んでみると中々面白そうだったので借りてみた。私の固定概念として、灯台はドラマ性があるのだ。なんかこう・・・灯台の存在意義が、その外観から与える印象が、特異な生活様式、あらゆる要素何もかもがドラマに繋がる気がする。灯台自身が多くの物語を生み出すとは常々感じて来たし、灯台は、かなり使い勝手の良いアイテムだと思う。だから『灯台』絡みの作品は、何でも大抵面白いはずだという、私の『灯台理論』。
この作品は、雰囲気が3つのパターンに別れていたように思う。まるで児童小説のような語りと精神性を持ったシルバー部分、ゴシック調で主人公の心理状態を深く抉り、物語調の強いダーク部分、この2つの物語を繋ぐのがピューと灯台の存在だ。そして時折、著者自らの語りのような、文学的雰囲気の強いパートが差し挟まれる。何となく、著者の気持ちのままに、描きたいように描いたと感じさせるが、それでも、絶妙なバランスでまとまっているところが凄いと思う。
まず第1には、どん底からの再生と誕生の物語だ。主人公シルバーは何も持たず、何も与えられず、結果的に文字通り『自らの力』だけで大人になっていったと言える。シルバーが与えられたのは唯一、『物語る』ことだった。読書中何度も、この話は『著者自身である』と思えた。そしてこの物語の中で、灯台は様々な役割を担い、あらゆる事柄に繋がるものとして形を変える。
そして2種類の、『愛すること』という主題が含まれている。バベル・ダークという二重生活者の、ただ純粋なる男女間の愛。シルバーが得る事になる、人生における様々な『愛』。愛し方と、その愛の行方を追う姿勢の違いが、交差し、突き放されつつ語られるシルバーとダークの物語の、結末の大きな違いを導き出したのだろう。
私は単純だから、いや違うか、単にロマンチストだから(笑)、ダークの物語により興味を惹かれた。ダークの持つ二面性、それゆえに人間らしいと思える男ダーク。奇麗事ばかりではなく、シルバーのように屈託ないままでもいられない。あらゆる人に備わっているだろうこの二面性を、率直なまでに表現してしまったダークの苦悩、なんとも魅力的な男に感じた。
最も私の心に強い印象を残したのは、その言葉遣いの上手さだ。流麗と言うほど華美ではなく、女性的と言い切るほど甘ったるくも無いのだが、非常に綺麗な言い回しをする作家だ。単純な描写に於いても、時折はっとするほど印象的な文章に仕立てていて、文学作品に特有の回りくどい描写を感じさせない、私にしては珍しい感想だが、非常に音楽的な文章を書く人だと感じた。
不協和音から始まって、徐々に融和を見せる交響曲のような流れ、最後には主旋律だけが静かに残り、爽やかさと一抹の切なさを残す、印象的で綺麗な結びへと運んでいく。短いが満足の行く時間を過ごせた気持ちになる、優れた作品だった。

灯台守の話灯台守の話
(2007/11)
ジャネット・ウィンターソン

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| 読書【ドラマ】 | 23:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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話題の2人?この勝手な見解(笑)

現在行われているカンヌ国際映画祭。私の苦手な映画祭(笑)。いやいや、ここ最近は、結構好みの作品が選出されたりしているので、個人的注目度も増している。
さて今回、フェルナンド・メイレレス監督の『ブラインドネス』がオープニング作品とコンペ部門で参加。18年ぶりとなる、オープニング作品の日本人参加が話題になっている。しかし・・・日本人参加というだけなのに、日本のマスコミの騒ぎようは・・・如何なものかと。日本人が主役の映画と勘違いしてしまいそうな報道、必死だな・・・。

しかも、記者会見に於いて話題の2人が、『一切日本語を使わなかった』とニュースに載る。ううむ・・・、世界で活躍する多くの俳優達は、例えどこの国出身でも英語くらい話せますってば。スポーツの世界でもそうなのだが、日本人は世界を舞台にしていても、語学が追いついていない場合が多い。日本の英語教育の薄弱さを感じると共に、私自身も、英語も話せないのに海外にのこのこ出かけていくので、偉そうな事は全く言えない(笑)。

さて、木村佳乃さん。私この方好きです(笑)。デビューした頃から、知的な感じの美人だなぁと思っていた。あの、達観した雰囲気も結構好きだ(笑)。確かドイツ生まれとか、話題になっていなかったか?帰国子女扱いで、語学能力の話題は兼ねてからあった気がする。その演技は余り見た事はないのだが、確か結構落ち着いた演技をする方だったような?狂騒的な芸能活動とは一線を画し、順調に女優としてのキャリアを積んでいる印象のある方だ。
対する夫役の勢谷友介さん、以前から、実は、この方の話を日記に書こうと思っていた・・・。いえね、あのガムのCM。あれは酷いよね、名前よりあのCMの印象が強く残っている方、多いのではないだろうか?以前会社で、『ガムのCMに出てる口臭い人』と言ったら秒速で理解した友人。以来ずっと『口臭い人』と言ってしまうが、母に言っても、通じた。
しかぁし!時折DVDの予告編集で見かける彼の演技は中々良さそうな雰囲気で、あのCMはいまいちだが、良く見りゃ結構男前。こちらも、周囲の雑踏は気にせずに、確かな道筋を目標を持って歩いている、といった印象だった。その彼が、米国留学していたとは、なるほどね。
そんな訳でこのお2人に関しては、知的そうな印象とそれを裏付ける根拠、加えて、周囲の騒ぎには乗じないマイペースさがあるような気がしていた。自分の求めるものがはっきりしているのかも知れない、選択の正しさも、それを証明しているのではないだろうか。

前回が余りに酷すぎたせいか、今回は出るべくして出た日本の若い力、という気もしている。とは言え前回だって、河瀬直美監督が『殯の森』で審査員特別大賞を受賞しているし、同監督はやはりカンヌで、10年前にカメラドールを受賞しているというのに、、、、サルだとか弁護士とか大きい日本人とか、騒ぐ場所が違うのよね。。。

