* WanderLust *=memorandum for me=

読書はライフワーク、映画鑑賞は人生の潤い、旅行は趣味にしたいなぁ♪日記は日々の覚書き。

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初めての試験を終えて

2009/10/19 15:09 ジャンル: Category:2009年☆日記☆
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ここ1年半ほど、合格を目指して勉強してきた『日本語教育能力検定試験』。昨日、該当のテストが終了した。
結果は?言うまでも無く散々(笑)。とにかく出題範囲が広いので、山をはるのが難しい。そもそも、出題範囲の限定されていた学生時代のテストですら、はった山が外れるくらいの勘の鈍ささだ、情況はそもそも不利だった。
それにしても・・・、もう少し出来ても良さそうなもの。問題は4肢択一形式なので、目を瞑って鉛筆を突き刺して神様に教えていただく・・・なんて、冗談みたいなことまでしてしまった。昨年度出題の問題集をやったが、正解率は64%だった。正直な感想は、昨年度の方が簡単だった、ということはつまり・・・。

とは言えなんにしろ、1つの山は越えた。終えて初めて、日々この試験に追い詰められていたことを実感した。試験が終わって会場を後にしたとき、久しく感じたことの無いような開放感を覚えた。爪先立ってピルエットでくるくる踊り出したいぐらい(笑)。
試験に追い詰められるというよりは、そのための勉強に追われてる感じ。少しでもやらなくては、、、という焦り。何も出来なかったときは自分を責め、出来たとしても、進捗状況に納得がいかない。常に心のどこかに『合格のための勉強』という追い込んだ情況が居座り、気がつけば結構消耗していたらしい。
試験会場から家までは、片道1時間半。しかも帰りは、2路線の電車が遅延しているというおまけつき(乗り換え2回、使用3路線という遠方会場だったのだ)。その間いささか放心状態で家に帰り着き、部屋に散らばる『勉強道具』を見たときに思った。
『ああ、、、当分やらなくていいんだ・・・』
この1年半、握り締め、線を引き、掻き消し、塗り潰してきた勉強道具。たった1人で地道にやって来たので、そんな道具たちが戦友のようなもの。今はもう役目を一旦終えて、生命が感じられない普通の文房具。
『いや~・・・、終わったな』
何だか妙に、おかしなものだが、心にぽっかり穴が開いた気分。この1年半の間、何度勉強を辞めようと思ったことか。全部投げ出してしまえば楽になると、何度も何度も考えた。投げ出した時の高揚感を考えて、ストレスを発散したことも数知れない。試験までを指折り数えて、この苦痛から開放されるときを待ち望んだ。
夜寝る前には必ず、無意識のうちに明日の『勉強予定』を考えた。明日はどれぐらいやれるだろう?何時頃からやれるだろう?日々の計画が、勉強を中心に回っていたのに。昨晩寝る前も、『明日は何時まで寝ても何をやっても良いんだ・・・』と考えたら・・・、明日への興味が薄れたのが分かった。

こういうのが、いわゆる『燃え尽き症候群』というやつなのか?一般的な激しさは無いものの、心の中の空洞を、何をもってして埋めたら良いのか?もちろん試験は落ちているだろう。だから、早くも来年に向けて勉強を再開しなければならないのだ。
ならないのだが・・・、到底やる気が起きない。
まぁもちろん無職なので、優先事は職探し。これまで勉強に打ち込んだ分、職探しに打ち込むのが筋なのだろうが、とにかく今日は、何をする気も起きないのだ。暢気だなぁと、我ながら苦笑いだ。
年内は仕事探しにあくせくして、年明けから勉強を再開しよう。とりあえず自分の弱点は見えた。やはり文法が弱い(笑)。弱点を克服して、来年の検定の合格を目指す。さて、後何回受けることになるのやら・・・。
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東京国際映画祭

2009/10/16 11:15 ジャンル: Category:2009年☆日記☆
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第22回東京国際映画祭が始まってしまう。
昨年観たかった作品が招待されていた事を知らず、後々手痛い思いをした。次こそは!と決意を固め、その情報を追い続けていたのに・・・。職無しのこんな状態では、暢気に映画なんぞ行っている余裕は無い。
時間的余裕は、無限大にあるのだけど・・・。

最近では食事の回数を減らし、友達とも会えず、夜でもなるたけ部屋の電気をつけないようにしている。それでも生活はカツカツどころかどん底。まさか映画なんてなぁ?
なぁ?
なぁ?

