たまには素直に(笑)

2008年02月25日 19:09

いや凄い!こんなに清々しい気持ちを味わったアカデミー賞は初めてかも知れない。一部『波乱!』と報道したメディアもあったようだが、しかるべき人や作品が、受けるべき賞を受賞したというだけで、波乱というほどの展開でも無かったかと?いやいや、私の昨日の予測からしらた、大波乱だったのですがね(笑)。

そもそも昨日の予測、その前に展開した捻くれた理論から導き出したものだ。なので、これだけ外れてくれて嬉しいぐらい。もう1つ、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』が作品賞を獲る、というのを基準に構築した。ちなみにここだけは私の願望だったのだが、、、そこからして大外れという体たらく。いや、お恥ずかしい。
しかも!『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』が作品賞を獲るので、コーエン兄弟はせめて監督賞という読みだったのだが、何の事はない、作品&監督とW受賞とは(笑)、我ながら読みの甘さが情けない。

今回の結果で唯一納得できないのは『脚色賞』だな。『潜水服は蝶の夢を見る』が何だかの賞を獲って欲しかったという飽くなき希望があっただけなのだが、ここまでコーエン兄弟に持って行かれるとは。。。
正直『ノーカントリー』は観る気がさらさら無かったのだが、ハビエル・バルデムが好きなので観てみるか・・・?話が、根本的に興味が持てないのだが。。。はてさて?

という事で、助演・主演全てにおいてアメリカ人不在という、確かにこれだけは異例の事態ではなかろうか?しかも、花形主演女優賞に至っては、フランス語作品に出演したフランス人のマリオン・コティヤールだ。実際彼女、アメリカ映画での実績は殆ど無く、今回こうしてノミネートされのが素晴らしい到達点だと思われた。
それもこれも、製作途中から話題となっていた、壮絶なまでの演技によるもの。小柄なピアフを長身のコティヤールが演じるという事に対する危惧も、独特の歌声のために口パクにせざるを得ないという不自然さも、何もかもが彼女の演技によって払拭されたという。それ程に、コティヤールはピアフになりきっていたのだそうだ。周囲が恐怖を感じるほどにエディット・ピアフになりきり、本人もそれによってかなり消耗したのだとか。
その演技をもってしての『ノミネート止まり』というのが大方の意見で、正直それ以上の高みは有り得ないと殆どの人が思っていたはず。格言う私もその1人。それはコティヤールに非があるのじゃなくて、アカデミー賞だからだ。だって、セザール賞でアメリカ作品のアメリカ人女優が賞を獲れないのと似た状況のはずだから。アカデミー賞はあくまでアメリカの映画祭で、どこにも『国際』とは謳っていないのである。
それなのに、フランス製作の映画の主役がメインの賞を受賞とは!アカデミー賞の正当性の証なのか、コティヤールの演技の凄さか、とにかく、私はとことんアカデミー賞を見くびっていたのだと反省した。
この情報を見た時、感動の余り目頭が熱くなった。しかもあの可愛らしい受賞スピーチ、もう・・・会社でこっそりネットを観ていなかったら確実に号泣していた(笑)。何しろマリオン・コティヤールはかなり前から大好きで、『ダヴィンチ・コード』ではは間違いなくオドレイ・トゥトゥより適役!と1人憤慨していたものだ。知名度に負けたか・・・と思っていたが、これで彼女の門戸は大きく開かれたわけだな♪
正直、熱の入りすぎた演技というのがちょっと苦手で、『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』は観るか・・・?と悩んでいた。大体私は、彼女のあの可愛らしさが好きなので、なんなの、、、あの眉毛は・・・とね(笑)。それぐらいなら『プロヴァンスの贈りもの』で、惜しみない可愛らしさと素敵な演技を堪能したほうが100倍マシ!と思っていたが、これはもう、最優先で観なくては!日本でも既にDVDが発売されているので是非。

同じく外国語圏のスペイン人であるハビエル・バルデムも、『海を飛ぶ夢』をご覧になれば、その実力の程はお解かり頂けるだろう。実に良い俳優なんである。おかっぱ頭で挑んだ今作、不気味な殺人者を熱演しているそうだ。これまた本当に嬉しい快挙!コーエン兄弟って、やっぱり凄いな、うん。
そしてそして、ダニエル・デイ=ルイス!素晴らしい!とにかく素晴らしい!現在アメリカで公開中の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』。作品の質の高さはもとより、やはりダニエル・デイ=ルイスの圧巻の演技が各所で話題だ。ダニエル・デイ=ルイスに限っては演技で高評価を受けないなんて事は有り得ないのだが(かなり個人的な贔屓目あり)、今回は本当に素晴らしい迫真の演技で他を圧倒しているらしいのだ。しかし彼もイギリス人、今回の受賞はさすがに無いだろう?と思っていたのに、アカデミー賞の選考委員素敵過ぎ。見直しました、いや、本当に。

助演女優賞を獲得したティルダ・スウィントン。こちらもイギリス人ではあるが、彼女はアメリカ映画でもかなりの実績を持つ。しかし割かし存在が地味なのね。『フィクサー』では相当良い演技だと聞いたが、それもアカデミー賞のノミネートを受けての記事だったので、果たして?と思っていたが、本当に良いみたいね(笑)。誤解の無いように申し上げておくと、ティルダ・スウィントンは大好きな女優なのだが、出演作がどれも控え目なので余り知名度は高くないだろう?というところから、今回はノミネートだけと真っ先に除外して考えていた。

とまぁこれだけ見ても、今回のアカデミー賞の正当性というか潔さというか(笑)、広範囲で高い評価を得ている部分が的確に評価されているのが解ると思う。結局、『ノーカントリー』はそもそも非常に高い評価を得て公開も終了しているので、作品賞も相当妥当なのだろう。。。個人的に残念なのは、ポール・ダノが出演している映画が『作品賞』を獲れなかった事なんだな、実は。あ〜、あと少しだったのにぃ。

