『牧羊犬シェップと困ったボス』

2008年05月13日 23:22

マージョリー・クォートン著/務台 夏子 訳/創元推理文庫
ボーダー・コリーのシェップは、青色の血統書を持つ優良な牧羊犬だ。牧場主のボスは頑固で凡庸で単純な男だが、シェップは心から愛している。そんなボスが競技会熱に取りつかれたから大変!羊を追って楽しく暮らしていたシェップの毎日は、競技会の為の練習の日々と化してしまった。しかし才能あるシェップは瞬く間に優勝犬に!アイルランド西部の田舎町は大賑わいだ。ボスに似た素朴で愉快な奥さん、ボスの子供のマーティン、ボスの友人達、そしてシェップの仲間達が繰り広げる、朴訥で爽やかで最高に愉快な、アイルランドの牧場のお話。

いや〜、もう最高だ。牧羊王国とも囁かれる(笑)アイルランドの牧場のお話だ。語り部はシェップ、そう、犬だ♪自らも牧場を経営し、ブリーダー業もしているという著者が描くのは、本当に犬が語っているかのような(笑)、犬の習性を巧みに絡ませた物語だ。
犬たちが飼い主を、『愛さずにいられない』という姿はなんとも微笑ましい。頑固だが、結局それは実直な田舎育ちの証のようなボス。電話の音に煩わされるのが嫌だからと電話は引かず、TVだって未だ白黒。髭を伸ばせば映画に出してやると言われても、気風良く断るいなせさ。でも、親友を代わりに・・・と言われれば、あっさり髭を伸ばす潔さだって持っている。まずボスが最高だ、こんな男なら、愛さずにいられないのも当然かも(笑)。
ボスの奥さんも、農場の、そしてアイルランドの女性らしく、強く、諦めも良く(笑)。しっかりとボスを御しているのに、それと気付かせない強かさ。ボスの弟ヤンクがアメリカから帰郷したら邪魔者扱いするくせに、またアメリカに帰るとなると大泣きして別れを惜しむ。進歩的なのか現実的なのか、非現実的なのか解らない、全く、ボスとはお似合いの夫婦なのだ。
ボスの息子マーティンは『ロック歌手』を夢見る若者、旅に出ればトラブルまみれのジム・ドーランはボスの親友だ。腕の良い調教師のオブライエンさんは、心根も優しく正直な良い人、マーティンの妻ジュリアと息子PJは災厄のような存在で、ボスとシェップはいつもコソコソ逃げ回る。
犬たちの個性も様々だ。シェップの子供を次々と産む、ピンクの血統書を持つジェス。子犬に対する母性と父性の違いも、犬ならではという様相が見て取れる。シェップがどうしても気にして止まない美犬フルージー、ジム・ドーランの愛犬ベン、シェップの子供で、手に負えない暴れ犬のタイニーなど、犬物語も気を抜けない面白さだった。
思い出すのはやはり、『ジェイムズ・ヘリオット・シリーズ』。ヨークシャーの雄大な自然を背景に、なんとも素朴で愉快な人達が繰り広げる、温かく、そしてコミカルで、人情味溢れる最高の物語の数々なのだが、本作の中にも、ヘリオット先生と同じ匂いを感じて嬉しくなった。
アイルランドの人々に対する印象は、『アイルランドのサッカーファンのファンがいる』という話が礎となっている。彼等の陽気さ、サッカーに対する飽きれるほどの熱意、世を楽しみ、同じ楽しみを持つ人を分け隔てなく受け入れる寛容さ。まさに、アイルランド人のあっけらかんとした大らかさを象徴しているような話だ。細かい事は余り気にしないんだろうな、、、考えないというか?
変化を嫌い、受け入れることが不器用な人達。それでいて、目の前の変化を興味を持って突っついてみる大胆さ。短絡的なのか良い意味で凡庸なのか、その素直さが面白い。ボスが息子マーティンの音楽を受け入れる様がまさにそれで、有名になるなら、何だって良いものなのだ!と本気で信じられる単純さが最高だ。私がアイルランド人に対して抱いていた印象を、そのまま文章にしたようなエピソードの数々。いっそこの架空の農場にホームステイがしたいぐらいだった。
アイルランドにはとかく暗い話題が多い。その歴史を振り返っても、制圧と貧困に苦しみ、痛めつけられた傷跡が生々しく感じられる。しかしだ、そうした基盤からこういう国民性が生まれたのだと言って、過言ではないだろう。その不撓不屈の精神感は、逞しさと共に尊敬すら感じられる。
この愛すべき人達の姿を、上手く表現できなくてもどかしい。もどかしいが、この作品からその姿を読み取る事ができる。こういう明るいアイルランド作品は非常に珍しい、日本では、『アイルランド=暗い過去』という固定概念が強すぎるように思う。本当は、こんなに愉快な人達なのに・・・。と言う事で、1人でも多くの方にこの楽しみを・・・ああ!絶版だった・・・。

牧羊犬シェップと困ったボス牧羊犬シェップと困ったボス
(2005/05/10)
マージョリー・クォートン

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『小さな白い車』

2008年05月04日 12:54

ダン・ローズ著/金原 瑞人・田中 亜希子 訳/中央公論新社
写真家を夢見るヴェロニクは、毎日つまらない仕事をして、気の滅入る同僚に我慢して、会う度にトリップしては、埒もない夢を語る恋、ジャン=ピエールとの不毛な付き合いに嫌気が差していた。とうとう我慢の限界を超えたヴェロニクは、数本のマリファナを吸ってワインをしたたか飲んだ後、ジャン=ピエールに別れを告げて車に乗り込む。若干朦朧としながら家に帰った翌朝、テレビでダイアナ元妃の交通事故死のニュースを聞く。次第に蘇ってくる昨晩の記憶、暗いトンネルの中での接触事故!?自分がダイアナ元妃を殺してしまったと確信したヴェロニクは、親友のエステルと事件隠蔽工作を画策する。