あ~、悔しい悔しい。
来年こそは、行けるようになっていないと。そりゃそれこそ本当に、ヤバイから(笑)。
今回私が観たかった作品は、今後DVDになることを期待しよう。
有名監督の作品なので、きっと1作くらいはDVDになるだろう・・・と信じて。

子供向けと言わず・・・

2009/09/09 22:48 ジャンル: Category:2009年☆日記☆
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ここ最近立て続けに、児童小説を読んでいる。いわゆる『ジュブナイル』というジャンルで、欧米では『Young Adult』と評される。対象年齢のくくりは様々だそうだが、私が好きなのは10代半ばから後半向けだろうか。主人公が10歳頃でも楽しめる作品はたくさんあるが、やはり幾らか、大人びたところが合ったほうがよろしいと思われる、少なくとも私には。

最近児童小説ばかり読むのは、勉強などして頭を使っているせいだろうと友人に指摘されたが、あながちそうとばかりは言い切れない。大人向けの小説は幅広い代わりにハズレも多いが、児童小説のほとんどは『子供の成長』を描いており、むしろそれだからこそ児童小説なのであって、内容が清潔でハズレがほとんどない。

日本でも、有名な児童小説専門の作家が数多く紹介されており、私も大分読んできたと思われるので、ここらでちょっと整理してみようと思う。

やはり、好きな作家第1位は、即答で『アレックス・シアラー』。
この方は凄い、とにかく、素晴らしい作品を書く。プロットの奇抜さ面白さ、瑞々しい子供たちの姿、子供だけではない、大人も含めたキャラクター造形の巧みさ、面白さの中に、ズシリと心に残る数々の名作。

第2位は、悩むところだが、『ジェイムズ・ヘネガン』。
日本ではまだ2作しか翻訳されていないが、どちらも忘れられない衝撃と深みを心に残してくれた良作。物語の盛り上げ方が、特別に上手い作家だと思う。

第3位は・・・さて?僅差で『ベンジャミン・ゼファニア』。
なにしろ言葉の使い方が上手い、詩人ならではの言葉選びと構成の巧みさが秀逸。ストーリーはいささか重過ぎるか?とも思うが、その分、心の襞の隅々まで染み透って、なかなか消えていかないのだ。

その他にルイス・サッカーデイヴィッド・アーモンドなど等。ロバート・コーミアはここに分類して良いのか?と思うが、大変に面白い作家である。マークース・ズーサックも、そもそもはヤングアダルト作品で名を上げたそうだが、『本泥棒』で見事大人の小説界に大きな足跡を残したので、希望的観測から大人作品の作家に分類したい。

好きな作品は?となると難しい・・・。
1位はやはりアレックス・シアラーの『スノードーム』。
他の多くのシアラー作品とは違ったダークな雰囲気だが、とにかくこれほど幻想的で魅力的で切なくて夢中になれる作品も余り無いと言える。

2位以降は団子状態。どれも良い、区別なんて付けられない!

ライトニングが消える日』ジャン・マーク著
これはもう最高の物語。児童小説初心者の頃に読んだからかも知れないが、とにかく鮮烈な印象を残した。この方の作品で絶版になっていないのが2冊あるので、その内に読みたいなぁ・・・、と思って早数年。

過去への扉をあけろ』ハンス=ユルゲン・ペライ著
これはもう、世界中の子供たちが読むべき良作。こういう作品を読ませないから、学校教育はダメになるのよ!(笑)。こちらも『セリョージャ、放浪のロシア』というのが翻訳されている!大変!読まなくちゃ!!!