さてさて、そんな話題のお2人は、私生活でも話題を提供されているそうで。交際が発覚!?良いじゃないですかぁ。余りゴシップには興味が無いが、こういう、才能に惹かれあったような若い2人を見ていると、なんだか無性に羨ましくなる(笑)。
先に書いた勝手な見解から、非常に似たところのある2人のように感じるのだが、道理の解った真っ当な大人という雰囲気も、また好ましいのだ。頭のネジが数本足りないような若いカップル(中年もたまにいますよね)が、お茶の間を騒がせる事には全く興味が無いが、こうした理知的なカップルが話題になることには興味がある。お互いそうして高いところを目指すと言うのも、なんだか微笑ましい・・・いや、羨ましい・・・。
とにかくこの2人なら、日本の演劇界を多少は世界に認知させられる、有望な存在になってくれるのじゃないか?と、勝手に期待しつつ(笑)、更なる活躍をお祈りしている。
それにしても・・・同じ道を志すその姿勢、才能が呼応する関係・・・羨ましいなぁ(しつこい?)

| 2008年§5月§ | 23:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『ナルコ』

〔仏〕NARCO (2004年)
監督:トリスタン・オリエ/ジル・ルルーシュ
脚本:ジル・ルルーシュ
ギョーム・カネ/ザブー・ブライトマン/ブノワ・ポールヴールド/ギョーム・ガリエンヌ /フランソワ・ベルレアン/ジャン=ピエール・カッセル/ヴァンサン・ロティエ/レア・ドリュッケール/ジル・ルルーシュ/オネル・アベランスキ/フィリップ・ルフェーヴル

見た目は普通の青年のギュスは、過度のストレスを感じると一瞬で眠ってしまう、『ナルコレプシー』という病気を患っていた。まともな仕事には就けないので、子供の頃から得意だったイラストの腕を活かして、頻繁に陥る夢の話をコミックにしようと思い立った。そんなギュスを嘲笑する妻のパムだったが、通っていたせラピーの医師ププキンは、彼の画の才能に嫉妬して意外な行動に出たのだった。それをきっかけに、ギュスの眠れる精神までもが目覚める事件へと発展する。

ほっほう〜?という感じ(笑)。良い意味でなのか悪い意味でなのかは自分でも解らないが、フランスらしくない作品だった。こちらも良いのだか悪いのだか解らないが、イギリスっぽい作品だったかな。まるきり発展性の感じられない自堕落さが特に、要するに嫌いじゃないよ(笑)。
まずG・カネが観たかったのね、何でか?というと、いつもこの方を想う時、スコット・カーンとパトリック・デンプシーが混ざって出てくる。早いところ剥離してあげないと!と思っていたのだが、『戦場のアリア』とか『世界でいちばん不運で幸せな私』とか、G・カネ以前にダイアン・クルーガーとかダニエル・ブリュールとかマリオン・コティヤールとか、もっともっと気になる俳優にもって行かれちゃって、やっぱりスコット・デンプシー(パトリック・カーン)のままで・・・。
で、今回、主役、出ずっぱり、、、、う〜ん、良いんじゃないか?ちょっと印象の薄い役者だけど、長い息で祖国で頑張りそうな感じ。なんと言っても『童顔』で、なんだか釈然としない顔立ちなのが、微妙さを増長させるのかしら?しかし、この映画のために太ったのかな、あのお腹は・・・?
童顔ついでに触れさせていただくと、妻パム役の女優、年食いすぎですから。お母さんですか?というぐらい歳の開きを感じる14歳差。G・カネが若く見えるから、なお更違和感が。フランスって・・・、いやヨーロッパ映画って、こういう詳細には余りこだわらないよねぇ。
もう1つ観たかった理由は、日本公開時に、強烈な直感で『面白そうだ!』と思ったから。何でそう思ったのか?とか、そういう理由はほとんど無い、ただもう直感。たまにこういう直感が記憶に衝撃を与える事があるのだが、その直感が『当たるか』というのは、また別のお話ね。
今回は当たったと思うなぁ〜、思う・・・自分で自分に問いかけてるのだが(笑)。ちょっとイギリス風のブラック・(排他的)・ユーモアをやりすぎちゃったかな?というクドさは感じたが、展開としては面白かった。物事の発端は良いのだが、まとめがいまいち、だったかな?と言うところ。
ハリウッド風を気取っているのか風刺しているのか、強引な展開はそれなりに融合していたとは思うのだが、逆に、フランスらしいエンディングのドライさが浮いてしまった感じでもあった。やるならやる!という潔さが感じられなくて、どこか小奇麗にしようというのか、似た映画と一線を画したいのか、それが裏目に出ちゃった感が否めない。
・・・面白かったんだけど(笑)。どこか掴み所の無い雰囲気の作品ではある。単純なバカらしさとおふざけに、一抹のシリアスな結論が欲しい方にはお薦めかも。ところで私、ジャン=クロード・ヴァン・ダムがフランス語を話しているのを始めて聞いた(笑)。ベルギー出身の彼、フランス語は母語になるのかな?こういうベタなギャグが、解る人にはツボな作品だと思うのよ(笑)。

ナルコ!ナルコ!
(2008/04/23)
ギョーム・カネ

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ぽすれん『ナルコ』紹介

| 映画【コメディ】 | 23:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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文章を書くこと

