総括、年末のご挨拶

2006年12月30日 18:04

さて、今年のものは今年の内に♪と思ったが、書き残した映画の感想が2本。
それでも、今年観た映画の『良かったランキング』を作ってみた(笑)。
あくまも基準は『今年』に『私が観た中で』良かった作品だ。
制作年代は度外視するとして。

1.『クラッシュ』<やはりこれ以外に思いつかない第一位!>
2.『おさるのジョージ/Curious George』 <ギリギリ、すべり込みセーフで2位>
3.『明日へのチケット』<こちらも近々の鑑賞だが、本当に良かった>
4.『麦の穂をゆらす風』 <もう外せない!語るべきことの多い映画>
5.『ブロークバック・マウンテン』 <今年の話題作、そして秀作>
6.『白バラの祈り−ゾフィー・ショル、最期の日々−』 <衝撃の一作>
7.『イノセント・ボイス 12歳の戦場』 <個人的に余りにも大きな影響をくれた>
8.『RENT/レント』 <素晴らしい脚本、演出、これぞ映画!>
9.『キングダム・オブ・ヘブン』 <非常に良い出来の歴史大作>
10.『ゲス・フー/招かれざる恋人』 <意外なところで、本当に面白い作品>

≪番外編≫
『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』 <渋い男の世界>
『海を飛ぶ夢』 <主演俳優の勇姿に敬意を表して>
『そして、ひと粒のひかり』 <衝撃作!観ておいて欲しい>
『理想の恋人.com』 <久々に胸に染み入る大人のラブ・コメ。お気に入り♪>
『サルサ!』 <本当に面白くてよく出来た作品>
『ティム・バートンのコープスブライド』
<外せない・・・だけどトップ10には入れられない・・・>
『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』 <余りにも遅く観すぎた>
『NINE QUEENS 華麗なる詐欺師たち』 <アルゼンチン映画侮れじ!>
『バッド・エデュケーション』<良かった・・・が?好みが分かれそう>
『バタフライ・エフェクト』 <ストーリーが大変好み、秀作>
『ニュー・イヤーズ・デイ 約束の日』<久々に若さを楽しめた作品>
『ロシアン・ドールズ』<文句無く楽しい、ヨーロッパワールド全開!>
『イン・ハー・シューズ』 <泣いた、久々に泣いた姉妹のドラマ>
『ジャーヘッド』<語らないことで語る斬新な手法の戦争映画>

さてこんな感じだ。
今年も沢山映画を観て、沢山楽しい経験を疑似体験させていただいた。
来年も素敵な作品に沢山出会えますように。

今年一年、このblogを訪れて下さった皆様にも、良い年が訪れますように。
また来年も、懲りずに来てやってください(笑)。

有意義な映画?

