『魔法の国の旅人』

2008年06月21日 00:40

ロード・ダンセイニ著/荒俣 宏 訳/ハヤカワ文庫
格別有名な界隈にあるわけでもなく、人目を引く建物でもなく、羨まれるような知名度も無い。どちらかと言ったら、朽ち果てそうな印象のそのクラブの名は『ビリヤードクラブ』。友人に半ば無理矢理連れてこられた私は、クラブの名物といえそうなジョーキンズと知り合いになる。世界中を旅して回ったジョーキンズは一杯のウィスキーと引き換えに、人魚の妻や不思議な森で出会った魔女の話、湖のようなダイヤや、火星に旅行した男の話など、数多の冒険談を語るのだった。

ジョーキンズの奥方/柳の森の魔女/妖精の黄金/大きなダイヤモンド/最後の野牛/クラコヴリッツの聖なる都/ラメセスの姫君/ジャートン病/電気王/われらが遠いいとこたち/ビリヤード・クラブの戦略討議

アイルランド出身の男爵作家、とくれば読む価値は十分という判断(笑)。どちらかと言ったらダーク・ファンタジーで名を馳せた作家らしいが、他の作品に関して詳しく知らない。アイルランドはダブリン近郊のタラの丘・・・と言えばかの有名な『タラへの道』のあのタラだなわけだが、最近は道路を通すとかで、丘そのものを切り崩すという無粋な話があるのだとか・・・。で、そのタラの丘を有するダンセイニ城における名門貴族、第18代ダンセイニ男爵なんだそうな。
とまぁ、アイルランドを連発するのはここまで、実際は生涯のほとんどをイングランドで過ごし、本人の希望でお墓もそちらにあるそうだ。タラの丘周辺に先祖代々の墓地があるそうだが、そこへの埋葬も拒否するほどに、強い結びつきをイングランド(確かコーンウォールのどこか)に感じていたという事。なので、この作品にもアイルランドらしさは全く無い、皆無だ、全然だ、微塵もだ。ロンドンらしさやイギリスらしさは存分にある。ちょっぴり残念だった。
このジョーキンズ物は、ダンセイニの『明』の部分を代表する作品だそうで、その他の本分であったファンタジー作品には、多分にアイルランド的要素がある気がする。何より、ブラッドベリも信奉した作家だというから、本格的ファンタジー方面、チャレンジしてみたい気もする。
さてさて作品はというと、ビリヤードクラブの名物紳士ジョーキンズが語る、奇想天外な若き日の冒険談だ。冒頭からいきなり、ジョーキンズは『大法螺吹き』だと釘を刺される。まぁ確かに、法螺も法螺、およそ信じがたい話の数々だ、何しろいきなり人魚と結婚してしまうのだから。
とは言えこうした法螺話の類では、語る本人の大真面目ぶりとその風呂敷の広げ方、それに聞き手の剽軽な様があいまって、何ともいえない馬鹿らしさと面白さが生まれるものだ。という独自の論理から行けば、いささか堅い印象のある作品だった。
本筋は馬鹿らしいまでのプロットなのだが、根底に一抹の真理というか、妙な現実感が横たわっている印象がある。そのせいか、なんとなく腹の底から楽しめる、とは言い切れない雰囲気を感じてしまった。展開される奇妙な話と、語り手の堅物さが噛合っていないとでも言おうか。台詞回しなども生真面目な感じなので、なお更そのプロットとの相違が際立つように感じられた。
男爵であると同時に、これまた名門の軍人家庭に育ち、本人も軍務に生き甲斐を見出していたらしいので、そうした拭い去れない堅実さが、表に現れちゃたのかなぁ?等と思ったり。個人的には、飄々としてあっけらかんと不道徳なまでの、大法螺を取ったら何も残らないような作品が好きなのである。読み手にも、その人間性は大きく左右するのかも知れない(笑)。

魔法の国の旅人 (ハヤカワ文庫 FT (47))魔法の国の旅人 (ハヤカワ文庫 FT (47))
(1982/12)
ロード・ダンセイニ荒俣 宏

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『きみがぼくを見つけた日(上・下)』

2008年06月04日 23:10

オードリー・ニッフェネガー著/羽田 詩津子 訳/ランダムハウス講談社文庫
クレア6歳、ヘンリー38歳、クレアにとっては初めての出会い、ヘンリーにとっては過去の出来事だった。ヘンリーは遺伝子的な問題からタイムトラベルを繰り返し、何度と無くクレアの元に現れる。そんなヘンリーの相手をする内、クレアはこの不思議な男性に恋をする。クレア20歳、ヘンリー28歳の時に、現実の時間の中で2人は出会い、普通に恋愛をして結婚する。幸せな家庭を築けるかに思えたが、ヘンリーの病気の事もあって、中々理想的に進行してはくれない。さらにヘンリーが未来へ行った時、クレアとの時間に制限がある事知ってしまうのだった。