その他の受賞作品を観てみても、大番狂わせは殆ど無いと思われる。実にスッキリする結果で、何だかアカデミー賞を心から楽しんでしまった。そしてたまには素直になって、変な邪推をしないで世の中を見る事は大切だなと、つくづく思い知った今回のアカデミー賞でもある。いやはや、しがらみと陰謀の巣窟と思っていたアカデミー賞だったが、これからはもっと素直に楽しむ事にしようと、心に深く、深く刻んだ(笑)。

各国の映画祭

2008年02月24日 19:19

アカデミー賞の事を日記に書いたので、ついでに各国映画祭の事も(笑)。
先に書いたように、私が興味を持って受賞作を確認するのは『ヴェネツィア国際映画祭』だけだ。この映画祭の作品賞受賞作は、とにかく私の好みと一致している。その為、余り興味が無いのでスルーしようと思っていても、この映画祭で何だかの賞を獲得した場合、とりあえず試しに観てみよう!と思うのだ。これまでその方式で失敗した事は無い。
個人的にその代表例は『ブロークバック・マウンテン』で、見るつもりは無かったものの、金獅子賞を受賞したなら観てみるか?と思い切ったのだ。結局、さらにヴェネツィア国際映画祭に感謝する結果となった。
ヨーロッパの映画祭なので当然『ヨーロッパ映画』が優勢を占めるが、実際はアジアに優しい映画祭でもあると思う。ここ最近の動向と言うのではなく、古い歴史を辿ってみても、アジア作品や製作者をわけ隔てなく評価してきた映画祭でもあるのだ。北野武監督の『HANA-BI』も記憶に新しいだろう。
そしてこの3年、金獅子賞を受賞したのがアジア出身の監督及び作品である。2005年『ブロークバック・マウンテン』、2006年『長江哀歌 (エレジー)』、2007年『ラスト、コーション』だ。『長江哀歌(エレジー)』に関しては当時から全くノーマークで、きっとこれからもノーマークだろうと思うのだが、『ラスト、コーション』は観るつもりは全く無かったが、この結果を受けて相当揺らいでいる。私1番のお気に入り評論家、稲垣吾郎も良いって言っていたし(笑)。これは観てみるか?
その他の受賞作を金獅子賞に限って見てみれば、『父、帰る』、『マグダレンの祈り』『マイケル・コリンズ』『ショート・カッツ』『トリコロール/青の愛』、その他各国様々な作品が目白押し。過去の受賞作において鑑賞済みの物はどれも、個人的にではあるが深い衝撃と印象を残した問題作ばかり。だからこそこの映画祭は、私にとってはとても重要。
唯一納得の行かない受賞作は、、、最近で言えば『ヴェラ・ドレイク』かしら。個人的にはどうも、、、いまいちな作品だったもので。

次いで『カンヌ国際映画祭』。世界最大の映画祭らしい。フランスでは他に『セザール賞』というのもあるが、基本的にコチラはフランス国内の、という規模限定でもある。
さて本年度のカンヌのパルム・ドール受賞作は『4ヶ月、3週と2日』。おっとこれは意外(笑)、個人的に注目作だったので、意見がカンヌと被るとは(笑)。
という事で、私的には余り感性の合わない映画祭だと思っていたのだが、これまた意外にも、結構良い所付いている。過去の受賞作としては『麦の穂をゆらす風』、『ある子供』、『息子の部屋』などなどだが、どれもこう・・・地味だよね(笑)。そしてやはりこの映画祭に関しては、フランスに優しい印象がある。あとアメリカ作品ね。

そして、実は最も苦手な映画祭、それが『ベルリン国際映画祭』なのだ。そんでもって作品賞の名前が『金熊賞』。ヴェネチアと間違えて何度失敗した事か(笑)。
しかも日本公開されない作品も、結構な数、金熊賞を受賞しているので、結果的にこちらは観る事すら叶わない場合もある。まぁ良いんだけどね(笑)。近年の受賞作で気になっているのは『サラエボの花』、『愛より強く』くらいかな。他には『イン・ディス・ワールド』『ブラディ・サンデー』(これは良かった!)、そして『千と千尋の神隠し』なんかもある。しかし更に遡ってみると、『マグノリア』、『シン・レッド・ライン』、『セントラル・ステーション』、『いつか晴れた日に』、『ラリー・フリント』、『父の祈りを』などなど、結構なラインナップ。しかしどれも、『凄く良い!!!』というほどのものでもなく、何が基準・・・?という疑問もあり、苦手意識を払拭するほどでも無い。

実は世界3大映画祭というのは、このベルリン、カンヌ、もう1つはトロント国際映画祭と言われているらしいが、日本ではどういうわけか、トロント国際映画祭は余り話題にならない。過去の受賞作としては、やはり北野武監督作『座頭市』もあるのだが。その他は『ホテル・ルワンダ』、『ツォツィ』、『ライフ・イズ・ビューティフル』、『アメリ』、『シャイン』、『アメリカン・ビューティー』など、受けが良いものが出揃っている感がある。

他には、『ゴールデン・グローブ賞』や『インディペンデント映画賞』などなど、数え上げたらきりが無い。面白いと思ったのは『英国アカデミー賞』の受賞作。一応英国主体ではあるのだが、時々『アメリカン・ビューティー』や『アビエイター』などアメリカの作品が続いて、一体主体性はどこに行った?という、変なイギリスらしい柔軟性が良い。
そして『ヨーロッパ映画賞』。これはヨーロッパ映画好きにはたまらない情報源になるかな?さすがに『ヨーロッパ』と決め打っているだけあって、作品賞の受賞作はきちんとヨーロッパ作品が占めている。当たり前か(笑)。『善き人のためのソナタ』、『グッバイ、レーニン!』、『トーク・トゥ・ハー』、『オール・アバウト・マイ・マザー』、『フル・モンティ』、第一回受賞作は『殺人に関する短いフィルム』という辺りからも信頼性は十分と思われるが、さすがにヨーロッパと限定すると、世界的には規模が小さい雰囲気は否めないな。ペドロ優勢の情勢は当分続くのだろう。

はてさて、これまで余り気にもしなかった『ナントカ賞』ではあるが、確実に『面白い』外れない映画を観るなら、これまで苦手だと思っていたカンヌなどでも十分な情報源になるらしい事が判明した。
これからは、こういう映画祭も気をつけてチェックしてみよう。
忘れてた!!!実は私、『ラジー賞』は結構前からチェックしていた。これは話題作りにも最適だろうが、本気で外したい映画を見定めるのにも有利だし、実はこうして話題になるだけあって、本当は面白いおバカ映画が出てきたりするのだ。最初は冗談半分で始まったと言われるこの映画祭。今ではかなりれっきとした、知名度のある映画祭として注目されているとか・・・いないとか?今年は一体、どんな作品が槍玉に挙げられるのだろう?