あああ、あのダン・ローズが!?図書館でこの本を手に取った時、思わず慌てて解説を読んだ。本来この作品は、ダヌータ・デ・ローズという『女性』が書いたという名目で発売されたらしいが、実際は『ティモレオン センチメンタル・ジャーニー』、『コンスエラ 7つの愛の狂気』等、天才的な物語を紡いだ『男性』作家が書いた、『コミカルでライトタッチ、ちょっとだけサスペンスフルな、フランスを舞台にした読みやすい小説』だったのだ。
えええええ、え〜、ダン・ローズが!?前作を書き終わった後、『燃え尽きた』と言ったかどうかは定かじゃないが、消耗しつくしてもう文章は書きたくないと公言したそうだが、だからこそ、こういうライトタッチな作品を描いたのか、これは著者にとって、充電的作品だったのだろうか?
彼の次作を心待ちにしていた私としては、いささか肩透かしという気持ちもあるが、それでも、あの天才の作品がまた読めるなら、フランスが舞台だろうが、ちょっとおばかな女の子が主人公だろが、いい、何でもいい、読めることが私にはご褒美だ、『なんの?』とは聞かないで(笑)。
確かに、どこにでも転がっていそうなお話だ。文章も、あの鋭利さを隠した鈍重な味わいのある雰囲気とは程遠い。のだが?良く良く考えてみて、やはり鷹が爪を隠して描いた風貌が伺える。
それはこのプロット、数々のどうしようもないエピソードを通して見えてくる。まず、ダイアナ元妃を殺しちゃった!って、それどうよ?フランスで何不自由なく暮らしているヴェロニカの日常は、余りに奔放で甘やかされていて、思わず苦笑が隠せない。それゆえに、彼女等の思考や発想は思わずあっけに取られるほどアホらしい(笑)。
物語も中盤になる頃に私の中で固まった印象は、『トレインスポッティング』辺りの男性なら良くある、中途半端で自堕落な青春小説の女性版だなぁというもの。舞台はフランスではあるが、非常にイギリス的だ。客観的にイギリスが語られる場面もあるのだが、それとて、やはりイギリス的な風合いが滲み出ている。イギリス人だからこそ書ける、異国イギリスの事。これは、前2作、とりわけ『ティモレオン センチメンタル・ジャーニー』には色濃く現れていて、異国におけるイギリスと言う存在感を、興味深く表現する作家だと思う。
まぁとにかく、ヴェロニクと友人エステルの行動や発想がバカらしくも面白い。甘やかされて育って、自己中心的な感覚に悪意が無い。受け入れられるのが当然と思っている、美しく若い女性達。余りにも日常が幸福だから、無意識に求める悲劇のヒロイン像。それにどっぷり漬かれる『ダイアナ元妃殺害疑惑』は、彼女達にとっては絶好のチャンス。何かにつけ悲劇を装ってみるのだが、傍から見れば滑稽にしか見えないの。そうした姿を、あえて大真面目に書いている気がした。
こうした計算高さが女性らしく感じられ、男性版の似た青春小説との違いと思える。元恋人とのエピソード、浮気をしてしまった時の罪悪感の感じ方など、そうした滑稽さが巧みに表現されているのが面白かった。そしてラストでは、どこか大人びたヴェロニクの姿を感じる事が出来る。
あの天才が(あくまで私の観点では)こうした作品を書いた、と言うことは、次作はどう出るか?また元のように戻るのか、このまま突き進むのか、いずれにしろ、目が離せない作家である。次回は、イギリスが舞台の作品なんか、良いと思うなぁ〜♪

小さな白い車小さな白い車
(2005/08/11)
ダン・ローズ

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『さよなら僕の夏』

2008年04月21日 00:53

レイ・ブラッドベリ著/北山 克彦 訳/晶文社
14歳になるダグラス・スポールディング、大好きなおじいちゃん、おばあちゃん、仲の良い弟トムと過ごす楽しい毎日。たんぽぽのお酒を作った1年前から、また夏が来て、そして去っていく10月。ダグは仲間達と一緒に、大人へ、時間へ、成長していく自分達へ、『戦争』を仕掛ける事にした。夏が終わるなんて我慢が出来ない!ダグたちは、過ぎていく夏を捕まえようと奮闘する。