2006年12月26日 18:09

先日ある番組の映画紹介のコーナーをたまたま観ていたら、出演していたおすぎさんが『日本の映画はほんっと下らない。男がただ泣いてるだけの映画ばかり』とか言う趣旨の事を言っていた。要するに、『意味の無い下らない内容の映画ばかりだ』ということらしい。共演者の方の必死のフォロー、涙ぐましかったです(笑)。
実際私は日本映画は殆ど観ないし、洋画にしても、何かしら考えさせられる内容の作品を見ることが多い。しかしおバカ映画も大好きだ!これまで観た映画のトップ10を作るとしたら、『ズーランダー』は外せない(笑)。
果たして映画に『深い意味や意義』とは必要だろうか?と考えてしまった。
答えは、『いらないでしょ』。
そもそも映画なんてのは芸術作品と一緒。鑑賞する人個々人の主観でもって大きく感想が分かれてくるものだ。ジャンルも多岐に渡っており、大抵の人が『好きなジャンル・嫌いなジャンル』ってのを持っている。
例えば何かしらを強く訴えかけてくる内容や、軽はずみに断じれない内容の作品であったとしても、人々の意見、感じる部分は様々だ。
そうして考えると、『おバカコメディ』と銘打っておきながらも、見方によってはそれなりに、ちゃんとした『意味』があるものだろう。制作者側は『作りたい』と願うものを作れば良いのではないだろうか?そこから何を拾うかは、観る側が決めれば良い。
自分が何も感じられないからと言って『この映画は意味が無い』と決め付けるのは間違えているだろうし、そうした映画を切り捨てることなどは問題外。
例えば『男が泣いているだけの映画』(多分大ヒットした例の恋愛映画のことでしょう?)にしても、『私もあれ程愛された〜い』と思ってみたり、『あれ程誰かを愛してみたい』と思ってみたり、そこから自らの過去の恋愛の失敗点を探ったりする人がいるだろうし、そこから改善点を見つけて生かし、最高の恋愛を掴む人がいるかも知れない。
以前も日記に書いたが、映画を作っているのは『人』だ。そこには必ず、個人の深い意思が潜んでくる。どんな映画でも『誰かの意思』が反映されない作品は無いはずだ。
だからこそ、人間が映画を作っていれば必ずそこに、どんな些細なことであったとしても『意味』は存在するのだ。
『重要な意味が無い』のではなくて、『重要な意味を観つける見方』をすれば良いのであって、その辺の意識の違いで、映画が数倍も面白くなる事は請合える。
ただし、全てに関してこじつけてでも意味を観つける必要もないだろう。肌に合わなければ、それは制作した誰かと決定的に意見が合わないという事。人間は十人十色、それでこそ出会いが面白いのだから。

英文を読むということ

2006年12月07日 18:02

読書と映画鑑賞の記録、時折私の感じた事を書くというスタンスを続けてきたこのblogに、なんと新たな動きが!(笑)。
最近、英語の勉強のために『洋書』を読み始めた。最初は普通の洋書に手をだしたのだが、これが古典だったためにあっさり挫折(笑)。なんと言っても、言い回しが古いばかりか、シェイクスピアなどからの引用やもじりが多様されていて、とてもじゃないが着いて行けない。そこであっさり現代文学に切り替えた。
しかも、アイルランドで発行されている、難読症の為の本。決められた単語数、解り易い文体で書かれたこのシリーズ、しかも書いているのは、アイルランド内ばかりか、世界でも有名な作家が多数含まれている。
実際手にとってみると、本当に薄くて読み易そうで、意欲もムクムクと湧き上がってきた。これまで翻訳に頼ってきた自分が、近い将来原書で楽しめるかも?という高すぎる目標にニンマリする。調子に乗って『読書【洋書】』なんていうカテゴリーまで作ってしまった。果たして、いつまで続くものやら?いや、頑張ろう。

1冊読み終えて思うのは、やはり日本語の文の方が良いなという、元も子もないことだったりする(笑)。英文でも十分に楽しめたとは思うのだが、果たしてこの楽しさが合っているのかが覚束ない。
幸い、言語交換相手のアメリカ人に解らない箇所は聞く事が出来たのだが、彼にしても、アイリッシュ・イングリッシュは馴染みがない部分が多少あった。
何より、読んでいる時の没頭の仕方が、日本語と英文では格段に違うのだ。英文だと、どこか落ち着かないというか(笑)、小説の奥深くまで入り込む事がどうしても出来ない。言葉の裏に隠された事柄も読み取る事が出来ないし、ただ作家が書いた表面をなぞっていると言った感じ。なんだか勿体無い気がした。
しかしこの挑戦で英文読破に磨きをかけ、いずれ近い将来(いや、遠い将来か?)、言葉の裏により深い意味がこめられた作品を楽しめるようになる、、、、つもりだ。

文章の違い

2006年12月05日 15:04

文章の上手い下手、技術的な問題も色々あるだろうが、何はともあれ『目線』が重要なのだと思った。なんでそんな事を思ったかと言うと、格闘家、須藤元気氏の公式HPのダイアリーが好きだからだ(笑)。