賞レース!!

2008年02月24日 14:15

日本時間で明日早朝辺り、、、かな?アメリカで『アカデミー賞』が開催される。
さて、個人的には賞レースと言うものに余り興味が無い。世の中『ナントカ賞』というのが多すぎてありがたみも薄れてしまうと言うのもあるが、何より多すぎて、追いかけるのも面倒臭い・・・。唯一、『ヴェネチア国際映画際』だけは、賞が発表されると一応チェックはする。なぜなら、『肌が合う映画祭』だからなのだ。それ以外の映画祭の受賞作というのは、どれも私にとっては『いまいち』な作品が多く、『ナントカ賞を獲ったから何だってぇの?』というね(笑)。
しかしアカデミー賞の場合は、その規模の大きさ、知名度の高さなどなどから、否が応にも色々と情報が入ってくる。そしていつも思ってしまうのだ、我ながら捻くれた考えだとは思いつつ(笑)、数々の賞がいかにして選考されたのか?という経緯を。
例えば、話題になった『ブロークバック・マウンテン』。2005年発表のこの作品は、8部門にもノミネートされておきながら、主要部門の獲得は殆どならず。私的には『監督賞』を受賞したことが驚きだったが、後は納得できる感じだ。
なぜなら、監督が中国人で同性愛を描いた作品だからだ。うざったいぐらい世論を気にする野暮なアカデミーの審査員が、この作品を作品賞にする可能性は著しく低い。同等に、同性愛者を苛烈なまでに演じた主演・助演の俳優も、受賞する可能性は低い。
この年の作品賞受賞作は『クラッシュ』。小規模な映画ではあったが実に優れた秀作。他ノミネート作品を考えると、『ミュンヘン』は内容が腫れ物みたいだし、それ以前に『作品賞』の水準じゃない。『カポーティ』は同じく同性愛を滲ませた作品。『ブロークバック・マウンテン』を外すなら、同等に扱わなくては収まりが悪い。それに、道徳的、人間性的に問題がある作品だ。『グッドナイト&グッドラック』はアメリカの暗い過去を暴き、正直『悪者アメリカ』映画である。となると?残るは『クラシュ』ただ1つとなる。こうして理論立て考えてしまうと、さもありなんという結論が見えてしまうのだ。
2005年の作品賞にノミネートされた作品は正直粒揃い、確かにその中で1・2を争うレベルなのは『ブロークバック・マウンテン』と『クラシュ』ぐらいだと思うので、単にその2つの優劣を競ったと思いたいのが本音なのだが。
しかしここ最近のアカデミー賞は、時折『意外な選出』をして驚かせてくれる。例えば昨年の主演女優賞。『プラダを着た悪魔』のメリル・ストリープか?と思わせておいて『クィーン』のヘレン・ミレンだった。ただこれは、作品自体が『プラダを着た悪魔』だからね、ノミネートに『大御所』不在を懸念したノミネートだったのかも?
基本的に白人のアメリカ人が優勢なのは仕方が無いとして考えると、この時の主演女優賞ノミネートはメリル・ストリープ以外全てヨーロッパ出身の女優。だから単純にメリル・ストリープが受賞かな〜?と思ってしまうが、この場合はかませだったか(笑)。
同じ年の主演男優賞は『ラストキング・オブ・スコットランド』のフォレスト・ウィテカー。この選出は苦渋の選択だったかも?他が余りにも可能性が無さ過ぎだもの。ピーター・オトゥールは今更だし英国人、作品もイギリス製作。ライアン・ゴズリングは年齢と実績から言っても論外。レオナルド・ディカプリオはアカデミーから嫌われてる(笑)。となると『幸せのちから』のウィル・スミスかフォレスト・ウィテカー。黒人が残り、圧倒的な迫力で演じきったフォレスト・ウィテカーの勝利となる。イギリス色の濃い作品で、1人アメリカ人として健闘した彼に軍配が上がったのかも?
こうやって穿った見方で考えていくと、歌手で黒人のビヨンセは、間違っても主演女優賞にノミネートされる事は無いわけだ。もう少し実績を積んで、『女優』としてアカデミーに認めてもらえれば可能性はあるだろうが、他の出演作が『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』じゃダメなのでだろう。

長年こうした捻くれた見方をしていて思ったのは、作品賞は社会的世論などを重視しており、それ以降、ノミネート作品表示の下に行くほどそうしたしがらみから脱して、純粋に優れたものを選んでいるらしいという事。ノミネートに関しては、『話題作り』と『差別』が生まれないように、満遍なく選ばれているように思う。
アカデミー賞では明らかに『嫌われている』役者というのもいるらしく、その代表例がレオナルド・ディカプリオなのだが、これは嫌われているというより、演出された『意外性』のための犠牲者のような気がしてならない。『確実視』されているものを蹴飛ばすと、それは大きな話題になる。

さてさて、今回のアカデミー賞、いかなる結果になるのか?今年は小粒作品が多く、比較的地味なノミネートになっているという。
いずれにしろ、意外な驚きあり、納得できるもの有りで興奮を残していくのだろう。それに所詮、賞は賞。映画は万人が同じ感想を持つとは限らない。結果的には、観た人それぞれが最高と思う作品を見つければ、それこそが個々人の『今年の1番』。それぞれの中で栄光を勝ち取れば良いじゃないか。万人のためのアカデミー賞は、それほど重要なものじゃない。
あ・・・いや、映画人にとっては重要よね(笑)。

って訳で、そうした捻くれた理論個人的には抱えつつ、勝手にアカデミー予測(笑)。

【作品賞】
 「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

【主演男優賞】
 ジョージ・クルーニー:「フィクサー」

【主演女優賞】
 ローラ・リニー:「The Savages」
 エレン・ペイジ:「JUNO/ジュノ」
※決めかねた・・・

【助演男優賞】
 ケイシー・アフレック:「ジェシー・ジェームズの暗殺」
※トミー・リー=ジョーンズも捨てがたいが、今更感が拭えず、最近のケイシー・アフレックの好評価も考慮すると・・・ひょっとして?