宝物だね、この作品は宝物だよ。1言で表せる、これは、長年小説を読み続けて来て、今手にする事が出来た、私の読書人生における、間違いなく『宝物』。
なぁんで、こんなに素敵で優しくて、切なくて面白くて、悲しくて楽しくて、ワクワクして苦しくもなって、恋があって友情があって、発見があって成長があって、それこそあらゆる感情や出来事が沢山詰まった、素晴らしく充実した人生のような作品が書けるのでしょう。
巨匠だから書ける、少なくともそれは事実。だけど、レイ・ブラッドベリという人、彼だからこそ描けるのだ。だからこれは、唯一無二の作品。レイ・ブラッドベリには、余りにも独特の彼らしさがある、似たものすら生まれはしないだろう。普通に言ってしまっても、こうした作品を描ける作家は、この先2度と現れないだろうとも思う。
それは時代が変わってしまったから、ブラッドベリが過ごしたような、古き良き時代は、遠い過去の話だから。だからこそ今の小説世界は、変わってしまっているとも言える。若くして活躍している作家達が描く、『子どもの頃の思い出』、子供時代の経験を色濃く反映した物語は、大方は暴力の色が濃かったり、どこか冷淡な印象が強い場合が多い。それは作家が悪いのではなくて、時代が変化してしまった事に要因があるのだろう。
それでも、この作品を読んでいると、驚くほど子供の頃の思いが蘇る。普段なら忘れてしまっている感情を、鮮やかに蘇らせる事が出来るのだ。私の子供時代は、ブラッドベリのそれとは、時代も距離も果てしなく隔たっている。それでも、ダグラスの夏の終わりは、私の幼い頃と重なり、余りにも懐かしく、微笑ましく、なんだか甘酸っぱい郷愁を呼び覚ました。これが、ブラッドベリの真骨頂、素晴らしいところなのだ。小説に愛を感じる事が出来るなら、今はその思いで一杯だ。
この作品では、夏とお年寄りというのが、様々な隠喩になって登場する。こうしたものをこれほど巧みに隠喩化し、更には物語にこれほど自然に染み込ませている作品を他には知らない。これもまた、ブラッドベリの職人技なのだ。
子供達の瑞々しいほどの感性、自由な楽しみ、輝くばかりの奔放さを、夏の終わりと被せるように、ノスタルジックな色合いで物語は進んでいく。まるで、一陣の夏の風に、読書中始終煽られているような清々しさが続く。風そのものが文章に溶け込み、肉眼で見えるような鮮やかさだ。ダグラス達が走り回る自然も、穏やかな町の風景も、苦労なく眼前に浮かび上がってくる。
そして、徐々に見えてくる夏の終りが示す事柄、ダグラス達と戦う老人クオーターメインの存在、賢者のようなおじいちゃんなど、老人たちがが意味するものとは?老人と語るのが好きだったというブラッドベリ自身が、老人になって仕上げた珠玉の作品だ。
読書中何度も、切なくて泣きそうになって、苦しくなって、おかしくて笑って、感動して泣きそうになった。ダグラスの仄かな恋が始まり、子供時代は終わりを告げ、少しだけ成長するダグラス。同じくクオーターメインは、若さにしがみ付くのを諦めて、老いを、人生の成熟を受け入れる。その様がなんともおかしく、そして感動的に描かれる。こんなシチュエーションを描ききった作家も、他には恐らくいないだろうと思う。
ダグラスにとって、その年の夏は、単なる『夏の終わり』ではなかった。しかし秋の始まりもまた、いつもの秋ではなかったはずだ。人間の成長を、自然の摂理をこれほど巧みに生かして描いた作品もまず思いつかない、なんだか、アールヌーボーみたいな作品だ(笑)。
若さと老い、これもまた巧みな演出で描いている。その様が滑稽で、また切なくて、今私はその中間にいるのだと思い知る。この作品を実際に描いたブラッドベリの年齢と、それほど遠くない年齢にいる。それからの55年、ブラッドベリは、この作品を大事に暖めて来たのだろう。何度も校正を加え、加味される年齢や経験と共に、色濃くなっていく子供時代の思い出を重ねて。
この所、色々なものに感謝しているが、ここは盛大に、ブラッドベリをこの世に誕生させてくれてありがとう。適切な時代に、彼が生きた事実に感謝。そして、『宝物』を与えてくれたブラッドベリに、最大の感謝を。ああ、抱きしめて眠りたいほどの作品だった。

さよなら僕の夏さよなら僕の夏
(2007/10)
レイ・ブラッドベリ

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『小道をぬけて』

2008年04月17日 00:37

ジョン・マクガハン著/東川 正彦 訳/国書刊行会
少年だったジョンは、優しい母と仲の良い姉妹達と暮していた。父親は離れた町の警察署長をしており、たまにしか帰って来ない。それでも強大な影響力を誇示するかのように、専制的で暴力的な態度を取る父。そんな父との長年に渡る軋轢、優しかった母の早すぎる死、少年は戦いながら成長し、やがて父を超える日がやって来る。教師となり、作家への夢を実現した著者が描く、少年の頃の思い出と壮絶な日々を、淡々とした筆致で綴る回顧録。