『タイムトラベラーズ・ワイフ』という、原題と同じタイトルでハードカバー発売された時に面白そうだと思ったのだが、当時はまだ図書館にも通っておらず、古本屋では巡り合えなかった。そもそもジャック・フィニーに端を発し、懐古趣味も手伝って『タイムトラベルもの』が好きな私。これはぜひとも読まねば!と思っている内に、何故か改題して文庫化されていた。
文庫化された途端に古本屋にお目見えするようになり(笑)、こうして無事、上下巻揃いで入手する事が出来た。しかし何故・・・、あえて改題したのだろう?確かに原題のままだと、何となくスペースもの的な印象が無くもない(笑)。
勝手な想像で、ハインラインばりの骨太なタイムトラベル・ストーリーを期待していた。ええ、勝手も勝手な想像です。そうしたら、かなりロマンス色がこゆ〜〜っくて・・・勝手な期待外れ(笑)。タイムトラベルは、クレアとヘンリーのロマンスに絡む重大な『要素』でしかなくて、それゆえに当然、普通ではあり得ないような障害が山盛りに用意出来るわけだ。
確かにロマンス色はかなり強いが、いわゆるロマンス小説のように、主人公が愛だけのために生きているわけではない。だからロマンス小説と言い切ってしまうには、語弊があるかな?という感じだ。あなたが側にいてくれなくて辛いの苦しいの!とか、そういう熱さは余り無く、どちらかと言ったら、タイムトラベルという困難に立ち向かうカップルの奇妙な姿と心情を、ヘンリーとクレアの双方から交互に語らせつつ、比較的淡々と描いている印象ではあるのだ。独白形式の構成が、べっとりと甘くならずに、良いブレーキ的役割をしてくれていたのかも知れない。
完璧にロマンスでもなく、タイムトラベルという要素も強くない・・・となると印象が薄くなるのは否めないのではあるが、つまらない!と弾劾するよりも、むしろ結構面白くて、久し振りに飛ぶように読めた作品だった。クレアの人生を軸として、現在・過去・未来とヘンリーが飛び回る。先に語られた過去が、後の現在でも語られたりする。よほど構成を練りこんでいないと、上手く描けない状況なのではないだろうか。そうした場合、余分なものは削ぎ取られ、読みやすい作品に仕上がるのが通例だろう。例え物語本体にパンチが無かろうとも、それはまた別の次元のお話よ。
こちらも既に映画化され、アメリカでは今年の12月頃に公開されるようだ。レイチェル・マクアダムズがキャスティングされたとは聞いていたが、以来音信不通で(笑)、調べてみたらヘンリー役はなんと、エリック・バナ・・・・おお!!!!ピッタリじゃないの!配役に問題なしと推測されるので、恐らく映画の方が面白い出来になっているだろうと予想する。

きみがぼくを見つけた日 上巻 (ランダムハウス講談社文庫)きみがぼくを見つけた日 上巻 (ランダムハウス講談社文庫)
(2006/05/01)
オードリー・ニッフェネガー

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きみがぼくを見つけた日 下巻 (ランダムハウス講談社文庫)きみがぼくを見つけた日 下巻 (ランダムハウス講談社文庫)
(2006/05/01)
オードリー・ニッフェネガー

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『ナイフ投げ師』

2008年06月03日 23:45

スティーヴン・ミルハウザー著/柴田 元幸 訳/白水社
噂に聞いたナイフ投げ師が町にやってくる、町の人達は残虐な噂に震え、しかし心ひそかにその場面を思い描く。少女たちは夜毎に町で密会をし、少年は夏の終わりに空飛ぶ絨毯で旅をする。そして野生児は成長し、見事なまでの弁舌を振るう。デパート、遊園地、自動人形劇、より芸術的に、より魅惑的に。常人の想像を遥かに超えて展開する、幻想的で不条理な12の世界。

ナイフ投げ師/ある訪問/夜の姉妹団/出口/空飛ぶ絨毯/新自動人形劇場/月の光/協会の夢/気球飛行、一八七〇年/パラダイス・パーク/カスパー・ハウザーは語る/私たちの町の地下室の下