日本語教師になるための、日々の勉強法の続き(笑)。
先日の日記に色々書いたが、最後に1つ、取って置きの『勉強法』があったのだ。
それは、『日々、自分の考えを文章にするようにしましょう』というもの。他国語を学ぶ人達は、常に頭の中で文章を組み立てる。それに勉強の過程において、文章を作らせるのは正攻法だと言う。人に文章を書かせる前に、自分が文章の書き方を学べという事らしいのだ。
何も文学者になろうと言うわけではないので、『自分の考えを』という辺りに、ポイントがあるらしい。日記を付けるのも、良い方法なのだとか。ますます良いじゃないか、やってるじゃないか!ほぼ毎日!HPの頃から数えたら、5年ほども続けている。もちろん子供の頃から毎日、日記をつけている方には叶わないが(笑)、初めて、『やれる!』と思えた勉強法が出てきた(笑)。
1つ気になるのは、『起承転結の作り方、文章(=言葉)の繋がりなどを考えさせる』という指南があった事。実はこの『起承転結』を考えるというのが、子供の頃から苦手でして・・・。確かに学校で習った憶えもあるのだが、何しろ子供の頃からせっかちで、構成などを考える以前に、『書いてしまいたい』というタイプだったのだ。だから私の文章には、いつでも『起と結』はあるが、『承と転』が無い様な気がする・・・。せめて始まりとまとめぐらいは、あるように・・・・してる(笑)。

今もその方式は一切変わらず、考えると同時に文章に起こし、一気に、だぁ〜〜〜〜っと、書いてしまう。途中何度か手を止めて、これまで書いた分を精査しつつ進め、出来上がってからもう一度読み直して、言葉遣いや文法、文章の繋がりのおかしな部分をまとめて直すのだ。
一番修正を加えるのは、この長さ。思いつくままに一気に書いてしまうので、とにかく出来上がると長い。blogに更新する分でも長いが、実際はもっと長いのだ(笑)。多い時には半分くらい削る。アホですね。思いつくままに書くので、読み直してみると、それこそ恐ろしく下らない事も沢山書いてあるので、削るのは簡単なのではあるけれど。
しかし削るとその分、文章の繋がりがおかしくなる。仕方なく言葉を変えたり、並びを変えたりしていると、段々と違った文章になってしまうのが恐ろしい(笑)。似たような内容の繰り返しを省くための方法を捜したり、言い回しが冗長に繋がりそうなバランスの悪い言葉を、簡潔に示せる単語を探したりもする。会社で書いていると(笑)どうしても途切れ途切れになるので、自然と読み直すことが多くなり、この修正作業が頻繁になる。

こうした修正、いわば校正作業も、かなり重要だという事が書いてあった。『自分の書いた文を何度か読み直して、修正を加えるようにしましょう。読み直すと思いの他、文法や言葉遣いの間違いが見つかったり、おかしな文の繋がりになっていることに驚くはずです』・・・私はほとんど毎日驚いていますよ、自分のアホな過ちに。
意図的に違った言葉を使ったり、言い回しを変えたりするのも有効だそうで、これは、文章を短くするために日々私がしている試行錯誤と当てはまる。これが、違った文法でも意味が同じという状況を説明するのに役立つそうだ。
こうした間違いや精査作業を通して、文章を書くことの難しさや重要性を肌で覚えれば、『自分も苦労した』という思いに繋がり、慣れない作業をする人の身になって考える手助けにもなるだろう。日本語教師の教材が繰り返し言っていることの1つには、『解らない人の身になって、同じように考えられる人になる』というのがある。これはもう、『人として』生きる上で、重要な考えだと常々思っていたものだ。しかしいざとなると、それも中々難しいのが実情なのだが。

これまで何度か、イヤ、実は結構頻繁に、全く何の足しにもならないBlogなんてやっていてどうする?と思った事があった。文章を書くのは好きだし、自分の考えを整理するのに、私の場合は役に立つ。それに、映画や小説の記憶術でもある。
それにしたって余りに不毛だ!と、繰り返し思ってしまうのだ。特に、自らの人間性の矮小さを思い出した時など、やたらと痛烈に自己批判したりする。全く、こんな愚にも付かないblogのネタ書きに時間を使って、それなら他に、もっと実りのある事も出来たろうに!と自分を責める。恐らくは、このblogのネタ書きが、私にとっては大分『現実逃避』に近いものだからなのだろう。
しかしこれからは、『勉強』だから仕方が無い(笑)。こうして、無駄に書いて来たと思っていたものに、思わぬ意味を見出せるとは、なんとも嬉しいことなのだ。かなり都合よく解釈してるなぁとは、自分でも思うものの、それだって良いさ、だって、『勉強』なんだもん!

| 2008年§5月§ | 22:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『ダーウィン・アワード』

〔米〕THE DARWIN AWARDS (2006年)
監督:フィン・テイラー
脚本:フィン・テイラー
ジョセフ・ファインズ/ウィノナ・ライダー/デヴィッド・アークエット/ジュリエット・ルイス/トム・ホランダー/ジュリアナ・マーグリーズ /タイ・バーレル/ティム・ブレイク・ネルソン/クリス・ペン/ジョシュ・チャールズ/マックス・パーリック/D・B・スウィーニー /ルーカス・ハース

血を見ると失神してしまうマイケル・バロウズは、サンフランシスコ警察では優秀なプロファイラーだった。しかし、連続殺人犯逮捕で失策を犯したマイケルは、警察をクビになってしまう。新しい仕事に選んだのは保険会社。雇用に際して、おかしな死に方をした人達を称えるインターネットサイト『ダーウィン賞』の再調査を願い出る。自らのプロファイリング能力を駆使して彼等の動向を検討すれば、多額の保険金が節約できるだろうと踏んだのだ。かくして、特殊ケース担当の調査員シリと帯同して、全米に散らばるダーウィン賞候補者の再調査に向かったのだった。