以前からこの作家の長編作品を読みたかったのだが、実は私が利用できる市の図書館には創作作品が入っておらず、回顧録の本作しか入荷していなかった。いきなり回顧録?という躊躇があったので暫く待ったが、ダメそうなので仕方なく回顧録から読むことにした。
早々に結論だが、どうしても長編を読みたくなった。かなり自伝的色合いの濃い作品ばかりのようだが、だからこそ、この回顧を録読んだら創作も読まねば!という気にさせた。
幼くして、最大の庇護者であり愛する母を失ってから、それまで離れて暮らしていた父と同居した生活は、描かれている以上に過酷だったことだろう。まだ年端も行かない子供が、新生活に向けて感じた不安なども、相当に大きなものだったろうと思う。しかしそうした部分を強調したり嘆いたりするではなしに、第3者的に、冷静に当時を振り返って綴っているという印象だ。扇情的な事よりも、あくまで正確さと事実的側面を貫いたという雰囲気。優しかった母と過ごした時期に一番割合を裂いているのだが、その部分に関しても、淡々とした正確さを譲ってはいない。
先日読んだ『妻への恋文』の主人公のように、人生を演ずる事でしか生きられない男として父親を描き出している。上記した作品の主人公ゼーブルのように陽気で愛すべき男ではなく、厳格さや冷淡さを演ずる父親は、傍から見れば非道で迷惑千万な印象だし、当の子供たちにしてみても堪え難い恐怖の源であり、後年には嘲笑の対象に成り下がる存在だった。この、本人が気付くとも無く行ってしまうその時々の感情の演技、こう在るべきだという思い込みの体現、そうした姿を読んでいると、非道な行いに対する憤怒というよりは、憐れみの方を強く感じてしまった。
恐らく著者も、そして兄弟達も、後年そうした思いに付きまとわれた事だろうが、驚いてしまうのは、それでも兄弟達が、親として彼を慕っていると言う事。これはもう、国というより時代の違いだろうと思う。人間として忌むべき存在だと心から思ってしまったとしても、親であるなら認めて貰いたい。どうしても愛さずにはいられない肉親という絆、子供として愛して欲しいという願望と嫌悪する心の葛藤。特に驚くのは、そうした複雑な感情があったとしても、『親は愛するのが当たり前である』という、どこか超然とした理屈に屈してしまっているような、疑問の余地の無い事実として受けれ入れているようなところがある事だ。深い悩み等ではなしに、当たり前の感情として俎上にも上らない。娘の結婚式にも出ない非常識な父親ではなく、結婚式に出てくれない事実を単純に悲しむその姿勢、現代で我侭放題に生きる私たちには、到底理解できない感情だと思う。
また興味深かったのは、生涯父親を『演じた』この父が選んだその父親像。ギネスが親友のような、曰くありがちなアイルランドの父親像ではなく、敬虔で頑固で仕来りに個室する保守的な父親像だった。これが結果、思うに子供達には最悪な日々を送らせたのだろうと思うのだが。
さて、作品後半に著者自信も語っている事だが、この作品は『自身』を語るためではなく、幼かった自分を取り巻いた人々や環境を緻密に丁寧に辿っている。とりわけ母と父に関して、恐らくは著者に多大な影響を与えたろう2人に関して、余すところ無く描いたと言えそうだ。
回顧録と言えば、子供の頃の思い出を面白おかしく描き出す作品か、トラウマになってしまったような衝撃的な日々を陰々と描いた作品が目立つが、こちらはそうした物語性を極力排除し、事実を出来るだけ克明に記した、まさに『日記』の上等版のような雰囲気。だから当然、全編これアイルランドの匂いプンプンなんである。表面的に理解していたつもりだった宗教のこと、人々の生活の実態など、こうした真摯でシンプルな作品の方が良く伝えてくれる。そうした面でも、大変に楽しく興味深い回顧録だった。

小道をぬけて小道をぬけて
(2007/06)
ジョン・マクガハン、東川 正彦 他

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『元気なぼくらの元気なおもちゃ』

2008年03月25日 23:21

ウィル・セルフ著/安原 和見 訳/河出書房新社
薬の運び人をやって儲けた金で買った家は、でっかいクラックの上に建っていた。余りにも多すぎる虫達と意思の疎通を果たした男の顛末。余りにも高い知能ゆえ、思わぬ言語を話すヨーロッパの赤ちゃん。奇想天外なプロットを、巧みな話術とかなりのブラックを交えつつ描いた作品集。

「リッツ・ホテルよりでっかいクラック」、「虫の園」、「ヨーロッパに捧げる物語」、「やっぱりデイヴ」、「愛情と共感」、「元気なぼくらの元気なおもちゃ」、「ボルボ七六〇ターボの設計上の欠陥について」、「ザ・ノンス・プライズ」

初体験の作者だが、結構有名な方らしい。後書きを読んでみると、私としてはかなり変わった物語かつ文体なのだが、それでもこの著者にすればかなりまともな方なのだとか。と言う事は・・・?他の作品はまず読めないだろうなと(笑)。
奇想天外な話とは色々あるが、この人の場合は結構グロい。『虫の園』なんて、お昼時に読んでいたらかなりうんざりした。ブラック・ジョークだとか、風刺的だとか、そうした部分も多分にあるにはあるのだが、なんと言うか?汚い部分の描き出しがとことん汚い(笑)。なんだろう?格別汚い言葉や飛びぬけて詳細な描写があるわけでもないのだが、荒廃した家や刑務所の風景だとか、落ちていくクラックの売人のどうしようもなさだとか、全く救いの無い描き出してちょっと疲れた。
面白かったのは、訳者が書いた後書き。もしかして嫌いなの?と言うぐらい冷たい解説ぶりなのだ。なんと言っても、短編1つ1つの紹介で、『意味が解らん』とダメ出しまでしてしまっている。どうやら、このウィル・セルフという作家は、そういう位置づけのようだ。物語の内容も奇想天外だろうが、小説として、一般常識としても奇想天外なのだろう。普通に面白い物はイカンと(笑)。
多分に風刺的だそうだが、それよりは単なるやりすぎ?と思える部分もあったのだが、読んでいて投げ出したくなるような作品ではない。かと言って、嬉々として読み続けたいか?と問われたらきっぱりとノー!(笑)。
最後の『ザ・ノンス・プライズ』、これは冒頭の『リッツ・ホテルよりでっかいクラック』の主人公のその後なのだが、転落する人生と、何とか這い上がろうとする姿勢、しかしその希望はあくまで排他的だし、救われるとは到底思えない。いや、救われても良いのだろうが、作者がそれを許さないと言った捻くれた印象も無いではない。
しかし、ラストにしていきなり『普通』の小説だったのだ。しかもかなり良く書けている。なんだ、良いじゃない、普通の小説をこれからは書いていけば、と思ってしまうのだが、きっと、ファンの人には到底許せない行為なのだろうな。1回2回ならいざ知らずって事か。
実は『ヨーロッパに捧げる物語』もかなり普通の物語で、シリアスな母親の苦悶なども良く表現出来ていたし、ドイツとイギリスを舞台に、細かく変わる場面転換や追想などの精神の流れなども上手く収まっていて、実際上手い作家なんだろうなぁ〜?と思った。
取り上げている話題も、文体も決してコミカルではないものの、全体の印象は何故かコミカルさが強い。しかしこの作者の本髄はシリアスにあり、と予測を付けたので、いずれ、万人が読める普通のシリアス作品を上梓して頂ければなぁと期待している。