お初です!お噂はかねがね。という事で、ミルハウザーだ(笑)。一体どこでこの作家の話を聞き及んだのか?余り記憶はないのだが、ずっと読みたいと思っていた作家だった。二の足を踏んでいた理由の1つとしては、アメリカの、しかも現代作家だというところ。
新しい短編集が書店に並んでいるのを見て、これは読まねば!と飛びついたわけだが?どうやらこれ、かなりディープなミルハウザーだったらしい。ファンだと自称する方の感想を読んでも、比較的手厳しい意見がチラホラ見られる。こう言った物議も醸す事が多い作家らしいのだが、私なんぞ新参者には、かなり評価の難しい作品ばかりだったと思う。
現実的なのに、それと平行して幻想的だ。こういうとレイ・ブラッドベリに似た雰囲気を感じるが、これがまた全然違う。どちらかと言ったら、飄々とした中に温かみがあり、寛容な印象すらあるブラッドベリに対して、ミルハウザーは徹底的に冷淡な印象がある。作品の世界がしっかりしていて、余計なものを一切寄せ付けないといった超然とした雰囲気。確固たる筆致、迷いの無い構成、完璧に整備された物語世界の中に、一分の狂いも無く詰め込まれた空想の世界。ミルハウザーって、ドイツ人?と疑問に思うほど、ドイツ文学に毛色が似ていると感じた。
徹底的なまでに己の描きたい事を緻密に、丁寧に積み重ねていく。それゆえきっと、題材や展開が読者の気に少しでも入らなければ、その短編は非常に読み辛い作品になってしまうのだろう。私の場合も幾つかそうした短編があって、また逆に、しっくりくる短編もあったりするわけだ。
気に入った短編をじっくり読んでいると、複雑で風合いのある言葉が溢れんばかりに詰め込まれているのが解る。その厚い言葉の層を冷静に掘り起こしてみれば、その根底に、作品の驚くほどシンプルな主題が見えてくるような気がする。それは例えば少女の無垢さであったり、眩しいほどに輝いた少年時代最後の夏の日だったり、資本主義の脅威であったり、娯楽を求める人々の部外者的な狂気であったりするのかも知れない。
他の著作を調べてみると、やはり私はかなりディープな際物から手を染めてしまったらしい。ここは1つ、別の長編を探ってみることにした。ピューリッツァー賞はブッカー賞と並んで苦手なので(笑)そこは慎重に外して作品を選定してみよう。
とにかく、非常に文章が上手い作家だと思う。構成も確かだ。文字が形を持って現れる以前に、頭の中では全ての話が出来上がっているのではないだろうか?推敲や編集という言葉を、知らない作家という気がする。

ナイフ投げ師ナイフ投げ師
(2008/01)
スティーヴン・ミルハウザー

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『シーオグの祈り』

2008年04月20日 02:48

ジェイムズ・ヘネガン著/佐々木 信雄 訳/ランダムハウス講談社
もう直ぐ14歳になる孤児のトム・マレンは、学校近くの工事現場に忍び込み、大きな穴の中に落ちてしまう。そして落ち着いた先は、トムの住むリヴァプールから遠く離れた、アイルランドの荒涼とした島だった。そこで出会ったモナガン一家、次男タリーは何故かトムにそっくりで、その妹ハナは純真で愛らしかった。時は19世紀、ジャガイモ飢饉の真っ只中。現代に帰る術を知らないトムだったが、里親を転々とした彼にとっては、初めて知る家族の温かみだったのだ。果たして、トムが19世紀のアイルランドに来た事にいかなる意味があるのか?過酷な状況を必死に生き抜くモナガン一家と行動を共にするトムは、厳しさの中で頼れる愛情を見出していく。