なんだかですねぇ、かなり無理矢理な展開の物語だった。話の導入部分からしてかなり強引。ただねぇ、その無理矢理感が、不思議と良い感じなのだ(笑)。あくまでも、話の主題は『ダーウィン賞』と『プロファイリング』。奇妙な死に方をした人、不可解な事件を起こした人、そんな人達の動向の真意を、才能あるプロファイラーが探っていくという面白さが先決。
基盤として、マイケルとシリの保険調査の旅がある。加えて、調査対象の物語がオムニバス作品のように、テンポ良く組み込まれていく。こちらのパートも、奇妙な結末を迎える道程を、語り部となるマイケルの解説付きで、順序良く追っていく冷静な目線が面白い。
結果として、話がちぐはぐな方向へ走ってしまうのは致し方ないと思えるし、全体としては不自然に感じられる連続殺人犯に関わるエピソードも、有り得べきパートだと思える。実際あのエピソードが無かったら、四方八方に話が飛ぶ、取り止めが無いだけの映画になってしまっていたろう。
ダーウィン賞にとり付かれ、狂信的なまでにリスク回避を実践する男マイケルがおもしろい・・・。飄々としているようで、単に世間と上手く融合できない、ちょっとばかり壊れ気味の中途半端な主人公の存在があるから、この映画がいささかバランスが悪くても面白いと思える。
大分以前に『リスク・コンサルタント』が主人公のミステリ小説を読んで、リスクを統計や想定に基づく精神構造などから論理的に解釈し、それを回避する手立てを講じるという面白さを知った。以来何となくそういうことには興味がある、プロファイリングもまたしかりだ。
自分だけは、そんな単純な統計の枠には収まらない!現実は想像よりバラエティに富んでいる!と息巻いてみても、所詮は何かしらの基準に当てはまってしまうのかも知れない。個人的には、大変興味深い話題だった。
さてさて、実はこれ、結構役者が豪華!そうでもない?いや、そうでしょ?(笑)。全部書くときりが無いので(笑)、主役2人にまで端折ります。まず、W・ライダーがめちゃめちゃ可愛かった。いやむしろ、こんなに可愛かったっけ?と考えてしまうぐらい可愛かったわぁ。妙に素に感じられる笑いの間、個人的にはこの方のコメディセンスはかなり好きなのだ。
そして、『キリング・ミー・ソフトリー』の原作(『優しく殺して』)を読んで、映画化されると聞いて楽しみにしていたのに、主役の美形さんの役を演じたJ・ファインズ。『なんだこの下睫の長い気持ち悪い男は!』という反感から始まって、当時大好きだったレイフ・ファインズの弟だと!?似とらん!と反感は更に強まり、『恋に落ちたシェイクスピア』を観てあっさり恋に落ちたJ・ファインズ(笑)。
そもそもシリアスなイメージのあるJ・ファインズが、コメディ?しかも冴えない男の役とな?最近ではすっかり恋も冷め、どうも忘れがちな役者だったのだが、そんな面白そうな役なら絶対見なくちゃダメじゃない!と、大分前から楽しみにしていたのだ、DVD化されて良かった♪
いや〜、面白かったわ。あの顔だからなお更、こういうもさ〜っとした役が面白い。しかも真面目な顔して大真面目に演じるから更に面白い。あのJ・ファインズが、、、吊られてたよ、、、お風呂で・・・。ああ、面白かった。そのくせふとした瞬間が格好良いから、ズルイよねぇ〜。ズボンの裾がツンツルテンでも格好良いなんて、やっぱりズルいよねぇ(笑)。
とにかく少しばかりつかみ所の無い映画で、フィルムの粗い質感と良い、雑な感じの演出と良い(これにはちょっとした理由があるのだが)、インディ風作品でもある。好みによって意見が大きく分かれそうな気もするが、個人的にはかなり気に入った作品だ。

ダーウィン・アワードダーウィン・アワード
(2008/04/25)
ジョセフ・ファインズ、ウィノナ・ライダー 他

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ぽすれん『ダーウィン・アワード』紹介

| 映画【コメディ】 | 22:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『アイ・アム・レジェンド』

〔米〕I AM LEGEND (2007年)
監督:フランシス・ローレンス
原作:リチャード・マシスン
脚本:マーク・プロトセヴィッチ/アキヴァ・ゴールズマン
ウィル・スミス/アリシー・ブラガ/ダッシュ・ミホク/チャーリー・ターハン/サリー・リチャードソン/ウィロウ・スミス/ダレル・フォスター/エイプリル・グレイス/ジェームズ・マッコーリー

無人化したN.Yの街中に、ただ1人の人間となって生きるロバート・ネビル。彼は、3年前に発生したウィルスにより破滅した人類の、数少ない免疫保持者だった。軍隊の科学者でもあったロバートは、日光に弱く、凶悪な暴力性を発祥するウィルスの治療法を研究するため、ウィルスの発生源である地に留まっていたのだ。