元気なぼくらの元気なおもちゃ (奇想コレクション)元気なぼくらの元気なおもちゃ (奇想コレクション)
(2006/05/20)
ウィル・セルフ

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『猫のパジャマ』

2008年03月24日 23:48

レイ・ブラッドベリ著/中村 融 訳/河出書房新社
道端で偶然猫を見つけた男女の出した結論とは?ロマンチックな男女の出会いも、どこか不可思議な雰囲気で語る表題作『猫のパジャマ』を始め、色白になりたかった黒人青年の一夏を爽やかに切なく描いた『さなぎ』、敗血症の男性が挑むハードボイルドな闘いを描いた『用心深い男の死』、若かりし頃の追憶を幻想的に描いた『雨が降ると憂鬱になる ある追憶』、宿敵を亡くして落ち込む男を救った親友の逆転劇を描いた『おれの敵はみんなくたばった』など、未発表作19本を含む巨匠の『新作』短編集。
さなぎ/島/夜明け前/酋長万歳/ふだんどおりにすればいいのよ/まさしく、オロスコ!シケイロス、然り!/屋敷/ジョン・ウィルクス・ブース・ワーナー・ブラザーズ・MGM・NBC葬儀列車/用心深い男の死/猫のパジャマ/三角関係/マフィオーソ・セメント・ミキサー/幽霊たち/帽子はどこだ、急ぎはなんだ?/変身/ルート66/趣味の問題/雨が降ると憂鬱になる ある追憶/おれの敵はみんなくたばった/完全主義者/エピローグ−R・B、G・K・C&G・B・S永遠なるオリエント急行

80歳を超え、いまだ現役。その創作意欲は衰えるどころか、この『新作短編集』は、その魅力を余すところ無く詰め込んだような魅力的過ぎる作品群だ。読者として、これほど喜びを与えてくれる作家は数少ない。いつまでもご健勝であられることを、願って止まない気持ちだ。
上気した作品紹介に挙げた短編が、概ね私が気に入った作品ということになる(笑)。
この作家の短編は、長編には無い魅力があると思う。短編と言うことで、必然的に簡素化された文章が読み易く、読み解くポイントが自然に浮かび上がってくる。また別には、長編だといささかこんがらがってしまいそうなメッセージが曖昧なものも、巧みに短い枠に収めて楽しませてくれる。また、多様な登場人物が彩り豊かだ。比較的少年か青年が主人公である場合が多い長編に対して、少女や老人など、様々なキャラクターが著者の独自の語りを代弁してくれる。
短編集とは、とかく著者の様々な側面を見せてくれるものが多いのだが、今作はまさにレイ・ブラッドベリ展覧会の様相。SFタッチのものあり、風刺的なものあり、単純にコミカルなものあり、幼い子供の純粋さを謳ったものあり様々であり、全てがまさにブラッドベリ・ワールド。
ブラッドベリの作品は、作者がどの年齢で書ものであろうとも、いかなる物語であろうとも、その作風の根底に『時代感の無い若々しさ』というのがあると思うのだ。例え時代を察知させるアイテムが描かれていようとも、その作品世界は時代を超越したノスタルジーを感じさせる雰囲気があり、登場人物がどの年代であろうとも、何となく排他的ではあるが、反面妙な瑞々しさを感じる。これは翻訳家の方々の統一された尽力も多大にあるだろうが、物語が時代にたゆたっているような雰囲気があって、そこがまたたまらない魅力だ。
今納められているタイトルを見ていても、思わずクスリとしてしまうコミカルなものあり、その隣には身を引き締められるような痛烈な物語あり、素晴らしいラインナップだったと思わせられる。作品紹介に上げた以外で特記しておきたいのは、完全に人を食った風刺的要素の強い『酋長万歳』、冒頭から読者の心を掴みつつ揺さぶり、多分にブラッドベリ的な若々しい爽やかさと暗い側面をブレンドした『さなぎ』、脚本も書き、恐らくはアメリカのエンターテイメントに深い愛着があるであろうブラッドベリを感じる『ジョン・ウィルクス・ブース・ワーナー・ブラザーズ・MGM・NBC葬儀列車』、これもまた余りにブラッドベリらしい不可思議さを包括した作品だった。
とにかく楽しませてくれる、長年文章を書き続けてきた人の、まさに職人技と言える卓越した物語。溢れるほどの個性、唯一無二のブラッドベリ世界。現代では少なくなっているように思う、こうした芯から語れる厚みのある作家の新作、是非多くの人に楽しんで貰いたい。