【助演女優賞】
 ケイト・ブランシェット「アイム・ノット・ゼア」
 ルビー・ディー  「アメリカン・ギャングスター」
 エイミー・ライアン  「Gone Baby Gone」
※映画が解らなくて決めかねた・・・

【監督賞】
 ジョエル&イーサン・コーエン:「ノーカントリー」

【オリジナル脚本賞】
 「JUNO/ジュノ」

【脚色賞】
 「潜水服は蝶の夢を見る」

【外国映画賞】
 「ボーフォート -レバノンからの撤退-」(イスラエル)
 「12」(ロシア)
※噂レベルで良し悪しを判断、で、どっちか(笑)

あの頃の感動を・・・

2008年02月21日 23:21

先日BSで、映画『アマデウス』をやっていた。昨年チェコを旅行をした際に、この映画が撮影された町であった事を知り、もう一度あの名作を見たいな〜と思っていたのだ。かと言ってわざわざ借りるほどの熱意は無く、記憶の中でなんとなくリプレイしてみたり。

そんな訳で、これ幸いとばかりにTV放送を楽しむ事に。近年発表されたディレクターズ・カット版、長さは堂々の180分。再鑑賞を終えての第一印象は、モーツアルトという夭折の作曲家の一生を、史実に基づいた壮大な空想を、実に膨らみのある素晴らしい物語に仕立てていると言う事。
そして、子供の頃の私が、良くこんな話を理解できたもんだ・・・と(笑)。
この作品が製作されたのは、今から24年程前。こう聞くと、、、やたらと昔のように思えて切ない。私が見たのはテレビ放映の際だったので、製作時からは少し年数が経過していたはずだ。と考えると、大体14〜5歳の頃かと推測する。
もっとずっと子供の頃に観た印象だったが、実は思春期の頃だったのね。しかしこれ『プラトーン』以前に観ているはず。実はこれも結構重要なポイント。B・P(Before Platoon)、A・P(After Platoon)で語れる私の映画史(笑)。
『アマデウス』はB・P時代なので、テレビだとしても観た事自体が奇跡(笑)。今でも強烈な印象として残っているのは、モーツアルトという『天才』が辿った『天才』らしい、短くも激しい一生の軌跡。遺体が共同墓地に投げ込まれるシーンは、悲しいほどに胸に焼き付いて残っている。今でこそ偉人扱いされる音楽家も、生きていた頃は単に『才能が特出した音楽家』であり、時間によってその音楽の認知度が高まり、同じく年月によって淘汰され、残るべくして残ったが故に優れた音楽家と呼べるとは、当時思いもよらなかった(笑)。
初めてこの映画を観た当時は、こんなに有名な人があんな葬られ方をするなんて!と酷く衝撃だった。それに『偉人=立派な人間性』という定説を、あっさり覆された衝撃もあったのだ。まさに、『教科書では教えてくれない人間の真実』という奴だ。
そんな訳で、サリエリはとにかく嫌なおっさんだ!と(笑)。コイツさえいなければ、、、という思い。凡人が天寿を全うして、天才が儚く消える。。。納得がイカン!と、結構長い間悶々としていた記憶がある。そして妻コンスタンツェも、強欲で我侭な女だなと。こんなグータラ自分勝手女と結婚したのも、彼の運の尽きだったのよねぇと憤慨したのを覚えている。
それと、自分ですら確信に足る才能があったのに、なぜもっと強く在れなかったのか、、、と甚だ勝手ながら悔しい思いにも苦しんだ。才能があるなら、それを有意義に活用するべく、より長く生きようと努力すべきなんだ!と、、、今思えば、なんて純朴で可愛らしい考えかしら(笑)。今なら、そう潔白でいられる訳が無いというのも、悲しいぐらいに理解が出来る。実はもう1つ、出てくる数々の『お菓子』だ(笑)。幾つか出てくるが、どれも美味しそうで♪サリエリの好物の菓子パン、、未だにアレは何なのか?と・・・。

結局ここ最近良く言っているように、二度見してまた感想が変わった。といっても今回の場合は、『素晴らしく良かった』という根本部分は何も変わらない。まず、当時全く理解できなかったサリエリ役のF・マーレイ・エイブラハムの、アカデミー主演男優賞受賞。(ちなみにモーツアルト役トム・ハルスもだ!)今なら良く解る、本当に素晴らしい演技。息を飲む演技とはこの事。
サリエリの痛烈な言葉、『神は私に、才能を理解する術だけを与えた』とかなんとか、解ります?このやるせない感情、焦燥、妬み、嫉妬、そして憧れ。サリエリはモーツアルトに恋をして、同時に激しく憎んだ。彼の音楽を愛し崇拝し、しかし自分の物では無いという狂おしいほどのジレンマ。一生を捧げた音楽に裏切られた思い、情熱の見返りに見出せるはずの才能を、信じた神は別の人間に与えてしまったのだ。そして恐ろしい事に、私はこの感情が解る。サリエリほど強烈ではないが、それは単に、彼にとっての音楽ほど情熱を傾ける対象が無いというだけで、こうした複雑な嫉妬心を、私は理解できるのだ。
きっと誰もが、こうした嫉妬に悩まされた事があるのじゃないだろうか?正直になってみれば、あると認めるのでは?きっとそれが、人間というものなのだ。そしてその気持ちの暴走に、歯止めをかける事が出来るのもまた、分別ある人間というものなのだろう。
さてさて(笑)、こんな想いを見事に表現していた。サリエリの新解釈とも言われているこの映画、彼なくしてこの評価は有り得なかったと今なら解る。
コンスタンツェに関しても、全く違った見方が出来た。なんだ、全然強欲で我侭女じゃなかったのね・・・(笑)。放蕩が過ぎるモーツアルトを心配し、家族を心配し、そして翻弄された。最後まで彼を愛した、たった1人の人物だったのかも?