基本的にホラーは見ない、サスペンスも正直苦手だ。製作者側の意図を完全無視して、時々堪え切れなくて早送りしてしまう不届き者だ。ではなぜこの作品を見たのかというと、『世界でたった1人生き残った人間』というプロットと描き出しに興味があった。しかし大変恐縮だが、R・マシスンの小説作品が余り好きではないので、原作を読むのは論外だった。たった1人の世界を、いかに映画として見せてくれるのかにも興味があったので、映画で良いかなぁ?と(笑)。
一部本物の街中を利用して撮影されたと言う『廃墟N.Y』、あの映像は凄かった。その他でも、細かいディティールに凝ったリアル感が随所に見られ、ありえない状況だからこそ生まれる、詳細な部分の不自然さや違和感もほとんど見受けられなかった。
ただねぇ、ラストに続く一連の流れから、急に『物語』としての不自然さが目立ち始めた。主人公の理性が1度崩壊するのは解るのだが、持ち直してからが不自然なの。偶然の出会いも違和感があるし、彼等の行動も不可解だ。リアルにウィルスによる破壊を描き、細かいディティールに凝った割には、急展開のラスへ持ち込む構成が不自然なのよ、もう全体が不自然。だからラストには、上手くまとめたなという思いはあれど、なんとなく物足りない気持ちが残った。
と思ったら!!!なんだ、『(最初に撮られた)衝撃の別ラスト』があるのね。そちらをご覧になった方の意見を見てみると、『初期のラストの方が良かった』という意見が多い。もしかしたら、良かれと思って劇場版ラストは綺麗にまとめたのに、実際には想定外に不評で、ならば!と最初に撮影した別バージョンを慌ててDVD収録にしたのかも?なんて(笑)。
と言われても、DVDを買うほどの興味は無く・・・いやウソ、観たいけど、もんの凄く観たいけど、DVDを買うのは悔しい、この手の映画を手元に置く趣味は無い。いや〜、でも気になるね。やはり様々な意見を考慮すると、断然『別ラスト』の方が良いように思えてきた。
いずれにしろ、原作も読まずに何なのだが、想像していたラストとはちょっと違ったのだ(笑)。結局ロバートがウィルスを滅亡させ、侵されていた人達も健康体に戻り、彼らを救ったロバートが伝説になる、という話かと・・・勝手にね。ただ良く考えたら、あんなに獰猛な患者にどうやって薬を与えるのかと・・・、普通の病人みたいに、おとなしく腕まくってくれないものねぇ?
さて最後だが、W・スミスがやはり良かった!愛犬サムも愛らしく、犬だけが『生きる』相手として心の拠り所なのが見て取れる。マネキンに語りかける、普通なら怪しいこの行為も、強烈な孤独感が溢れてくるようで切なくなった。普通の演技では中々表現する事の無い状況、想像すら付かない世界を演じたと思うのだが、ロバートの感じたであろう心情はしっかり伝わってきた。
果てしなく続く静寂、無限とも思える恐怖と絶望、日常の生活では決して得ることの無かった、想像を遥かに超えた孤独な世界。新薬を見つけるという情熱に縋り付き、ギリギリの所で正気を保っていた事だろう。それでもきっと、壊れていく自分を心のどこかで意識していて、しかもそれを、押し留める気力すら日々奪われていく。決して増える事の無い思い出、日々薄れていく愛する人との繋がり、ああ、想像するだに恐ろしい。W・スミスの瞳には、そうした悲しみが確かに宿っていたと、私には見えたのだが、果たして?(何故か自信ない(笑))。
全体的にサスペンスフルな構成で、様々な感情や状況にじわじわと『追い詰められる』事を見せてくれた。CGを駆使してのあらゆる映像は迫力があり、静寂と戦いのコントラストが印象深い作品だった。別のラスト・・・観たいなあ。。。

アイ・アム・レジェンド 特別版(2枚組)アイ・アム・レジェンド 特別版(2枚組)
(2008/04/24)
ウィル・スミス、アリーシー・ブラガ 他

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ぽすれん『アイ・アム・レジェンド』紹介

| 映画【戦争・アクション】 | 23:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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勉強方

そんな訳で(笑)、私は今『お勉強』に僅かな時間を割いているわけだが、とにかく本当に何が何でもとことん、私は勉強が苦手なのだ。要は、『効率が悪い』タイプらしい。学生時代から、テストのヤマを張るのがとにかく苦手で、万が一にもヤマが当たったところで、『ああ、、、そういや勉強したはずだなぁ?』程度しか記憶が蘇らないのだ。
ノートの取り方なども良く解らなくて、黒板丸写しが精一杯。勉強が良くできる子のように、マーカーを引いたり色取り取りに華やかに、構図良くバランス良く見やすいノートって、どうやったらできるのだろう?といつも羨ましかった(笑)。

とにかく効率の良い勉強方法が解らない、記憶するにも、きっと効率の良い方法があるのだとは思うのだが、私には解らない。正しい方法が1つあるという断定的なものではなくて、個々人に合った勉強方法と言うのがあるのだろう。私の場合は、何が適しているのか?
私が目指す、日本語教育能力認定試験。出題範囲は恐ろしく広範囲で曖昧だ。幾つかの教材や指南書を当たってみたが、大方は、『日々の暮らしの中でアンテナを張って、日本に暮らす外国人のこと、世界情勢に関してのニュースを学ぶように』と説いている。勿論日本語の文法の再確認は大切だが、主にアジアに向ける興味を深るというのが、とても重要な要素なのだ。
かつてレストランやホテルで働いていた時に、多くのアジア系の方とご一緒した。日本語も英語も話せなくてコミュニケーションに困ったりもしたが、大抵の方は驚くほど早く日本語をマスターされて、毎日の生活に役立てていた。

高校生の頃に一緒に働いていた中国の女性は、子供を国の親元に預け、勉強のために日本に来たと言っていた。彼女の作ってくれた餃子は本当に美味しくて、当時日本しか知らなかった私に、世界は本当にあるのだ!という、素朴だが強い興味を掻き立てた。
そんな彼女も、天安門事件を堺に急遽帰国してしまった。そんな時代だった。その事件の情報を職場に持ち込んだ彼女の動揺、それに続く慌しい帰国、世界では、大変な事件が起きているのだと、無学な私の脳裏に強く焼きついた。
別のホテルでは、台湾の留学生の女性。明るく元気な彼女は、驚くスピードで日本語をマスターして、更なる目的のために旅立っていった。お世話になった皆様にと、彼女がくれた美しい刺繍のある小さな袋、異国の匂い漂うその思い出の品を、今も私は大切に持っている。何よりも、彼女の高い志が素晴らしいと感じた。如何なる状況であろうとも、明るさと気概を持って大らかに挑む彼女は、まだ若かった当時の私に、大きな感銘を与えたのだ。
長く働いていたレストランでは、中国人の一団が皿洗いを担当していた。皆家族のように仲が良く、片言の日本語で良く私達と話をしていた。勤勉で、明るくて、とても良い人達だったのに、ある日突然、集団で消えてしまったのだ。理由は、不法就労発覚による強制退去だった。
前日の夜に笑顔で手を振って別れ、翌日出勤したら彼等はいなかった。それほどあっけなかった。大きなレストランの皿洗いが総勢で消えた後の混乱は筆舌に尽くし難く、彼等の労力の大きさを思い知ると共に、国境を越える事の難しさ、必ずしも人と人との繋がりだけでは守れない、生活や尊厳という事に、酷く理不尽な思いがしたものだった。