どんだけ感動させれば・・・もうホントに、電車の中で何度泣きそうになった事か。『リヴァプールの空』で感動を呼んだという触れ込みの、ああ、私にも大きな感動を呼びまくった作者の、どっぷりアイルランドに絡んだ待望の翻訳新作だ。ランダムハウス講談社さんありがとう!と、出版社にすらお礼を言いたい気分。図書館から借りたのだが、『本泥棒』に続いて、『返したくない〜』と1人勝手に駄々をこねた作品となった。
もうね、良いたい事は山程ある。でも何から書いたら良いのか解らない。脳内で渦巻いちゃってる。全く整理が着かないけど、そのままの状態で私は十分満足なのだ。感想放棄(笑)。
とにかくこの作者、胸に響く良い文章を書く。派手でも大袈裟でもないけど、堅実で心のこもった文章なのだ。だからこそ、青少年向け作品であっても、大人も十分に楽しめるクオリティを保っている。それに、少年の瑞々しい強がりや傷つき易さなどが実に自然に描かれているので、大人としては新鮮な気持ちで読めるし、同年代の子供達でも、素直に受け止める事ができるだろう。
『リヴァプールの空』もそうだったし、翻訳されていないこの他の作品の概要を見てみても、比較的史実にある出来事を題材にして描いてるようだ。本作は、実際にリヴァプールであった大量の柩発掘に関する事件を元に、家族を知らず、孤独の中で生きて来た少年が、過酷な状況でも共に過ごしたいと切望する、『家族』という存在を見出す物語に仕上げていく。勿論、名も無く、記録もされず、発掘されては全て焼却されてしまったという多くの柩に込められた物語を、著者なりの解釈で感動的に組み込んでいる。非常に教訓的でもあり勤勉な内容でもあるのだが、物語の面白さから、その堅苦しさは一切感じられない。
感動的に素晴らしい、素朴さが愛おしい、子供達のひたむきさが苦しくも逞しい。アイルランド国内において、余りにも大勢の人々の命を奪ったジャガイモ飢饉。その話は何度も触れたことがあるし、この作品の悲惨さが全てとも真実無二とも思わないが、事実を伝える一助であり、この出来事を、悲惨さを、衝撃を伝える秀逸な作品でもある。そして、過酷な状況において、人は何を求めるのか、何において、生きる希望を見出すのか。その時人は、いかに強くあれるのか?こうした事も、大袈裟にならず、制御の効いた丁寧な筆致で描かれているのが好ましい。
さて、ラストにおいて、実はちょっと困った部分がある。余りにも話が上手すぎるのだ。ちょっと子供騙しに過ぎる。最初は随分戸惑ったが、上手すぎたとしても、満足の行く結末ではあるのだ。満足も満足なのだが、やはりちょっとね、簡単すぎる。
そこでちょっと考えたのだが、物語の中ほどに、この結末の楽観主義を緩和してくれる記述があった事に思い至ったのだ。だから良いのだ、モナガン一家の為に奔走したトムだからこそ、最後に自分の願いが叶う。彼が過去へと旅立ったのは、このスムーズなラストの展開への布石だったのだろうと。そう思ったら全てがスッキリしたのだ。ただ単純に、満足だけが残った。
のだが!?やはりこの都合の良すぎるラストに関しては、各所で批判が相次いだらしく、アメリカで出版された別版では、ラストが書き換えられて章立てまで変わっているという。変える必要は無いとは思いながらも、別のラスト、、、それはそれで読んでみたい。間違いなく悲壮な色は濃くなっているだろうが、感動の度合いも高くなっているような気がする。思わず、海外書店の購入ボタンを押しそうになった(笑)。
この著者、他の作品の多くでも賞を受賞する、実力は折り紙付きの作家だ。より多くの作品が日本でも翻訳される事を心より願って、久々に、閉じたく無くなる作品を楽しめた事に感謝したい。

シーオグの祈りシーオグの祈り
(2007/11/30)
ジェイムズ ヘネガン

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『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』

2007年12月27日 22:12

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア著/浅倉 久志 訳/ハヤカワ文庫
独特の歴史を持つ、幾つもの神秘のベールを被った様なキンタナロー。現地で暮らすグリンゴ(アメリカ人の意)である『わたし』は、面白くて不思議な話が大好きで、旅人などから時折、興味深い話を聞き出していた。海で見つけた、まるで両性具有のような美しい人間に、心奪われてしまった若者の話。海を愛し海に愛された男が、水上スキーで目指したのは一体どこだったのか?人間に汚染され続ける海、しかしその実体は、実は深い場所に眠っていた。幻想的な3つの短編からなる作品集。