格闘家でありながら、エッセイ本、しかもスピリチュアルでOLに大人気(らしい、と宣伝に書いてあった(笑))の内容のエッセイ本を出版している。
興味があったのでHPを訪れてみたのだが、このコンテンツのダイアリーにすっかりはまっている。お忙しいとは思うのだが、ぜひとも最低限週1のペースで更新して欲しいと思うほど面白い。
文章の運び方、まとめ方、いわゆる技術的にも上手いのだが、何より目線が楽しい。ああ〜、そこ見てそう感じた!?と、まさに目から鱗が落ちそうな思いだ。

ご本人は非常な読書家だそうで、しかもかなり広範囲の守備範囲をお持ちだ。私のように海外小説、しかも少ないジャンルになあどこだわっていない。
ただ、本を沢山読むからと言って、文章が上手くなるとは限らない。全く関連性が無いとも思わないが、それはある程度のスタイルを確立できるだけに留まり、所詮誰かの真似事の枠は出ないのではないだろうか?

やはり才能というヤツなのだろうな。
私は簡単に才能の限界を感じるので、文章に関してはこれ以上は求めていない。何より、技術的な面の向上は可能だろうが、衆目の興味を惹く興味深い目線というのは、鍛錬してもなかなか難しいシロモノ。こうした目線が無ければ、所詮面白い題材を掘り出すことは難しく、面白い文章を書くことも難しい。
時折、『上手い文章』と『普通の文章』とはなんだろう?と考える。そこで得た1つの答えは『目線』。しかし、これ以外ではっきりとした線引きが、まだあるように思えてならない。文章なんて誰でも書ける!とは思うが、読む人がいるとなると、やはり中々難しいものなんだな。当たり前のことを神妙に実感。

監督の一言

2006年12月04日 14:30

さて、あっという間に『世界バレー』が終了(笑)。予想通りの結果とはいえ、2年後に期待が持て、弾みがついたように感じられる戦いを繰り広げてくれたと感謝。
セルビア・モンテネグロ戦の後だったかな?植田監督がその日の試合を語って、『結果が悪ければ、全て監督の責任』 と言い切った。思えば長いスポーツ観戦暦の中でも、こうして監督が自らの非と言った記憶はほとんど無い。
確かに試合が始まってしまえば、その結果は選手によるところが多いのだが、采配とは非常に大きな意味を持ち、それ1つでも違えば、結果は悲惨なものになりかねない。しかしだ、それを認める監督は少ないと思うのだ。もちろん、試合に至るまでの道のり、戦術や強化においても監督の力の及ぶ部分は大きく、そこに己の力を波及できないなら、むしろ監督なんぞは要らないわけだ。
全ての責任を負い、レベルを上げ、試合に勝利する義務を負っているのが監督だろう。それでもやはり、酷い負け試合後、選手を責める監督は多いのだが、こうして『全ては自分の責任』と、自らを責める監督は少ない(というかはっきりした記憶が無い)。

監督インタビューを見ていていつも思うのは、『傍観者』的発言が多いな〜という事。妙に冷静だったり、まるで解説者のように終わった試合を語っていたりする。時折『我々は次の試合も準備をして勝つだけだ!』なんていう人もいるが、それも所詮、選手ありき、勝つ実力ありきの監督の口からしか、真実味を持って聞こえない気がする。

『全ては自分の責任』と言ったからとて、戦った選手のミスが無かったわけでもなく、『そりゃそうだ、あんたがいけないんだよ』と突っかかる人もいないだろう(笑)。大体だ、真剣勝負の戦いの場において、誰が悪いなどのしょぼい話は無いと思っている。
とかく責任の擦り付けに、良い結果なんぞも生まれない。
監督がそう言ったのは、選手の力を信じればこそ。その力を上手く使いきれなかった自分への反省をこめてなのだろう。そして何よりこの監督は、選手と一緒にコートの上で戦っていたんだなと、少なくとも私には思わせてくれた。

今回のバレーを取り上げても、誰かのレシーブが悪かったりしたろうし、サーブミスが多かったりしたかも知れない。研究されたアタッカーのスパイクが決まらなかったり、焦って単純ミスを繰り返したかも知れない。
しかし監督も同じく、気持ちだけはしっかりコート上にあったからこそ、試合に自分の力を重ねて、『責任は私にある』と言わしめたのではないか?どんな希望的な言葉を聞くよりも、この一言が強く仲間意識や闘争意識を感じさせ、信頼できる監督という印象を植え付けてくれた。