いやまずとにかく、名作というのは色褪せない。素晴らしい作品というのは、偉人達と同じように、いつの時代、誰が見ても感動と興奮と感銘を与えてくれるものだなぁと、観終わってほっと一息だった。
しかしディレクターズ・カット版というのは良し悪しだな。足された20分はあの部分?とほぼ解るぐらいに不自然で不必要な展開があった。あっても無くても良いなら、180分はやはり長すぎる。

実は今回この作品を見直してみて、一番強く感じた事がある。この映画を観た頃の私は、ただもう純粋に『映画』を楽しんでいたのだという事。言うなれば、『ニュー・シネマ・パラダイス』の幼きトトと同じような感じだ。目の前で繰り広げられる豪華絢爛な古のヨーロッパ世界。リアルな特殊メイク、複雑で面白い物語、どれをとっても新しく、画面の中に入ってしまいたいほどの興奮。
そうして思い返せば、子供の頃に見た映画の数々の興奮が蘇ってきた。まさにドキドキ、ワクワクと胸を躍らせながら、本当に『夢中』になって見入っていた。あんな興奮や感動は、多分もう2度と経験出来ない。そう思うと無性に切なくなった。
なぜなら、あの興奮や強い思いは、無知ゆえの純粋から来ていると解るから。さすがに今でもあの純粋さを持ち合わせているとは、口が裂けても言えはしない。未経験に対する憧れも、それに直面した時の驚きや感動も、年齢と共に数が減り、新鮮な驚きも無くなる。新しい発見に対する喜びも、回数が増えると鈍くなってしまう。
『アマデウス』を見た頃の私は、まさに乾いたスポンジ状態。複雑な大人への道程をようやく踏み出したばかりで、知り得る事柄が目の前に山積みだった。こうした事を『感受性』と呼ぶのだろうか?とにかく、今の私には『アマデウス』の感動も『プラトーン』の悩みも『ネバー・エンディグ・ストーリー』の憧れも『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の興奮も、そうした全てに対する衝撃も、2度と訪れないと解っている。

『知る事』が普通になってしまう人生、なんだか寂しいな。無心になれたあの頃と引き換えに、大人になった私は何を手に入れたのだろう?それなりの知識と、たくさんの映画を観る自由。複雑な物語を理解する、ちょっとした御託ぐらいか。
あの純粋な興味と興奮を取り戻せるなら、今なら何だって差し出すなあ。まさに、サリエリが、夢中で手にしようとした才能と復讐のように。。。恐いか(笑)。

少し遅れのバレンタイン

2008年02月16日 00:46

日付変わって、一昨日はバレンタイン・デイだった。『聖バレンタインの日』。『聖』と言うだけあってもちろん聖人の日。という事で西洋のイベントだ。この聖バレンタインというのは、実在したか否か?賛否両論の聖人様なんである。そりゃ2000年近く前の話だ、正確性なんて望むべくもない。
とにかく、その発端は諸説様々ではあるが、欧米では2月14日には恋人達はプレゼントやカードを交換し、2人きりの甘い時間を過ごすそうだ。チョコレートを贈る風習は海外でもあり、これはイギリスから発生したらしいが、やはり日本と同じく、チョコレート会社の陰謀によるものらしい(笑)。

さて、これまで私は、バレンタインに勃発する日本の狂騒は、クリスマスですらまだマシといったような、勘違いの極みと思っていた。しかしその起源を考えてみると、あながち『間違い』と切り捨ててしまえないような気がして来た。
この日の起源に関する説としては、存在は定かではないがウァレンティヌスまたはヴァレンタイン、またはヴァレンティノとか呼ばれる男が処刑されたのが2月14日というもの。その処刑にまつわる出来事が諸説様々で、何かしら『恋愛』に絡んだエピソードがあるようだ。
と言う事で、『キリストの誕生日』のように、ハッキリとした要因が示されているわけでもないのが、2月14日のバレンタイン・デイ。ルペルカリア祭(2月15日)の前夜祭における、古代ローマ時代の出来事、かつて2月14日は女神ユノの祝日であったらしい事、そのへんの習慣の名残として、『愛を確かめ合う』という端的な行動として残ったのじゃないか?と勝手に推察するが、要はこの日は、聖人を崇める気持ちがあるのなら、何やっちゃったって良いのじゃないか?『愛を伝える』という気持ちさえあれば。

要するに、女性に限定されていようが何だろうが、日本のバレンタインの姿は間違っちゃいないと言えるのでは?大方の日本人はキリスト教ではないかも知れないが、そこはほら、キリスト教の方々も、別の宗教の民を『迷える子羊』なんて呼んで勝手に迷わせちゃってるぐらいだから、多めに見てくれる、、、いやむしろ、我が宗教にウェルカム!ぐらい懐が深いところを見せてくれるはず。

こうして現在の日本におけるバレンタインの有様を考えるにつけ、つくづく『日本らしい』発展を遂げているなと思えて興味深い。今やチョコの呼び名は『本命』『義理』『友達』と多岐に渡っている。その呼び名で考えると、あらゆる男性に何かしらの役割が当てはまる。要するに2月14日は、女性にとっては『お歳暮』と『お中元』がまとめて来ているようなものなのだろう。
礼節を重んじるDNAが脈々と息づく日本人らしいというか、気がつけば『お礼の日』になっているような気がする。お礼とまでは行かなくても、義理だなんだで会社の人、友達連中などなど漏れがない様に気を使い、貰えない人がいたら可哀想!とばかりに慌しくチョコレートを用意する。『あの人にあげたら、角がたつからあの人にも』それが次第に輪を広げて行く。
最初の頃は趣旨通り、『好きな人だけ』だったのだろう。それが気を使い始めたら留まるところを知らず、という辺りがまた日本らしいと私は思う。私が小学校の頃で既に『義理チョコ』の存在はあったので、この風習は割に早く定着したのだろうと思われる。
こういう仕来りも、何か良いんじゃないかな?と思う。日本らしさが微笑ましくすら感じる。それに年に一度くらい、ちょっとしたお礼をする日があっても良いのじゃないだろうか?もちろん、頑張った女性には、1ヵ月後にはちゃんとした見返りもあるわけだし(笑)。