こうした人達を手助けできればと、薄ぼんやりと私の頭に去来したのは大分前の事。この他にも多くの外国人の方と一緒に仕事をしたりしたが、良く言われたのは『あなたは良い先生ね』というもの。文法の事など良く解らないが(笑)、彼等の素朴な質問が面白くて、いつもそんな日本語談義をしていたのだった。『ペラペラ』ってどういう意味?『あの“おばさん”とあなたは言うが、あれはあなたの伯母さんなのか?』。そんな他愛も無い質問が、どしどし持ち込まれるのだ(笑)。
何か解らない語法や単語があると、私のところに質問に来る人が多かった。曰く説明が解りやすいと褒められたが、手前味噌でお恥ずかしいのだが、それなら!結構良い先生になれるんじゃないの?という、余りにも楽観姿勢で始めたこの目論見(笑)。
今では様々な要因がひしめき合っているが、かつて私が出会った多くの方々、子供だった私に、僅かでも世界を見せてくれた人達に、少しでもまた近付きたいと、そんな思いがあったりする。良く『日本語教師』というと、欧米人に教えるという理想を持っている人が多いと聞くが、私の場合は、その辺りだけは的確に、現状を把握していたようだと一先ず安心。
しかし・・・正直言ってしまうと、アジア系の歴史、情勢などは大の苦手、何しろ日本もその範疇に入ってしまうぐらいだから性質が悪い。新聞でも購読しようか?と思ったが、耳を澄ませてみれば、日本語教師に絡みそうなアジアのニュースは、驚くほどに多い事が判明した。
ネット、ラジオ、テレビ、それだけでも、かなりの勉強の手助けになってくれそうなのだ。

他に日本語教師になるための日々の努力としては、常に正しい日本語を話すように注意し、正しい書き順を意識し、特にひらがな、カタカナが正しく表記できるように心がけよ!と言うもの。話すのも、単に美しい文法や言葉遣いというのでは無くて、正しい発音を心がけるのだそうだ。
特にアナウンサーの話し方を研究し、真似するようにすると良いらしい。確かに英語でも、話し手によって聞き取り易い人、聞き取りにくい人と極端だが、その極端さは、私が『日本語耳』だから顕著なのだと思う。『韓国語耳』『中国語耳』『フィリピン語耳』の人達に、的確に伝わる日本語を話せなくてはならないのだ。はて、やたらと早口な私、発音は如何なものだろうか?
私自身、英語が出来なくて、海外に行った時に様々な困難に出くわした。その時の事を思えば、こうした指摘はなんとも適切だと思わざるを得ない。以前アイルランドのツーリスト窓口で貰ったメモは、ミミズがのたくってるようにしか見えなくて、結局島へのツアーは断念した。英語も聞き取れなければメモも読めない、待ち合わせの場所が理解できなかったのだ(笑)。
これは英語圏の人でも読めないだろう?と思ったのだが、アメリカの方に聞いたらあっさり『読める』と(笑)。長年の慣れとはこういうものなのかと思うと同時に、染み付いてしまった感覚は中々治らないものである。この点、今後は注意して過ごしたいと思う。
こうした経験を糧にして、普段日本人として日本で暮らしていると見えない、『当たり前が当たり前ではない世界』を再認識する、これも勉強。なんだか少し、面白くなってきた。

| 2008年§5月§ | 23:24 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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『牧羊犬シェップと困ったボス』

マージョリー・クォートン著/務台 夏子 訳/創元推理文庫
ボーダー・コリーのシェップは、青色の血統書を持つ優良な牧羊犬だ。牧場主のボスは頑固で凡庸で単純な男だが、シェップは心から愛している。そんなボスが競技会熱に取りつかれたから大変!羊を追って楽しく暮らしていたシェップの毎日は、競技会の為の練習の日々と化してしまった。しかし才能あるシェップは瞬く間に優勝犬に!アイルランド西部の田舎町は大賑わいだ。ボスに似た素朴で愉快な奥さん、ボスの子供のマーティン、ボスの友人達、そしてシェップの仲間達が繰り広げる、朴訥で爽やかで最高に愉快な、アイルランドの牧場のお話。