何よりも、選手が一番、この言葉に奮起するのではないだろうか?そうでなければいけないと思う。実際に肉体を使用して戦っていない監督は、簡単に言葉だけで責任逃れが出来る、しかも立場の強いリーダーなのに、『全責任を負う』と言われたら?
これを自分の立場に置き換えてみたら良く解るはず。上司が部下である自分のミスを、非難だけして『まぁ、これから頑張れや』と言い捨てるか、自分と一緒になって、頭を下げてくれるのか?
果たして、どちらの上司に対して、より強い信頼を感じるだろう?
果たして、どちらの上司のために、限界を超えても頑張ろうと思えるだろう?
『自分のために』という思いから、『上司のために』という気持ちに切り替わるのはどちらだろう?そして人は、『誰かのために』という犠牲的な気持ちによって、実力以上の奮闘を勝ち得る事が出来る。少なくとも私はそう思う。

監督とは、数いる選手達の信頼を勝ち得なくてはならない、言わば『気持ち』を扱う難しい職業だ。それゆえか『理想の上司』などというアンケートに、必ずプロスポーツの監督の名前が入ってくるのではないだろうか?
そうした意味で、植田監督は部下の気持ちが解り、常に一緒に戦い、必要とあらば身を投げ出してくれる理想的な上司なのだと思う。

ここで甘えるか、己により厳しくなれるか?それだけでも、その人の真価が解る。その後の2戦、負けはしたが、多くの希望が見えただろう。ロシアからもフランスからも1セット獲り、20点を超えて追い上げたセットもあった。さて果たして、日本代表の選手達は、どのような真価を持っていたのか?答えはもう見えているでしょう。

2年後、諦めきっていた北京オリンピックでの日本男子の活躍。
もしかしたら見られるかも知れない、かなり大きな期待が生まれた。
そしてそのコートの上で、大の字になって喜びを表す、植田監督の姿も見られるのかも知れない、それが私は楽しみだ。

さぁ、バレーボールだ!

2006年11月30日 17:35

さてと、現在行われている『世界バレー』、男子の部。何も負けが込んできた今頃書かなくても?と思うが、今だから書こうかな(笑)。
バレーボールは私のスポーツ観戦の原点だ。ちょうど中学時代、日本バレーが男女共に強かった時代に虜になった。高校では男子バレー部のマネージャー。オリンピックなどでまとめてスポーツを見るのではなく、1つの競技だけを追いかけて見るきっかけを作ったスポーツなのだ。
なので、少し前の男子バレーの存在はもう、涙無しには語れないというか。。。
負けが込んでくると、タイムアウトで集合しても言葉が無く、コートの上でも落ち込んだ顔が隠せない。そんなことで1点でも多く奪うなんて笑止千万。その情けない姿にコチラも打ちのめされて、以来かなり長い間観戦することを避けていた。
というか、オリンピックに出られなくなった頃から、テレビ放送もガクンと減ったのも事実だが。見たくったって見られやしなかった。

女子は次第に盛り返してきた。戦歴以外でも、彼女らの勢いは見ていて気持ちが良かった。負けようがなんだろうが、要は気持ちが大切なのだ。今だって、『オリンピックに行きたいんじゃない、行くんだ』と言い切った女子選手の言葉は記憶に強く残っている。その意気だ!それだからこそ、応援し甲斐がある。

しかし男子は、長らく低迷を続け、前回オリンピックも出場が果たせなかった。『行くんだ!』と言い切った女子に対して、『山本君、僕をオリンピックに連れて行ってくださ〜い』と陽気に言った選手がいたぐらい。そりゃ無理でしょう。『俺が連れって行ってやる!』ぐらいじゃないとね。気持ち的には。