そもそも愛情などをストレートに出すのが苦手な民族である日本人、お返しの日までがきっちり決まっているのも面白い。つくづく、日本人の特性を色濃く反映しながら発展してきたイベントなのだなと思う。
『ほんのつまらない物ですが』こうした謙遜の気持ちは、欧米の方々にはなかなか理解し辛いものだそうだ。『つまらないなら渡すな!』というね(笑)。『愚妻ですから』なんてのも、直訳するとかなり驚かれる。『自分の愛する奥さんを堂々とコケにする』そんな奇妙な日本文化である。そしてバレンタインは、礼節と気遣いという実に『日本らしい』部分を大きく反映させた、独自のイベントとして成長しているのだ。
男性陣にとっては、この日はチョコレートが『幾つ』貰えたか?が結構大事なポイントらしい。そもそも『愛する人だけに』渡すチョコなのだから、『One or nothing』で良いんじゃないか?と思うのだが(笑)、『チョコの数=人気の数』という定説も出来上がっているようだ。
この日はオフィスにも、いつも以上に笑顔が飛び交う。チョコを配って歩く女性達、嬉しげに受け取る男性陣。喜ばせたいという気持ちから、素直に嬉しいという気持ちへ。プレゼントが幾らだの、お返しも想定してだの、ちょっとばかりギスギスしがちな『恋人』達より、よほど和やかで気持ちも浮き立つ光景じゃないだろうか(笑)。
バレンタイン・デイはそもそも西洋のイベント、しかし日本のそれは、まさに独自のイベントとしてすっかり確立されている。趣旨は『愛情を込めて』、それだけは忘れずに。会社のおじちゃま達もたくさんの愛情を受け取った事だろう。さて皆さんは、どんなバレンタイン・デイを過ごしただろうか?

北の映画祭

2008年02月13日 00:44

現在渋谷で、『N. アイルランド・フィルム・フェスティバル 2008』というのをやっている。アイルランドは好きだが、その文化的特徴個々に対する深い部分には余り興味が無い。例えばアラン・セーター、ケルト文様、リネン、クリスタル、妖精、羊、緑の大地などなど、アイルランドを象徴する物や事柄はたくさんあるが、ひっくるめてアイルランドを感じられるアイコンとして見ているだけなのだ。そうしたものにまつわる講義やイベントなどには、格別の興味が沸かない。文学の国としても名高いアイルランドだが、アイルランド文学の朗読会などがあっても、まず間違いなく行かないだろうなぁ(笑)。
私の知識のほとんどが映画と小説から仕入れているという薄弱さが、こうしたイベント事への興味の薄さを説明する理由になろうかと思うが、かてて加えて、『学ぶ』という如何なる状況も苦手な私は、そうした文化的イベントに、一種の学校的拒否反応を示してしまうのだ。
自分の好きなように、好きなことだけを知りたい。私の探究心なんて、所詮その程度の頼りないものなのだ。アイルランドに対する興味は国そのものに対してであるのだが、かと言って、それを構成している特長的な事柄を掘り下げてみたいとは思わない。こうした積極性の無さが視野を狭めているとは承知しながらも、やはり重い腰は根子が生えたように動こうとはしない。

しかし今回のイベントは、なんと言っても映画が主体だ。しかも『北』に限定している辺りが、憎らしくも心をくすぐる。しかし映画祭というのも、実は結構苦手だったりする・・・。上映予定がきっちりと立てられており、見たい作品と自分の予定を噛み合わせる算段が立て辛い。おまけに最終上映が早くて会社員には難しい時間だったり、劇場が小さくて直ぐ満席になってしまったり。せっかく出かけて行っても、早くから並んだり先に整理券を貰える人の方が圧倒的に有利で、そうなると劇場まで行ったのに映画は観る事が出来ないなんて・・・?と色々考えると、あっという間に面倒臭くなってしまうのだ。
前売りの回数券は断然お得だけど、果たしてそれ程の回数を見られるのか?という懸念がある。そうかと言って、前売りでも1回券ばかりだとなにやら損をした気分になる。なかなか予定が見えないから、結局は当日券を買わざるを得なくなると、最終的には損に損の上塗り・・・という気分になる。

今回も前売りの回数券を買えば相当お得なものを、バイトだとか昼の仕事だとか友人との約束だとかでウダウダしていたら、あっという間に開催初日を迎えてしまった。では当日の3回券?とも思ったが、休日バイトをして、平日昼間も働いて夜もバイトをして・・・そんな状況で3回見られるのかは覚束ない。あ〜、もう面倒臭い!とすっかり諦めていたのだが・・・。
上映作品の詳細を調べれば調べる程、、、観たい。。。しかも、がっちりきっかり、本気で観たい作品を数本にまで絞り込めた。友人との約束が2回ほど被るが、上手く調整すれば誰も傷つかずに(笑)、上手いこと消化できそうだ。しかも2月はこの週だけ、夜のバイトが2日間しか入っていない。日程も時間もピッタリ、運命だ、恐らくこれは運命なのだ(笑)。
残るはチケットの問題。普段でも映画は高い!と映画館には行かない。それなのに、集中して1週間で3回も映画代金を払う?これもまた、映画祭に対する苦手意識のポイントだった。
しかし今回は仕方が無い、いやもう、仕方が無いのだ!今回この映画祭で上映される作品の殆どは、今後日本でDVD化される事は無いだろう。日本語字幕付きで楽しめる機会は、恐らく今をおいて他に無い。日本では未知数の役者が多数出演する、ディープな北アイルランドの映画達。どれもが、あの複雑な国の背景を色濃く反映し、北アイルランドで無ければ作れない、粒揃いに期待できる作品に思える。コメディあり、シリアスあり、青春あり、ロマンスあり。そりゃ本当に時間が許せば、全作品観をたいぐらいだ。この時点で私の財布の紐はすっかり解けた。そう、時間が許せば金の事なんて知った事か!というのが今回の結論。
2度と訪れない至福の機会をお金で買う。それは本来なら、お金などでは買えない喜びの域にあるはず。たかが数千円をケチって延々と後悔するなら、幸せと後悔の無い未来が両方買えるなら安いものじゃないか!結局今回は、当日1回券を買う事に決定!ギリギリまで予定が見えなかったので、最も割高なチケット購入に落ち着いた。