リリオスの浜に流れついたもの/水上スキーで永遠をめざした若者/デッド・リーフの彼方

著者は知らぬが著作は知っている、という認識度。というか、この本はずっと気になっていて、手に入れてやっと著者の事を調べたら、あらあら、結構有名な本を書いていらっしゃる。しかもSF作家だったのね!?と(笑)。
恐らくそこいらのフィクション小説よりも、幾分か興味深いと思われる著者自身の人生。多く語られている事とは思うがあえて繰り返して言うならば、この著者名はペン・ネーム。実際は女性作家である。破天荒・・・いや、波乱万丈?とにかくとても興味深いその人生。SFを書き始めたのは、偉大な母が唯一読まないジャンルだったからという事だそうで、こうした経歴の女性がなぜSF???という疑問は単純に解消された。
そうして見ると、この作品集は、この著者の作品群の中ではいささか異例な分類になるのかも知れない。幾分幻想的ではあるが、かなり現実的な舞台が土台になっている。語り部は昔の思い出話を語るのであり、『ちょっと不思議な物語』程度の域を出ていない。未来の話ではましてない。
表される物語は、まるで本当に旅人から聞いたような、そんな曖昧さがある。『どう思います?不思議でしょ?』という辺りで話は途切れ、後の解釈は聞いたほうに任せるよ、という感じ。突き詰めて想うさまに解釈するならば、どこまでも『幻想譚』的に走っても良いのだろうが、どうもそういうスタンスでは落ち着かない気にさせる。全てには神秘の海が絡んでおり、どちらかといったらバミューダ・トライアングル的雰囲気かな(笑)。
個人的にはそうだな・・・、『リリオスの浜に流れついたもの』が最も好みに近い短編だったかも?自分の想うさまに解釈するなら!という話(笑)。
『水上スキーで永遠をめざした若者』は、若者のその後?その前?の物語のほうが、ずっとずっと面白かったと思う。とは言えそれは、全く違った次元の話。それはきっと、著者の与り知らぬ部分の話となるだろう。
くどい様だが、なんと言っても著者の人生が興味深い。それゆえに、別の作品を読んでみたいという気になった。こうした人生を送り、そこから生まれた人生観などをもってして描かれた物語は、一体どんなものだろう?と思うからだ。それで言うなら本作も、十分にその片鱗を覗かせてくれていたと思う。ならばやはり、本職のジャンルをチャレンジしてみたいではないですか。いかなる語り口で、いかなる物語が繰り広げられ、どんな印象を与えてくれるのか、大変興味深いのである。

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた (ハヤカワ文庫 FT)すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた (ハヤカワ文庫 FT)
(2004/11/09)
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

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『奇妙な新聞記事』

2007年12月22日 23:23

ロバート・オレン・バトラー著/樋口 真理 訳/扶桑社
まるでタブロイド紙の見出しのような奇妙で興味を惹き付けるタイトル。そこから紡ぎ出される物語は、どれも日常を『少しだけ』逸脱した不可思議なお話ばかり。タイタニック号で出会った男女が辿る数奇な運命。夫の不倫を目撃するために外された義眼。僅か9歳の殺し屋となった少年の物語。キスすると相手が死んでしまうという運命を背負った女性。宇宙人を恋人にした女性の孤独。ジャッキーのオークションに現れたJFK。

「タイタニック号」乗客、ウォーターベッドの下から語る/夫の不倫を目撃した義眼/エルヴィスの刺青をつけて生まれた少年/クッキーコンテスト会場で自分に火をつけた女/オウムになって妻のもとに戻った男/車にひかれて淫乱になった女/九歳の殺し屋/キスで死を呼ぶ女/地球滅亡の日は近い/探しています わたしの宇宙人の恋人/JFK、ジャッキー・オークションにあらわる/「タイタニック号」生還者、バミューダ三角水域で発見さる

タイトルと解説に惹かれて購入してみた。ピューリッツァー賞作家が贈るとかなんとかが気になったが、まぁ、最悪って程でもないだろうと(笑)。
いささか小難しいところはあるが、割と好みな展開の作品ばかりだった。タイトルから解ると思うが、最初と最後の物語は連動している。タイタニック号で知り合った男女、それぞれの側面から描かれているのだが、いささか物悲しいというか、かなりシニカルなラストで締めくくっていると思う。というか、最後を読んだ後に、1話目のラストをもう一度読み返して欲しい。著者のちょっとした悪戯・・・というか手痛い構想に当てられるはずだ。
個人的には、女性の視点から描かれた『夫の不倫を目撃し義眼』が面白かった。物語要素も高いし、展開もドラマティックだ。しかも、恋をして相手の不義を疑った事があるなら誰しも思うような行動を、主人公の女は取る。その結果が如何様であろうとも、読んでいて面白い。
『探しています わたしの宇宙人の恋人』も、女性の視点、しかも寂しい中年女性の視点から描かれた話で、なんと恋人が宇宙人であるというお話だ。淡々とした語り口で物語りは進み、その悲劇的な展開ですら、どこか他人事のように語られる様が面白い。何しろ、寂しい中年の女というのが・・・これまた身につまされるような思いだ(笑)。私も今なら、あんな宇宙人の恋人でも良いと思えてしまった(笑)。
どちらかと言ったらダークな印象の作品ばかりだ。人間の不義や不信感、裏切りなどと言った暗い側面に焦点を当てているので、楽しげな奇想天外物語を期待しているとちょいと辛いと思うが、短編集なので、ちょっとした時間潰しには最適。