これまでの対戦、そして昨日のロシア戦を見ていて、本当に気持ちが良いぐらい変わったなぁと思った。監督の力が大きいのかな?と思う。あの方のオーバーリアクション、ああいうの大好きです(笑)。選手もつられてしまうでしょう。
フルセットで3、4、5セットと連取した試合も素晴らしかったが、例え負けたとしても昨日の試合、追いつこう!という意気込みは十分に伝わってきた。諦めてはいなかったわけだ、最後まで。
若い選手が多いこと、日本代表経験が少ない人がいること、こうした要素も起爆剤になっているのだろう。長くバレーを続けてきて、諦めたら一体これまでの人生なんだったんだ?という強い思いも窺える。

これから先は負け試合が続くだろう。ヨーロッパの強国が名前を残し、ただでさえ上位チームとしか当たらない。反して日本はホームの利がある。(これはまた余談だが、余りにも日本よりの応援は、ちょっとばかり見ていて恥ずかしい)
完全ホーム、サッカーでも有り得ないほどの状態で戦っているわけだから、多少力が不足していても今の状況があるわけだろうが、これからは地名の利なんて通用しない相手ばかり。頑張って貰いたいと思う。例え全て負けたとしても、1点でも多く獲れるように、これまでの気合を少しも殺がれぬように。

バレーはサッカーと違って、実力の差が大きく左右し、その力関係を覆すのは難しいスポーツだと思っている。戦略なども重要だろうが、日本人には難しいかなりの『パワー系』スポーツなのだ。頂点に立つのは難しいだろうが、今の日本の勢いをこれからも保ち・・・いや、もっともっと盛り上げて行って欲しいもの。

2008年、北京への道は、かなりはっきり見えてきたのじゃないだろうか?

暖冬に戸惑う

2006年11月29日 14:21

11月ももう間もなく終わりなので、ちょっと頑張って日記を書こうと思う。
別に、頑張る必要もないのだけど(笑)。

今年の冬は『暖冬』になるらしい。というか、既にその兆候が前面に押し出されている感がある。毎年11月の半ばには、手袋が無ければ毎朝の自転車走行が辛くて仕方が無いのに、今年はまだ必要が無い。ロングコートも、まだまだお目見えするには時間がかかりそうだ。別の日記で昨年の10月半ばの日記に、衣替えをしたと書いてある。確かにそうだろう、大抵そのぐらいにするものだ。
しかし私の場合、通常使用できる収納スペースが、箪笥2棹、高さ180cm、幅200mを超える大型ハンガーかけ、あちこちに散らばるクリアケースと多分にあるために、仕舞い込んでしまう季節物の洋服が少ないことも手伝って、急いで衣替えの必要がないのである。薄手のセーターや長袖のカットソーなどは、365日直ぐに取り出せる状況にある。従って私の場合の冬用の衣替えとは、厚手の真冬用セーターを出すという事実に限られる。今年はまだ、その必要が無いでしょう?

時に雨が降ったりすると猛烈に寒く感じることもあるのだが、それでも外気はせいぜい12〜13度ほど、真冬の寒さに比べたら、全くゆるい寒さなんである。
それなりに上着でカバーしてしまえば、全く困らない寒さだ。
とにかく寒いのが大嫌いで、寒いと意味も無く『泣く』というぐらいへたれの私としてはありがたい話なのだが、やはり洋服の変え時が見えないのはいささかやり辛い。突然寒くなるのも嫌だが・・・面倒なことは先送りにしたいのだ(笑)。単なる不精者。

この暖かさとは別に、今年は『ストール』を活用しようと決めた。
寒さ防備とファッション性を鑑みて、マフラーの類が大好きで結構な本数を持っている。寒さに合わせてタイプの違うものを各種取り揃えているので、マフラーに関しては先月から大活用している。
ストールも幾つかあるのだが、今の家に引っ越して、駅まで自転車利用を余儀無くされてから、肩にかけるタイプのものは使い辛くてしまいこんでいた。しかしあの大判のストールを、首にぐるぐると巻きつけると結構可愛い事に遅ればせながら気がついた今年。眠っていたストールを大活用することにした。