猫のパジャマ猫のパジャマ
(2008/01)
レイ・ブラッドベリ

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『妻への恋文』

2008年03月20日 00:14

アレクサンドル ジャルダン著/鷲見 洋一 訳/新潮文庫
幸せな結婚生活を送るガスパール、愛称ゼーブル(縞馬、変わり者という意味)は、余りに妻を愛する余り、時間によってその愛が慢性的になる事を恐れた。何とか出会った頃の情熱を喚起させようと、彼は様々な愛再燃作戦を妻に仕掛ける。しかし妻カミーユは、乗ってこないどころか、そんな不可解なゼーブルに嫌気が差してしまったよう。幸福も憤懣も、演じる事でしか実感できないゼーブルだったが、そんな彼に一世一代のロマンスを演じる時が、しかも皮肉な形で訪れたのだった。

今まで読んだロマンス小説(ハーレクイン系ではない(笑))の中でも一風変わっていて、そして最もロマンチックで素敵な内容だった。女性だったら、誰でもそう思うのじゃないかな?カミーユのように、うざったくなるぐらい愛されてみたいと。ゼーブルほどの変り者、だからこそこの世に1人しかいないと断言できる、個性的な男性に。
と言う事で、ゼーブルはかなり変わっている。変人と言うのではないけれど、考え方が『奇想天外』。これほど個性的なのに、著者はいとも自然に描き出している。と言う事は、著者自身が相当変わり者なのでは?と思ったら、やはり『奇才』と言えそうな人物である。この作品は、25歳で結婚を控えた頃に上梓したと言う。奇才であり、情熱的で純粋な愛を描ける人。女はこんな男性にとかく弱いものである(笑)。
家族のあり方もいささか奇妙だが、ゼーブルは父親としても素敵な人だろう。たとえその起動力がどこに、どんな思考の元にあろうとも、子供達から見たら最高の父親だ。思慮深いはずのカミーユも、その思考の推移など、非常に自然に巧く描かれている。ゼーブルの本性も良く知っていればこそ、うんざりする程愛された上に、その愛情の裏に何があるのかも解ってしまう妻カミーユ。そりゃ誰だって逃げ出したくもなる(笑)。
全編に溢れるエスプリ、全編に潜むエスプリ、まさにフランスならではの恋愛模様が、程よいデフォルメを施して描かれている。どこまでが一般論でどこからがガスパール論なのか?それを受け止めるカミーユの対応も、時たまその線引きが解らなくなる。
全力で愛して全力で的外れなゼーブル、そんなゼーブルを冷静に判断するカミーユはまさに女性目線で、若い著者がこれほど女性を理解しているのもなんだか面白い。そうしたところからも、奇想天外な精神を持った面白い作家なのだろうと想像する。
そしてラストは、いささか驚いた。演じる事でしか気持ちを感じる事が出来ないゼーブル。役者にでもなったら、希代の名俳優になれただろう。最初は、そんな真実の人間味の無さと、偽造された人間味、それなのに感じるゼーブルの魅力などに戸惑ったが、物語も後半になると、そんなプロットがゼーブル救済、ひいてはカミーユとの愛救済にどれほどの捻りとなって生きてくるのか、気が付いた時には『なるほどそうか』と妙に感心(笑)。
愛すると言う行為を、これほど徹底的に『演じる』事と摩り替えて描いた小説も少ないと思うが、それでも尚、ゼーブルの内に眠る深い深い愛に女性なら誰でも感動する、、、と思うんだけど(笑)。この愛嬌というのが、作者の人柄を反映させているのかなあ?と自然と思ってしまう、そんな雰囲気なのだ。
『どれほどの恋人を溶け合わせたら、彼のような恋人が作れるだろう』なんて、ああ、そんな風に感じられる恋人を見つけてみたい(笑)。こんなサラリとした小粋な文章が多々散りばめられた、小作ながら記憶に残る良質なロマンス作品。映画化もされている。
結果としては、作品も然ることながら、何しろ原作者に興味を抱いた。他の作品も色々と読んでみたい。が、全て絶版になっている、、、。ちなみに映画監督としてもデビューされており、まだまだ若いこの著者、広く日本でも知られて欲しいものである。

妻への恋文妻への恋文
(1996/02)
アレクサンドル ジャルダン

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『サン・ジャンの葬儀屋』

2008年03月03日 20:20

ジョエル・エグロフ著/松本 百合子 訳/Book plus
誰もが天寿を全うする、穏やかで過ごしやすいサンジャン。しかし田舎町の過疎化の流れは容赦無く進む。若者はみな都会へ出て行ってしまい、いまや元気一杯のお年寄りばかり。ガングリオンの葬儀屋では、『死人が出ない』という喜ばしくも苦しい難題を抱えていた。期待をかけた猛暑も終わろうとする頃、とうとう念願の死者が出た!久方振りの葬儀に取り掛かる従業員達だったが、墓地までの道を間違えてしまったがために、とんでもない事態にはまりこんでしまう。