奇妙な新聞記事奇妙な新聞記事
(2002/06)
ロバート・オレン バトラー

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『魔法使いとリリス』

2007年12月12日 22:30

シャロン・シン著/中野 善夫 訳/ハヤカワ文庫
若き魔法使いのオーブリーは、長年仕えた師匠の下を離れ、変身術の権威であるグライレンドンの弟子となる。あらゆる者達から嫌われているグライレンドンとの生活は不愉快で不気味、年若い師匠の妻リリスはそっけなくも感情を見せない。館の使用人もどこか不可思議な存在であることに疑問を覚えたオーブリーは、やがて師匠の深い闇を湛えた秘密に直面することになる。そして何よりも避けがたくオーブリーを襲ったのは、リリスに対する恋心だった。

久々に、かなり本腰を入れたファンタジーに挑戦した。。。はずなのだが、不思議とそんな気分にはならなかった。確かに、主人公は魔法使いだし、時代感や舞台背景などといった、その他のあらゆる事柄を加味すれば間違いなくファンタジー作品だが。
それでも、魔法にまつわる記述がかなり『現実的』で、その上、その描写は最小限に抑えていたと思われる。『魔法を使うこと』にもある程度の秩序が保たれており、むやみやたらとマジカル・ワールド!に陥らないように工夫してあるように感じた。
魔法の世界を剥ぎ取ってしまったら、物語自体はかなり地に足の着いた現実的な感じだ。オーブリーの仕事とかリリスの秘密とかを、ある程度実現可能な状態にするならば、そこにあるのは『自分のあるべき場所』、『運命の愛』、『権力や力に溺れる愚かさや醜さ』などといった普遍的な事柄。
ファンタジックな要素を抜き取ってしまうと物語が成り立たない場合もあるが、この作品は例えそうしたとしても、十分に読める作品であるように思えた。ファンタジーを感じる部分と現実的な話の軸が溶け合っておらず、それが良い方向に作用していた、、、とでも言おうか?背景や要素がどうであれ、キャラクター達の行動の真髄に、いつの世も変わらぬ、魔法なんか持っていなくても同じだと感じる部分が根強かった。
さて、オーブリーが目覚める真実、そして師匠の醜い秘密、それによって生まれる師弟感の戦いのシーンは、流れるように幻想的に描かれてていて楽しめた。それ以外では自然界の在り方や、人が生きるために必要な尊厳の意味などがそれとなく語られていて、単なるファンタジーを楽しむだけの作品に留めてしまうのは惜しい気がする。そして女性陣には嬉しい(笑)、なかなか胸を締め付けるロマンスが丁寧に描かれている。
リリスの秘密からも、いささか悲しい結末を予測してしまうのだが、これがまた、なんとも避けがたい思いを抱かせる。しかも自然や在るべき場所などと言った、単に『好きだ嫌いだ』では片付かない問題をそれとなく含ませている辺り憎い。
ちょいと捻くれ者の私としては、エピローグが余計だったかなぁ?と思う。あれでちょっと、子供だまし的感覚が襲ってきた。単に夢見がちな要素に寄りかからずに、なかなかしっかりとしたお話だったなぁと思っていただけに、ちょっと残念な気がする。

魔法使いとリリス (ハヤカワ文庫FT)魔法使いとリリス (ハヤカワ文庫FT)
(2003/12)
シャロン シン

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『夜ごとのサーカス』

2007年12月09日 22:18

アンジェラ・カーター著/加藤 光也 訳/国書刊行会
背中に大きな羽を持つ空中ブランコ乗りのフェヴァーズ。その真偽を確かめるために現れた、アメリカ人青年のフリーライターウォルサー。フェヴァーズが語る奇想天外な半生は、眉唾のようでもあり、不思議と真実を感じられる物語。卵から生まれたフェヴァーズは娼館の女性達に育てられ、やがてサーカスに参加して人気者となる。フェヴァーズに惹かれたウォルサーは、そうとは気付かずままに、彼女を追ってサーカスに参加。2人は広大なロシアの大地へ旅をする。そしてフェヴァーズを巡る事件が次々と彼等を襲う事になるのだが・・・。