いや〜、もう最高だ。牧羊王国とも囁かれる(笑)アイルランドの牧場のお話だ。語り部はシェップ、そう、犬だ♪自らも牧場を経営し、ブリーダー業もしているという著者が描くのは、本当に犬が語っているかのような(笑)、犬の習性を巧みに絡ませた物語だ。
犬たちが飼い主を、『愛さずにいられない』という姿はなんとも微笑ましい。頑固だが、結局それは実直な田舎育ちの証のようなボス。電話の音に煩わされるのが嫌だからと電話は引かず、TVだって未だ白黒。髭を伸ばせば映画に出してやると言われても、気風良く断るいなせさ。でも、親友を代わりに・・・と言われれば、あっさり髭を伸ばす潔さだって持っている。まずボスが最高だ、こんな男なら、愛さずにいられないのも当然かも(笑)。
ボスの奥さんも、農場の、そしてアイルランドの女性らしく、強く、諦めも良く(笑)。しっかりとボスを御しているのに、それと気付かせない強かさ。ボスの弟ヤンクがアメリカから帰郷したら邪魔者扱いするくせに、またアメリカに帰るとなると大泣きして別れを惜しむ。進歩的なのか現実的なのか、非現実的なのか解らない、全く、ボスとはお似合いの夫婦なのだ。
ボスの息子マーティンは『ロック歌手』を夢見る若者、旅に出ればトラブルまみれのジム・ドーランはボスの親友だ。腕の良い調教師のオブライエンさんは、心根も優しく正直な良い人、マーティンの妻ジュリアと息子PJは災厄のような存在で、ボスとシェップはいつもコソコソ逃げ回る。
犬たちの個性も様々だ。シェップの子供を次々と産む、ピンクの血統書を持つジェス。子犬に対する母性と父性の違いも、犬ならではという様相が見て取れる。シェップがどうしても気にして止まない美犬フルージー、ジム・ドーランの愛犬ベン、シェップの子供で、手に負えない暴れ犬のタイニーなど、犬物語も気を抜けない面白さだった。
思い出すのはやはり、『ジェイムズ・ヘリオット・シリーズ』。ヨークシャーの雄大な自然を背景に、なんとも素朴で愉快な人達が繰り広げる、温かく、そしてコミカルで、人情味溢れる最高の物語の数々なのだが、本作の中にも、ヘリオット先生と同じ匂いを感じて嬉しくなった。
アイルランドの人々に対する印象は、『アイルランドのサッカーファンのファンがいる』という話が礎となっている。彼等の陽気さ、サッカーに対する飽きれるほどの熱意、世を楽しみ、同じ楽しみを持つ人を分け隔てなく受け入れる寛容さ。まさに、アイルランド人のあっけらかんとした大らかさを象徴しているような話だ。細かい事は余り気にしないんだろうな、、、考えないというか?
変化を嫌い、受け入れることが不器用な人達。それでいて、目の前の変化を興味を持って突っついてみる大胆さ。短絡的なのか良い意味で凡庸なのか、その素直さが面白い。ボスが息子マーティンの音楽を受け入れる様がまさにそれで、有名になるなら、何だって良いものなのだ!と本気で信じられる単純さが最高だ。私がアイルランド人に対して抱いていた印象を、そのまま文章にしたようなエピソードの数々。いっそこの架空の農場にホームステイがしたいぐらいだった。
アイルランドにはとかく暗い話題が多い。その歴史を振り返っても、制圧と貧困に苦しみ、痛めつけられた傷跡が生々しく感じられる。しかしだ、そうした基盤からこういう国民性が生まれたのだと言って、過言ではないだろう。その不撓不屈の精神感は、逞しさと共に尊敬すら感じられる。
この愛すべき人達の姿を、上手く表現できなくてもどかしい。もどかしいが、この作品からその姿を読み取る事ができる。こういう明るいアイルランド作品は非常に珍しい、日本では、『アイルランド=暗い過去』という固定概念が強すぎるように思う。本当は、こんなに愉快な人達なのに・・・。と言う事で、1人でも多くの方にこの楽しみを・・・ああ!絶版だった・・・。

牧羊犬シェップと困ったボス牧羊犬シェップと困ったボス
(2005/05/10)
マージョリー・クォートン

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『夜を抱いて』

グウェン・エイデルマン著/雨沢 泰 訳/文芸春秋
出会いはN.Yのとある書店。30歳以上も年上のジョゼフに拾われたキティ。流浪の人生を送り、どこか粗野な印象を抱かせる風貌のジョゼフに、抗いようも無く惹かれて行くキティ。2人の濃密な時間は体によって語られ、その合間に、ジョゼフの半生が断片的に語られる。ユダヤ人として戦火から逃げ続け、安住を女性の体の中に求めた男ジョゼフ。キティは激しい嫉妬と共に、彼の話にも魅了されて行くのだった。

8割は台詞だけで進んでいく形式で、その合間に、台詞では処理しきれない状況描写を紛れ込ませたような、少し変わった作風だ。描写なのか台詞なのか?その線引きが曖昧で、ジョゼフの語りが連綿と続いているような錯覚を覚え、何だか不思議な気分になる。
それ以外でも、不思議な印象を覚える作品だった。まずその描写力。カバー折り返しに著者の写真が載っているのだが、母性愛を感じられる、なんとも朗らかそうな笑顔の著者・・・からは全く想像が付かなかった、激しい性描写にまずビックリ。思わず、解説に飛びついてしまった(笑)。
それでも読み続けていると、時折差し挟まれるそうした激しい描写も、最初こそ予想していなかったから驚いたというだけで、いやらしさや戸惑ってしまうような趣味の悪さは全く感じられない。なので、最初の驚きが冷めてしまえば、全く普通に、物語の流れの中で消化していた。
むしろそうした愛の描写こそ、ジョゼフという男に肉付けをして、人間臭くリアリティのある個性をまざまざと浮かび上がらせる、最も重要な要素だったのだと思う。キティへの愛情を示す他愛もない行動、頬を抓ったり、腿をなで上げたり。例えばもっと露骨な行動や言葉でさえも、ジョゼフの隠された幾つかの人間性を、暗に示しているように感じられるのが不思議だった。
結果、余りにも立体的なジョゼフの影で、キティという聞き役の女性にも存在感が生まれる。だからこそ、この2人の濃密な愛の時間が妙にリアルに迫ってくるのだけど、台詞を多用した親密な雰囲気からか、こちらも一緒にジョゼフの話を聞いている気分になる。本の中に入って、だらしなく汚れたジョゼフの部屋で、裸にローブを羽織っただけの2人の間で、行儀良くお茶を飲みながら、何か期待に満ちた眼差しで話を聞いてる、間抜けな自分の姿が目に浮かぶ(笑)。
この作品のもう1つの側面としては、オーストリアで産まれたユダヤ人の半生の物語だ。第二次大戦で次々と行き場を失い、オランダからイスラエルに渡る。驚くほど人間味を帯びたキャラクターとなって行くジョゼフの口から語られるこの過去の話は、妙な真実味を持って響いてくる。
淡々と悲惨な出来事を伝えているようで、そのほとんどは、彼が通り過ぎた女性に姿を変えて語られる。あたかも、戦争から与えられた様々な苦しみや痛みより、女性との時間の方が重要な事だと伝えたいかのように。そういうジョゼフの口調から、彼の内に秘めた弱さや外側を覆う殻の厚さが見えてくるのだ。脆さとか過去の傷とか、そういう曰く有りがちな事ではなくて・・・人間ってそんなものだよねぇ・・・と思わず呟いてしまいそうな、そんな痛んだ男の姿。
だから物語も終盤に差しかかる頃には、キティがジョゼフに惹かれたのは、その母性からなのではないか?と思えていた。で、こういう男には、そんなぬるま湯みたいな愛は長くはいらないのよね。本当は望んでいるくせに、手元にあると恐ろしくなってしまう。『若くて良い男を掴まえろよ』・・・か、ちっくしょうだな、この男。
そんな訳で、作者の意図ははっきりとは名言されていないが、読了後は堪らなく切なくて虚しくなった。ジョゼフとキティ、2人の刹那的で、常に終焉を感じさせる愛を覗き見した気持ちになって、手が出せない自分にもどかしさも感じた。こんな気持ちは『椿姫』を読んで以来かも。
ラストは詩的な雰囲気で、キティの心情を静かに、しかし鮮やかに描き出して終わる。ある意味では素敵な恋の話。一生を動かすほどの濃密な愛の話だったのだ。ううむ。。。