さて、真冬に向けて気分は準備万端なのだが、行動を起こす時期を窺っている毎日。私としては有り得ないと思っていた感情だが、この暖かさに少し戸惑っている。人間それなりに生きていると、自分でも驚くような感情に気がつかされるものだな(笑)。

風邪ひいた・・・

2006年11月22日 17:55

風邪を引いてから、もうほとんど3週間が経過。いや全く、困ったものだ。
私の場合、喉が痛い場合は1〜2日で治る。喉からの場合は滅多に悪化しないのだが、鼻水が出始めると最悪。長引くことこの上無い。発熱はしないのだが、ダルイ状態が延々と続くのだ。
今は訳有って医者に行けないので、市販の薬で破産しそう(笑)&効き目が弱いから1日数回!で肌の状態もボロボロだ。

特に何が困ったといって、読書量が激減したこと(笑)。
最たる原因は『半身浴』が出来ないので、ハードカバーを読む時間が無くなった。
電車に乗っても、大抵は隙間を見つけて座り込み、寝られるだけ寝ようと努力してしまう。別に義務でも何でもないのだが、読書量が減るとなんだか落ち着かないのは、読書を始めた頃についたクセだ。

反して、映画を観る時間が増えた。そもそも体調が悪いときに、細かい字は追うことが出来ない。以前日記に書いたようにちょっとばかり読書に難があるので、少しでも体調が悪いと全く意味が理解できなくなるのだ。
そのため映画も、字幕が易しそうなものを選んで借りまくった。ボケーっと時間を楽しく過ごすには、映画は最適なお供になる。

早いところ風邪を治して、ちゃんと読書が出来る体に戻りたい(笑)。体調が単に悪いだけではなく、これは思わぬ障害なのだ。
私の周りでも風邪が大流行。全く持って、流行る必要の無いものなのだが、これから年末にかけて忙しい時期、皆様もご自愛くださいますよう・・・。

第二の人生か・・・。

2006年11月21日 17:07

イアン・ソープが引退か・・・、しかしこれ、個人的には意外でも何でも無い。このところ競技会に出ないこともしばしばだったし、オリンピックの時も精彩を欠いていたように思っていた。優遇措置(実際は違ったのだけど)でオリンピックの代表になり、かかるプレッシャーや自分のために代表を『辞退』した選手を思ってか、レース後に流した涙、そこに彼の抱える複雑で大変な事情を見た気がした。
若干24歳。しかし19歳頃に全盛を極めた男には、『既に』の前置きが着いてしまうのか?それにしても、1つのことを立派にやり遂げた事には変わりなく、非常に素晴らしいものを残した事実も変わらない。

こうしたトップクラスの選手になればなるほど、彼等を作り上げた『スポーツ』が、唯一無二でなかった事を知らされて驚く。どうも日本人というのは、『死ぬ気でやる』という精神が無ければ、頂点は無いように思っている節があると感じる。3度の飯より練習が大事とか、恋愛やオシャレなどと言った余計なことは考えるな!他のスポーツなんか眼中に入れるな!と言った必死さのようなもの。
それを証拠に、女性のアスリートで化粧っ気のある人は少なく、幾つかの団体では化粧が禁止されているそうじゃないか。確かに汗をかくスポーツだから、化粧はある意味邪魔である。でもね?良いんじゃない、ジョイナーみたいな選手も、立派に一流になれるんだからさ、化粧ぐらい、マニキュアぐらい、オシャレぐらい。
だから私は、北島康介がヴィトンのスイムウェアをプライベートで着たりするのは大賛成。ちょっとぐらいタガが外れたような雑誌などに、モデルとしてアスリートが出るのも良いと思う。要は、人間息抜きが無ければ成長は止まる。高いモチベーションも、持ち続けるのは不可能だと思っているという事。