ワイズ・チルドレン』を読んでいたく感動したので、その前作に当たり、似た作風だと紹介されていたので楽しみに読み始めた。確かに、下町娘のフェヴァーズが波乱万丈の半生を語り、それでも力強く生きる様は、その後に続く『ワイズ・チルドレン』に通ずる物がある。しかしこの作品は、『ワイズ・チルドレン』に結実する、下町娘の放埓な人生をコミカルに、またブラックさを交えつつ描くような、それでいて深遠さがあり、軽い文体の裏に脈々とそうした要素を包括しているあの完成度とは少し違った。
完成度と言い切ってしまうには語弊がある気もする。この作品はこの作品なりに、非常に高い水準の仕上がりだと思う。しかも、『ワイズ・チルドレン』には無かった、若い男女の恋愛模様、しかも運命の出会い的な甘い要素もあったりするのだ。
フェヴァーズを中心として、様々な『社会的、人道的』に弱い立場の人が脇を固めている。唯一違うのは、フェヴァーズを追い求めるウォルサーぐらいだろうか。『ワイズ・チルドレン』でもそうであったように、著者は社会の根底でも根強く逞しく、かつ明るく生きようとする人々を、温かみと共に辛辣な視線で描き出す。その辛辣さはこの作品の方が格段に上で、稀に同情できないような人も登場する。面白いのは、サーカスの猿の一団が素晴らしい知性を持っていて、彼等なりに当然と思える、いや、囚われの人間達が起こせなかったような真っ当な反逆を起こすところだ。著者なりの弱き人間達に対する、痛烈な激励が込められているような気がした。
作者が著した弱い人々は様々で、当時まだ社会主義国家であった崩壊前のソビエトを舞台に据えた辺りも興味深いと言えるだろう。果たして著者はどこまで、そうした要素を表現したかったのか?余りにその要素が多すぎて判断が出来ないくらいだ。
もしかしたら、単に興味深いい素材であるからという理由だけで、奇形や貧民階級、愚鈍で無知性、国による制圧に苦しみつつも、あえて問題を直視しないような、悲劇を甘んじて受け入れるような、そんな様々な境遇の人々を題材に据えたの知れない。
それでも多くのそうしたキャラクター達は、あっけらかんと明るく、逞しく、己が道を、己が人生を突き進む。フェヴァーズを育てた娼婦達、その後に彼女が出合った見世物小屋のフリーク達、そしてサーカスで出会った虐げられた女達。そう、この作品においても、著者は『弱き人々』の中に『女性』を組み込んでいる。ほとんどが性的に虐げられている女性ばかりだが、日の目を見るのも、強く親しみやすいキャクターであるのも女性ばかり。やはりこの著者は、そうとうなフェミニストだったろうと思わせられる。
ラストはなんだか嬉しくなるような、淡いロマンスの香りを漂わせ、難しい記載も多くあるが、全体としてはファンタジックな雰囲気の高い水準を保った文学作品だ。ファンタジーでもあり、奇想天外な物語なのに、しっかりとした文学という印象がある。この著者の魅力をじっくりと味わえる良作だ。

夜ごとのサーカス (文学の冒険シリーズ)夜ごとのサーカス (文学の冒険シリーズ)
(2000/09)
加藤 光也、アンジェラ・カーター 他

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『ユーラリア国騒動記』

2007年11月02日 14:41

アラン・アレクサンダー・ミルン著/相沢 次子 訳/ハヤカワ文庫
ユーラリア国の王様は、隣国のバローディア国の王様に朝食の時間を邪魔されてご立腹。『七里靴』でユーラリア国を跨ぐバローディア王のヒゲを矢で射抜いた事がきっかけで、両国は戦争に突入してしまう。全ての男性を引き連れて戦争に赴いたユーラリア王、残されたのは年若いヒヤシンス王女と、腹黒いが美しく人気者のベルベイン伯爵夫人。伯爵夫人は何とか王女を失墜させて、国を我が物にしようとする。その脅威を感じた王女は、アラビイ国のユードー王子を呼ぶ事にした。しかし王子は、伯爵夫人のいたずらによっておかしな動物に変えられてしまうのだった。余計なお客まで背負う羽目になった王女、父王はいまだ戦場にいた。