夜を抱いて夜を抱いて
(2003/07/24)
グウェン・エイデルマン

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学ぶ事の意義

ここ最近、今年の目標にも定めた『日本語教師』になるための勉強をしている。
これまでもボチボチ独学でやってきたものの、遂に己の無学さと広範囲な出題範囲に匙を投げ、10万円近くする教材を買ってしまったのだ。
お金がかかっているから、、、という安直な感情では無しに、今の私には別の動機が、それも強い動機があるので頑張る事が出来る。先ず何より、たとえ検定レベルであろうとも、日本語教師になれる基準を手に入れたいのだ。たとえ高卒という低学歴がネックになろうとも、働く場所は確実にあると信じて、今はやるしか無い。リアルな現実を、ウダウダ悩んでいる余裕は無いのだ。

強い動機というのは、母のこと。40歳で私を産んだ母は、正直、高齢になってしまった。減る事の無い心労のせいか、最近母の体調が悪い。こういう現実を目前にすると、長年考えないようにしてきた『肉親の死』というのを、嫌でも考えてしまう。
母の心労の大半は、お金の事だ。自営業でやってきて、残念ながら生活するのがやっと言う状況だった。今も多大な借金を抱え、年金は夫婦合わせて10万程度。生活するのもやっとな状況なのに、身体は言う事を利かなくなる年齢でもあり、普通なら、旦那の定年退職金やらなんやらで、何不自由なく暮らしていてもおかしくない年齢だ。
勿論子供たちだって立派に自立し、金銭面で援助が出来て当たり前のはずなのに、私達子供は・・・、未だに『子供である』という基準から抜け出せないでいる。派遣を続けて、その日暮しのまま、貯金だって、自分が生きるので精一杯という有様だ。
金銭的援助も当たり前なのだが、親にとっての満足感や幸福というのは、子供が親を乗り越えて、立派な人生を歩む事なのじゃないだろうか?立派でなくとも、世間に恥じない、まともな人生を歩むこと。それは勿論『大人』として歩むことだ。

そう考えると、私は一体今まで何をやってきたのだろうと、痛烈に自分を非難する事しか出来ない。仕事は派遣だし、学歴も無い。この先の人生も、余り発展性があるとは言えない。確かに、自分の生活を削って親を援助する事はできるだろうが、それでは何かが違うような気がした。
世間に顔向けできるような、地に足の着いた仕事を得る。それが何より重要だと思えるのだ。ただ働くと言うのではなく、自分を証明できるような仕事をしたい。そうなって初めて、私は母に『立派な大人になった』事と、この先の安心を差し出す事ができるのだ。
『日本語教師』として、例え非常勤のアルバイトとして教壇に立とうとも、今現在のように、『単なる派遣』でいるより数倍マシだ。母はきっと、安心して私を誇りに思ってくれるだろう、これでようやく、『大人』になった私を見る事ができるだろう。

親と子供の関係は複雑だ。親は幾つになっても子供を心配し、親である事実を守り続ける。子供にしても、親は親であり、精神的に上位に立つことは無いだろう。それでもきっと親は、子供達の生活や人生の安定が、自分達より上位に立つことを望むだろう。それこそが、親が後世に残せる足跡であり、自分たちが消え行く運命だとしても、安心して旅立てる証になるだろうから。
私はこのままでは、母を安心して送り出す事が出来ない。こんな子供のままでは、母を送る事など到底できないのだ。母が母として生きたこの年月を、それでは無駄にしてしまう。私は今の自分を満足だとは思っていないし、世間に顔向けできるとも思っていないのだから。
資格を得、母が誰かに自慢できる仕事に就く。教職が自慢の範疇だと言うのではなくて、これもやはり、『単なる派遣』から、説明できる仕事に就く事が重要なのだ。それに、将来への安心感も増す。母は以前友人に言われたそうだ、『死んでまで子供の心配は出来ないのよ』と。
私は母に、死んでまで持ち込む心配の種を与えている。子供は常にそういう対象ではあるが、年齢だけでも『大人』になったなら、その生活も、実態も、『大人たらん』とするべきで、大人であると言う事は、親に心配をかけない事も含まれる。

これまでは、金銭的援助が何より大切だと思ってきた。でも今は、『お金で解決できない』問題があると言う事を実感している。普通の人が当たり前に与えられる『堅実な人生』を、私は何故上手く差し出す事が出来ないのか?時折そう感じると、無性に自分が嫌になる。
母は今とても、私の夢を応援してくれている。果たして、私に与えられた時間は後どれほどあるのだろうか?たとえどれほど少なくても、思ったよりも多くても、早いに越した事は無い。母が満足して私を見る時間が、その分増える事になるのだから。
だから、必死に勉強する。私が得るのは、単に日本語教師への可能性だけではなくて、母へのプレゼントでもある。お金では決して買えない、母として彼女が生きた、証でもあるのだ。そしてその思いが、今の私の一番大きな原動力になっている。さぁ、勉強だ!

| 2008年§5月§ | 22:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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