と言うことで、早速行ってきた。映画が始まって間もなく、言いようの無い感動、というか興奮で鳥肌が立った。暗闇の中で鈍い光を放つ(余り上映環境良くなくて(笑))スクリーンの映像。淡々と進む物語、その裏に隠された北の大地の面影。泣かす!感動して泣ける。この映画を観られたことに興奮して泣けてくる。
日本に暮らしていると、見られない映画の数がどれほど多い事か、その量に時折圧倒される事がある。何かとても、損をしている気分になる時も。英語が解らないから、字幕の無い映画は観られない、それ故のもどかしさともいつも戦っている。こうして貴重な映画を観る事が出来たこと、開催者の方々にこの場からでもお礼を言いたい。ちょっと、、、スタッフは仏頂面の人が多くて怖かったけども(笑)。
そんなわけで、今週は『北アイルランド尽くし』の一週間を過ごす予定だ♪(と言っても3本見るだけだけど・・・)

時間の使い方

2008年02月11日 00:53

人が考える物事に対する意見は、思い込みの強さでいくらでも価値観が変えられるものだなと、つくづくそう思う。例えばウチの姉とその旦那は、催眠術のイロハを習った事がある人なら、誰でも餌食に出来そうなタイプ。
風邪には抗生物質と信じている姉は(まぁ、正しい判断なのだが)、だからこそ抗生物質を飲まないと風邪が治らないというやっかいな人。しかし、抗生物質を与えると、30分くらいで全快するから怖い。薬はそんなに簡単には効きません。
旦那の方も似たようなもので、こちらはお酒が滅法弱い。なので茶色の液体辺りを『お酒だよ』と言って飲ませると、アルコール0%でも本当に酔っ払ってしまう。なんて安上がりな方でしょう。とまぁこのように、価値観とは、その人の判断や思い込みによって変わってくるのだろう。

そんな訳でここ最近、私の『余暇』に対する価値観が変わってきた。
ここ10年位は、『余暇=好きな事をしてゆっくりするためのもの』という価値観でやってきた。『余暇』が無かった10代後半から20代前半を経て、『余暇』を捻出する事に血道を上げてきた。OLになって定期的に、週末に2日間『余暇』が出来るようになってからは、殊更それを守るために血道を上げて来た。

その概念が、大きく変わっている。今の私はまさに『時は金なり』、というところ。
この考えが生まれたのは実は先週。ようやく新しい仕事にも馴れ、夜のバイトも軌道に乗った。週に5日間OLをして、夜に2〜3日バイトする。空いている夜の時間は、これまで通り映画を観たり、友達と遊んだり。ついでに勉強の時間も捻出するのだ。
先週末は何も予定の無い、何もしない週末を過ごした。タップリ働いたのでこれぐらいは当然!と思うのだが・・・。いつもなら安らぎの時間のはずなのに、なんだか落ち着かない気分を味わった。ここ暫くは貧乏なので友人と逢うことも控えているが、それに伴う寂しさというのともちょっと違うのだ。『こうして無駄に過ぎていく時間、働けばお金になったのに・・・』という思い。
現状は非常に恵まれていて、昼間の派遣、平日夜のバイトに加え、週末だけ働ける第3の仕事も押えてある。それを有効活用すれば、毎週末だけでどれだけの収入になるか?そう思ったらムズムズしてきてしまったのだ。
極端な貧乏に加え、資格のために学校に通いたいとか、色々お金のかかる事を考えている。そうなってくると、無駄な時間が勿体無い!と思ってしまうのだ。そう思い始めたら、休日に働くのも嫌じゃないと思えて来た。これまでは足を引きずるようにバイト先に向かっていたものが、急に足取りも軽く、意気揚々と現場に向かえるようになったのだ。
働けば働くほどお金になる。当たり前の事だが、これまでの私はお金より『ゆとりの時間』と思って来たのだ。その考えが180度変わってしまった。いや、、、元に戻ったというのか。20代の始めの頃のあくせくした感じに、今はかなり近い状態だ。それもまんざら悪くない。
今は暇な時間を極力減らし、アクティブに『遊ぶ』のではなくて『働き』たい。ただ気持ちが全然違うので、これも全く苦にならない。

こうなってくると、『時間』そのものに対する概念も変わってくる。これまでは『無駄』に使う事によって『贅沢』を感じていたが、もうそんな悠長な事は言っていられなくなったのだ。起きてから寝るまでの間、分刻みで色々とやる事がある。休日も例外でなく、仕事に行って、帰ってきて掃除をしたり洗濯をしたり。
だから全力をかけて『遊ぶ』(笑)。こうして日記を書いたり、映画の感想を書いたり。勿論、映画を見るペースを落とすのはもっての外。読書の時間も削れない。それをやってしまうから、忙しい生活に嫌気が差してしまうと経験上解っているからだ。
働くが、好きな事もする。これが何より大事だと今だから解るのかも知れない。加えて私にとっての非常に大事な事、寝る時間も守らなくてはならないから、日々分刻みになって行くのだ。
そうして『時間』の概念が変わってくると、なんとも前向きな事に色々と生活が変わってくる。朝はとにかく苦手な私だが、大きく伸びをして深呼吸をしてから起きる。今日も1日をお金に替えるぞ!とイヤらしい事を思いながら(笑)、勢い良く起きて仕度を始めると、これまでは気持ち悪くなるぐらい苦手だった朝が、全く苦しく無くなったのだ。仕度に必要な時間より少し早く起きて、のんびりコーヒーを飲む時間もある。その間に調べ物をしたりも出来る。
バイトが無い平日の夜は週に2回ほどだが、映画を見たり、blogのネタを書いたり、お弁当の下拵えをしたり、テキパキと動いている。そうしてみると、実に色々な事ができるのだ。これまではボーっとする時間が何よりも大切だったが、上手く時間を使う事を学んだ今、日々が慌しく、それでも充実している。ぼーっとする時間はほとんど無いが、その分こうして日記を書いたりしている時間が、前より一層『楽しい時間』だと思えるようになった。
働きすぎの20代、のんびりし過ぎの30代前半を経て、ようやく、バランスの取れた時間の使い方が出来る『大人』になれたのかも知れない。