『クマのプーさん』で有名なA・A・ミルンが、第一次世界大戦従軍中に書いたこの作品。プーさんで一躍有名になる前の作品だそうだ。全体的に童話要素タップリのこの作品、しかしピリリとブラックなユーモアが効いていて、果たしてこれは、子供向けなのか大人向けなのか?
最初は、戦争従軍という経験から、無為な闘いに対する痛烈な風刺なのかと思っていたらどうやら違うらしい。単純に子供向けの劇のために夫人に頼まれて書いた作品を、更に小説の形にして出版されたものだそうだ。
しかし、ベルベイン伯爵夫人の腹黒だが能天気であっけらかんとした姿には苦笑するし、せっかく救済に現れたユードー王子も、ヒツジとライオンとウサギの部位を持つおかしな動物になっているし、たとえ人間の姿だったとしても、ちょいと頼りにならない、言わば権力や立場にあぐらをかいた感じの不肖王子。普通の童話であればあり得ないような大人世界の不条理をそれとなく染み込ませた辺り、やはりこれは大人向けのシニカルな童話なのかも知れない。
なんと言っても、ユードー王子が『使えないヤツ』というのが童話らしからぬ点ではあるが、ユーラリア王の単純さやバローディア国との戦争の単純さなどは童話そのもの。なんと言っても、勝利をものにする手段も笑える。その反面で、殺戮と悲劇しかもたらさない戦争に対する著者の意見も混ざっているのかも?なんて。
バローディア王の転身なども、その裏に何かしらの意味があるのかも知れない?などと思いながら読める作品だ。全体に意味を見出すもしないも、読者次第という事。単に不可思議で楽しい童話として楽しむも良し、深遠な真理を読み解くも良し。きっと作者もその辺、深い意義を持たせようとは思っていなかったのだろう。とにかく楽しんで作品を書いたそうだから。そんな著者の楽しいという気持ち、これはどの読者にも間違いなく伝わる作品だろうと思う。

ユーラリア国騒動記 ユーラリア国騒動記
A.A.ミルン (1980/01)
早川書房
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『アイリッシュ・ヴァンパイア』

2007年10月10日 23:21

ボブ・カラン著/下楠 昌哉 訳/早川書房
世界に数多あるヴァンパイア・ストーリー。その中でも有名な著作を生み出したのは、アイルランドの作家達だった。思い返してみれば、ヴァンパイア・ストーリーの根底に流れるスピリッツは、アイルランドの伝承に酷似している。ここで、ケルトの伝説を下敷きにした、アイルランドに伝わる幾つかの『血を飲むもの』の物語をお伝えしよう。
炉辺にて/森を行く道/乾涸びた手/仕えた女

吸血鬼ドラキュラの生みの親ブラム・ストーカー。彼はアイルランド人だったのです。そして『吸血鬼カミーラ』の著者もアイルランド出身のシェリダン・レ・ファニュ。ブラム・ストーカーに関しては過去に色々話を聞いたが、その中に、『1度もルーマニアに行った事は無かった』というのがある。
先に描かれていた『吸血鬼カーミラ』のプロットやイメージ、モデルとなったトランシルバニアの串刺し公の僅かな記述だけで描かれた、異国の地を舞台にした『吸血鬼ドラキュラ』は、その容貌の端々にアイルランドの姿が描かれているとし、ケルト伝承と古くから伝わる逸話を下敷きに描かれた『血を飲むもの』達の物語だ。ここ数年、アイルランドにおける吸血鬼回帰の運動が高まっているらしい。
黒いマントを翻して、青白い顔の美青年が、美女のこれまた白く艶かしい首筋を狙う・・・などと言う記述は全くなく、『血を飲むもの』の姿も、幽霊や干乾びた死体など、様々なものに姿を変えて描かれる。目に見えないからこそ恐ろしい、未知なるものへの恐怖を描いたゴシック・ホラーのようだった。
かといって格別背筋がブルブル震えるほどの恐ろしさは無く、強いて言うなら『乾涸びた手』が一番恐怖心を呼び覚ましたかな?『仕えた女』などは、領主の無視しがたい存在がアイルランドらしさを上手く導き出し、幸福な家庭に暮らしていた少年が恐ろしい現実に立ち向かう様を描いている。タッチとしてはおどろおどろしいというよりは、なんとなく爽やかな印象すら憶えてしまった。
思うのは、『血を飲むもの』の存在がやはり、どうしても、上流階級(主には領主)の存在であるというのが、最もアイルランドらしいと言う気がしなくもない。権力に制圧された歴史と、その力に対する恐怖心。アイルランドの人々にとっては、イギリスの勢力も強い上流階級の人々が、彼等の生活を搾取し脅かす、まさに『血を飲むものたち』だったのだろう。
単純に物語としては、こういったホラー物は好みでなく余り読まないので、なんとも言えないかなぁ(笑)。スラスラ読めたし、面白かったとは思うけど。

アイリッシュ・ヴァンパイア アイリッシュ・ヴァンパイア
ボブ・カラン (2003/11/19)
早川書房
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