大分以前だが、海外のトップアスリート数人に『日本人選手は何故強くなれないのか?』という、ある意味自国メディアがして良いのか?と思うような質問をしていたことがある(笑)。私が最も印象に残っている答えは『日本人って、これと決めたら他のスポーツをやらないでしょ?それしか知らない、やらないというのは、成績を伸ばす上ではデメリットだと思う』というものだ。
海外の多くの選手は、練習の一環としてではなく、オフシーズンや趣味で多くのスポーツをこなすそうだ。その中から意外な才能を見出して、全く違う畑で活躍を始める人も少なくないという。マリオン・ジョーンズだって、元はバスケットの選手。基礎練習の走りから拾われた人だ。それであのメダルの数。
なんというか・・・一生懸命も度合いを過ぎると、足枷にしかならないのかな?と思う。

だから、イアン・ソープのように若くして引退する選手も多いのだろう。彼らは他の沢山の世界を知っている。自分にある、無数の可能性を、必死にスポーツをやりながらちゃんと探っているのだ。しかも、1つのことであれだけの実力を持った人というのは、その他にも無数の可能性を持っているから羨ましい(笑)。海外の一流選手で、立派な学位を持っていたり、法律や会計の免許を持っている人も多いそうだ。そういうものを、取得する余裕が現役時代からちゃんとある。才能があるからか、先見の明があるからか、世間や団体が許すからなのか?私には確かな答えは解らないけれど。
最近では日本でも、そうした『現役時代から他に目を向ける』選手が増えてきているように思うが、まだまだ、実感として見えてくるほどではないんだな。
そうして考えると、やはり中田英寿って、ワールド・クラスのスポーツ選手だったのだなとつくづく思う(笑)。

風邪と占い

2006年11月09日 17:06

久し振りに風邪を引いた。発熱はしていないが、大量の鼻水と咳に苦しめられている。会社に行ってもやる事もないので、甘えて2日ほど休ませていただいた。
発熱をしたのは遥か5年ほど前。以来発熱は無いものの、こうした熱以外の風邪の症状なら年に2回は出ている気がする。

先日友人と中華街に行ったのだが、いい年をした女が2人、ランチを豪勢に食べて、少し歩いてカフェで休憩して、買ったものは肉まんとお茶という食べ物尽くし。
夜御飯のために場所を移動しようと思ったのだが、ハタと、あまりに非生産的なお出かけに情けなくなり、何か『食べ物』以外のアトラクションを!と決めたのが『占い』だった。中国=4千年の歴史=なんとなく占いが本気っぽいという縮図か、中華街はいたるところに占いのお店が出ているのだ。

多分・・・余り良くないお店に入ってしまったようで、教えられたのは私の健康運のみ。ただしかし、いきなり『腰痛あるでしょ?』と言われ、確かに、私の腰痛は長いことネックになっており、このせいで、大好きなサービス業の職を諦める結果になった。
手相って、そんな事も解るんですね。
『余り丈夫なほうじゃないけど長生きはするから、病気と闘いながら長生きしないよう、健康には十分気をつけてね』とも言われた。
実はコレ、この方が初めてじゃない。手相を見てもらった際、必ず言われることだ。しかし今回は、『余り丈夫じゃないし、疲れやすい体質だけど、色々やっちゃうタイプだし、自分が弱い事に気がついてないというか、無理しちゃうでしょ』とも言われた。

確かに、弱い体質だとは思っていなかった。風邪も滅多に引かないし、大病もした事が無い。ストレスで胃を壊したことは3度ほどあるが、、、と、考えてみれば、確かに弱いのかも知れない。そんな矢先の風邪だった。やはり弱い子なんだろうな。

しかし手相って、いい人に当ればなんとなしに希望が持てるような未来を見せてくれるが、ダメな人だとつまらない。
結局腰痛なんて言われなくても解っているし、長生きするのは家系だ。ウチは不慮の事故以外で早死にした人意外は、父方も母方の親族も90歳以上は生きている。『今更』な事を言われてもつまらないわけで、結局乗せられて料金を上乗せし、運命の人と出会える時期を、かなり怪しい方法で占ってもらった(笑)。
友達も私も来年出会えるそうだ。その時点でかなり怪しいが、私は3月か4月にお目見えできるらしい。
それでは、その時を楽しみに、極寒の冬をやり過ごすとしましょうか♪


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