個性的なのに強烈過ぎないキャラクター、なんともシニカルな言動なのに、どうしたって憎めない人物描写の巧みさ。いつの時代のどこにでもありそうな牧歌的な田舎町を舞台にした、肩の力は果てしなく抜けているが、かなりディープでシニカルなコメディ作品だ。
登場人物は多くはなく、葬儀屋の主人ガングリオン、その長年の部下である引退間近のジョルジュ、数年前の新入社員の生き残りモロの3人が主要人物だ。それぞれが全く違う方向を向いたキャラクターであり、それらの融合から生まれる反応だけでも面白い。
どのページをめくっても牧歌的で、のどかな音楽でも聞こえて来そうな雰囲気なのだが、なんともフランスらしい確信犯的な節操の無さと、余りにも冷徹に過ぎるようなシニカルなユーモアが、随所に見えない刃物のように潜んでいる。迂闊にぬるま湯的文体に浸りきっていると、作者が仕掛けた巧妙な面白さ見落としてしまいそうなのでご注意を。
例えば葬儀屋というプロット1つを考えてみても、人の好い、しかし多分に世俗的な(特にガングリオンはなんとも人間味があってユニーク)葬儀屋の面々は、笑いを誘うと同時に、その根拠を考えると偽善的嫌悪感に悩む事になる。『人の死を願っている』という概念と、全く相容れない単純で牧歌的な葬儀屋の面々のアンバランスさが面白いのだが、台詞1つとっても、そのユーモアのセンスは道徳的境界線かなりスレスレの所だろう。
もしかしたら、この葬儀屋で唯一の良心と言えそうなモロは殆ど天然ボケのようだし、ジョルジュが抱えるポリシーや真理は、どこか無理やりで筋が通らない。この2人が珍道中を始めた辺りから、物語は一気に転がり始める。
余分な舞台背景や時代感を出来るだけ排除しているだけあって、語るべきはこうした人間の微妙な感情の在り方。まさにキャラクターのみが動かす物語なので、細かいディティールや会話の上手さが面白さの鍵となるが、この作品は一言で言うなら、そうした面の『バランスの良さ』が抜群だなと思った。
派手さも巧妙さも余り感じないのだが、なんとも言えないバランス感が絶妙。モロとジョルジュのやり取りも、路に迷って展開するゴタゴタも、取り立てて派手じゃないのに面白い。穏やかに流れる時間の中に、とんでもない展開が潜んでいる事を時折思い出させてくれる。そしてラストには・・・?いやはや、驚くべき結果が待っているのだが、それすらも淡々と静かに当然に幕が下りていく。ジョルジュの理論を聞かされれば、『ふむ、さもありなん』と余りに無節操な事を思って最後のページを閉じてしまう。そして慌てて読み直す(笑)。
そして、『いかにもフランスらしいなあ』と苦笑いをしてしまう。いやしかし、こういう脱力系(しかし密かに相当量のスパイスが仕込まれている)作品は大好きだ。とても優しく読み易い文体だったので、これからもこういう作品を書き続けて欲しいと思うと共に、もうちょっと現実感のある魅力的な登場人物を描いたブラック・コメディなぞ、書いて欲しいと思ってしまう。

サン・ジャンの葬儀屋サン・ジャンの葬儀屋
(2000/12)
ジョエル エグロフ

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『アインシュタインの夢』

2008年02月17日 18:38

アラン・ライトマン著/浅倉 久志 訳/ハヤカワepi文庫
1905年のスイス、時は5月後半、有名な相対性理論を今まさに発表せんとするアインシュタインは、夜毎見る不可思議な『時間』の夢の事を考えていた。早く動くほど長生きできる人々の時間、場所によって長さの違う時間、1日で一生を終えてしまう世界、高い場所ほど老いない時間の法則。幻想的で流麗な文章で語られる、アインシュタインが見た『かもしれない』不思議な時間の夢の数々。

特殊相対性理論・・・聞きかじった事はある。どんなものであるのか?何となく・・・聞いた事はあるのだ。ただ完全には理解していない、というか出来る訳が無い!それぐらいなら大学に行ってましたってば(笑)。ただ『時間は絶対的』なものではないという事を提唱した学説、という事だけは理解しているつもりだが・・・違う?
かなりの変わり者だったと言われるアインシュタイン、特殊相対性理論も、解る人から見れば相当奇想天外な発想から生まれたものだとか、違うとか(笑)。聞いたことがあるだけだから信憑性は薄いのだが。
そんなアインシュタインが、特殊相対性理論を発表する間近、見たかも知れない『夢』を綴った作品集だ。非常に幻想的で流麗な文章運び、読んでいて心地良さを感じるくらい。淡々とした描き出しだが、語られている事は自由自在に変化する『時間』のこと。ファンタスティックな香り漂う・・・と言いたいところなのだが、その説明には少しばかり堅苦しく講釈的な雰囲気がある。この雰囲気が、夢見がちなファンタジー小説になってしまわないための一線の役割を果たしており、ライトな物理学小説というちょっと変わったジャンルを確率させているようだ。
非常に薄く、かつ先に述べたように優しい描き出しで、難しい物理学論とは全く違うのだが、これまた先に述べたように、いささか堅苦しい・・・というか語っている事が事なだけに、私の小さな脳みそだと続けて読むのはちょっと辛い(笑)。と言うわけで、間隔を空けて、幾つかの小説の間に少しずつ読み進めた。
読んでいると、私なんかはとことん頭が固いのか?元来のA型気質なのかは知らないが、辻褄が合わな過ぎてちょっとムズムズした箇所が多々あった。時間がある場所からない場所へ旅をする。人々は永遠の時間を留めて置こうとするからか。そして旅人は、また時間のある場所へ去っていく、なんていう話もあったが、時間の無い場所、すなわち全ての動きが止まってしまっている場所から、いかにして脱出するのか?とかね、、、夢のない事を思ってしまう。
とにかくこの作品集は、こうした不可思議な動きをする『時間』を描いており、その幾つか(と私は思うのだが)は、上手く実際の相対性理論と噛み合わせた幻想的な話になっているようだ。
人の観点から、時間が様々な動きをする。時間そのものが意志を持っているかのように、人知では計り知れない動きをする。人の時間は繰り返し繰り返し同じ行動を過去において綴っている。そんな不思議な時間枠、私は、アインシュタインさんには悪いが(そしてこの著者にも)、世界で唯一、『絶対的』と言い切れる時間のままであって欲しいな。