『カッコーの巣の上で』を観て思う事

2008年02月04日 23:06

テレビで『カッコーの巣の上で』をやっている。観てみたいとは思っていたが、借りるまでに至らなかった。こういう映画をテレビでやってくれるのは嬉しい。どうも新作に走ってしまいがちだが、時間の流れに淘汰されて生き残った名作は、まさに『真の名作・名画』。いつの時代、誰が観ても、『見応え』というものを教えてくれる。

のだがぁ、今回はちょっと違う。気づいた事が違う。
『カッコーの巣の上で』は1975年製作だ。遡る事33年前の作品。中途半端に古いのだ。おまけに、主演のジャック・ニコルソンは今も健在、俳優界の頂点に立つ名俳優の1人であり続けている。ついでに、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもお馴染みのクリストファー・ロイド、今も様々な作品に出演しているダニー・デヴィートなんかも出演している。
皆若い・・・。あ、いや、ダニー・デヴィートは余り今と変わっていないのだが(笑)。なんの映画でとは言えないが、この人観た事あるぞ?という役者もチラホラ。皆若い!!!

今の姿を重ね合わせると、いや皆さん面影を完璧に残して上手く年を重ねているのだが、それだからこそ尚更、、、若い!!!と思ってしまう。
アラン・ドロンの古い映画は好きだが、あの若き日のドロンと今のドロンは別(笑)。それにアラン・ドロンは現役で映画に出演している訳ではないので、既に思い出の中で生きているから別に気にならない。私にとって、アラン・ドロンと言えば『太陽がいっぱい』の頃の彼であり、今の彼はフランスの往年の人気俳優、という位置づけでしかないのね。

余談だが、この作品を、というかジャック・ニコルソンの若い頃の作品を初めてまともに見て、初めてジャック・ニコルソンが、『格好良い男』だと気が付いた。この映画撮影時は恐らく37〜8歳か?大人の男の渋みと、僅かに残された青年の面影が良いブレンド加減で、現在の味のあるおじいちゃんの姿を彷彿とさせるクセのある喋り方も含めてとにかく素敵♪いや〜、この当時私が娘時代を送っていたら、確実に熱狂していただろうに(笑)。
今日の今日まで、若き日のジャック・ニコルソンと言えば『シャイニング』のあの顔(笑)、あの狂気的な笑顔の印象しか無かったのが恥ずかしい。

さて本題。ジャック・ニコルソンは実はまだ良いのだが、その他の役者の『現在』を調べていたら、なんだか物悲しくなってしまった。人間は年をとるのだなぁという、当たり前の事に関して。
実は私、年齢なんか気にしない!そんなものただの記号よ!とか公言している割に、若い頃の写真を見るのが嫌いだ。今も必死に若さにしがみ付こうとしているからか、当然のように若さを享受していた頃を見るのが嫌なのかも知れない。何より、当たり前に自分も年を取る、とう事実を突きつけられるのが恐いのだろう。
こうして画面に焼き付けられた若さをいつまでもいつまでも見る事が出来る人達って、一体どんな気持ちなのだろう?とつくづく考えてしまった。そんな事も全て解っていてこの商売をやっているのだろうが、少しは複雑な気持ちもあるだろうなぁ。
女優が密かに整形をしたりして若さを保ち、不気味なぐらいに在りし日の面影を残そうと努力をするのが何となく理解できるような気もしてきた。だって・・・この作品でアカデミー主演女優賞を受賞したルイーズ・フレッチャーの現在ってば・・・いや、今でも綺麗だとは思うけど、思うけども。。。やはり老化って残酷だわと、思わずにいられない。特に綺麗な人には。
写真同士の対比なら特にどうと言う事も感じないのだが、こうして動いている姿を見てしまうとね、急に現実感を持って役者の生を身近に感じるというか、『現在』の姿だけで忘れてしまっていた過去を、リアルに意識してしまうというか。特に名画ゆえか、古さを全く感じない作品だと尚更。

そんなこんなで色々と古い写真を見ていたら、もう1つ気が付いた事がある。若き頃、もうずっと若い頃のジャック・ニコルソンに、実はレオナルド・ディカプリオが似ているという事。ジャック・ニコルソンはワイルドな感じで年を取ったが、レオナルド・ディカプリオは可愛いまま年をとっているので、何となくピンと来ないのだろうが。
名俳優に似ている役者と言えば、やはりロバート・レッドフォードとブラッド・ピット。ジェームス・ディーンとジェームズ・フランコ。クラーク・ゲイブルは実はジョージ・クルーニーが似ている。あと・・・ケイティ・ホームズがそっくりなのだ!いや本当に、似てるから(笑)。考えると色々出てくるのだが、最近良く思うのは、キアヌ・リーブスに似てる役者が多い事。
こうした似た役者達というのは、独自のスタイルを確立しながら、その人気の度合いも様々ではあるが、知名度はいずれも高いという事。人相学・・・の部類に入るのか、似た顔の人達は、総じて凡人ならざる運命を持っているのか?何となく面白いなぁと思ってしまう。

では、20世紀最高の映画人と慕われるチャールズ・チャップリン。彼に似た役者は存在するだろうか?実は結構な二枚目だったチャップリン。決して野口英世似という訳ではない。。。布施明にもちょっと似ているのだが、いや違うんだってば(笑)。


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