アインシュタインの夢 (ハヤカワepi文庫)アインシュタインの夢 (ハヤカワepi文庫)
(2002/04)
アラン ライトマン

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『名声のレシピ』

2008年01月27日 23:59

シャロン・クラム著/池田 真紀子 訳/新潮文庫
小さな雑誌の専属金融コラムニストのトムは、親友に妻を摂られ、孤独な日々を送っていた。歴史小説が好きで、現代の目まぐるしさには息苦しさを感じるトム、派手な事も苦手な彼は、それでなくても面白味の無い男だった。しかし、平凡な男が有名になって、環境の変化を綴るコラムを書くという雑誌の企画を引き受けたために、そんなトムの人生は一変してしまう。彼は人気セクシー女優アレクサンドラの恋人として顔を売る事を思いつき、当の女優にもある思惑があり、2人はメディアと大衆を相手に『恋人ごっこ』を演じる事にしたのだ。

これは面白い!絵空事?ととも思えるが、きっとこれは真実だと確信できる要素もあって、フィクションなのかノンフィクションなのか?微妙な線引きの上を行ったり来たりしつつ楽しめる。
キャラクターの構成と構築が上手い。まず主人公トムのキャラクターが、作品全体の大幅に揺れる『有名人=凡人』という世界観の違いに非常に上手くマッチしている。有名人でも凡人でもトムはトムであり、しかし有名になったトムは、トムという枠の中で変化を見せる。それが余りにしっかりとした人物描写の助けを得て、あっさりと受け入れられる『トム像』になって行く。
その他、トムの小学校2年生以来の親友であり、妻を奪った男ジェイク、トムの『恋人ごっこ』の相手アレクサンドラ、2人を影で操るエージェントのマイク、そして元妻エリザベスに至るまで、個性的なキャラクター達の造形が細かく上手く、見事に調和している。
アメリカを代表するセクシー女優アレクサンドラの新恋人として、冴えない男トムが一夜にして有名人になってしまう。その生活の変化は劇的に現れるわけだが、その過程において変化する人々の気持ちや行動の変化が、キャラクター造形の巧みさによって少しも不自然に感じないのだ。それだからこそこの物語は、そのプロット以上に面白いと感じられる。トムの人物像が確立されているだけに、逆にトムの行動が読めなくて、ラストまで興味と面白さが持続するのだ。
妻を奪った男と親友で在り続けるトム。絶世のセクシー美女を前にして、色気のある行動を全くとらないトム。セレブリティという華麗な世界を、いまいち楽しめないトム。そんなトムを操るアレクサンドラとマイクの毒蛇コンビ。トムを捨てた上に、明ら様にトムを拒否し続けるエリザベス。かなり酷い人達にトムは翻弄されるわけだが、それでも全体的に暗い印象は全く無く、ただトムの奔走する様が面白い。ラストもなんとも皮肉が効いているのだが、それでもちょっとだけ爽快感が漂っている。
さて、この作品で描かれているセレブリティの世界。ゴシップや周囲の態度の変化などは、私でも想像できるほど真実に近いのだろうと思われる。ただ、セレブの恋人だからという理由で、トムほど話題の人になれるか?というと、そこはちょっと違うだろうなと思うのだ。
事実、セレブの恋人として騒がれている人は大勢いるが、その認知度はかなり低いと言えるだろう。それが縁で色々と仕事が舞い込んだとしても、持続するか?というとショウビズ界はそれほど甘くは無いわけで、調子に乗っていると突き落とされるのも早いようだ。持続するか否かはその人の才能次第で、視聴者側もその辺はわきまえていると言ったところ。
その視聴者、もちろん私もその範疇だが、その節操の無さと鵜呑みにする単純さにはいささか恥ずかしい気持ちもあった。活字で読んだり誰かから聞いたりすると、例え嘘だと思っていても、一抹の真実を認めたい気持ちが残る。こうしたメディアの操作に、乗せられていないとは言い切れない。信じられるのは自分の節度、と思っていても、果たして有名人が見せる姿のどこまでが本当なのだろう?と思わずにはいられない。
つい先日あった事だが、グレッグ・ワイズという俳優。私はこの人、なんともニヤケ顔の役者だなぁと思っていた。演じる役柄そのままに(そうじゃないのもあるけど(笑))、女ったらしなんだろうなぁとずっと思っていた、いや、確信していた。そしたらエマ・トンプソンの旦那様だというじゃない!以来すっかり見る目が変わった(笑)。あの才女が選ぶ男性なら、よほどしっかりした人なのだろうと。そうでないなら、出来る女はダメ男が好きの典型かどちらかだと(笑)。
私はグレッグ・ワイズは『立派な人』なのだと結論した。付き合う相手が違うと違って見える。まさにこの小説を地で行ってしまった私の思考回路。思い出したら苦笑いが出た。

名声のレシピ (新潮文庫)名声のレシピ (新潮文庫)
(2005/10)
シャロン クラム

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