シーズンチケット』ジョナサン・タロック著
これもまた珠玉の名作。学校の先生が書いただけあって、子供心の描写がなんともリアルでいじらしい。

アレックス・シアラーなら『チョコレート・アンダーグラウンド』、『ミッシング 森に消えたジョナ』も良い、ジェイムズ・ヘネガンは『リヴァプールの空』、『シーオグの祈り』共に素晴らしい出来。デイヴィッド・アーモンドは全体的に本当に重すぎて、子供には着いて行けないのでは?と思わせるが、『肩胛骨は翼のなごり』は秀作だった。
わすれていたが、ポール・フライシュマンもなかなか面白い作品が多く、『風をつむぐ少年』は良かったな。こちらは翻訳本も数多く出ているので、その内に。こうして整理してみると、ヤングアダルト・ジャンル、本腰を入れて追求する価値がある。子供向け・・・と思わずに、大人の皆さんもどしどしチャレンジして欲しいジャンルだ。

理想論

2009/08/30 22:07 ジャンル: Category:2009年☆日記☆
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思えば、私が世界の貧困や身体の不自由な方々の支援を胸に留めるようになったのは、昨日から本日にかけて行われた『24時間テレビ』のお陰だと思う。子供の頃は、大抵早朝に手塚治虫氏のアニメをやっていたように記憶している。まずはそれが楽しみで、毎年欠かさず見るようになった。それに何となく、夏休みの大きなイベント!というお気楽な印象もあったと思う。
本当に幼い頃は、カンボジアがどこにあるのか、アフリカがどんな国なのか知らないまでも、『生きる』ことすら精一杯の方々を見て、本当に単純過ぎてお恥ずかしいながら、『自分でなくて良かった』と思っていたものだ。
もう少し大きくなると、開発途上国の子供になる心配は無いとは言え、突然の難病や事故による障害など、いつ訪れるか分からないという恐怖が芽生えた。天災や戦争などによる地域復興、それによる被害を受けた人々の姿を見て、『いつか自分も』と考える恐怖が常に付きまとうようになったのだ。
さらに成長すると、助けを求めている人々に何も出来ない自分に苛立ちと卑下を覚えるようになった。何でこんなに苦しんでいる人たちを助けることが出来ないのか?僅かな募金の積み上げが、大きな威力になることを実感し出した頃だった。
そうして年々意識が変わる中で、長年居残り続けたもの、それは、『もし自分だったら?』という恐れ。私が機会あるごとに僅かながら募金をするのは、『もし自分が同じ立場だったら、善意の心で助けて欲しい』と思うからだ。
一生涯、開発途上国の国民にはならないだろう。うまく行けば、心身共に健康なまま、人生を終えることが出来るだろう。それでも、私が募金する先にいる方々は、『自分自身』なのだと思って募金を続けて来た。
人として生まれたからには、『幸せ』に生きる資格がある。生まれた国、育った環境、運命の如く失われた身体の機能によって、その資格を奪われるいわれは無いと、私は強く思う。もし私が、今少しでもそんな方々を支援できる立場にあるなら、その機会を逃す手は無いと心から思う。幸せは有り過ぎても価値は無い、全てを分け合ってこそ、ボーダレスでグローバルな地球人と言えるのじゃないか?私は、日本人である以上に、そういった意味での『地球人』でありたいと願っている。
そして同じくらい強く、『自分だけ良ければそれで幸せ』と言い切るような、そんなさもしい人間にならないように努めているつもりだ。

今回の『24時間テレビ』で集まった募金は2億円以上、1億人以上が暮らす日本で、僅か2億か・・・と少し寂しく思う。しかしこの世界的不況の最中、これだけの募金が集まったのは素晴らしいことかも?たった1局のテレビ局が行った企画で、これほどの金額が集まるのは、やはり凄いことなのかも知れないとも思う。
ちなみに私は、本日大変なご好意によって、実に簡単な日雇いバイトをしてきた。従って本日頂いたバイト代は、完全なるご好意によるものだ。なので、毎年1000円募金するところ、少しだけ余計に募金させて頂いた。私からの募金と併せて、ご好意のお裾分けという意味を込めて。

馬鹿らしいかも知れないが、常々考えていたことがある。『募金税』みたいなものを作れば良いのに。それは毎月課せられる、しかも課税対象者は0歳からだ。先進国と呼ばれる国だけで良い、課税金はその国の最低貨幣。
日本で言えば『1円』を、全国民から徴収する。日本国民1億2千万以上、単純に、毎月1億2千万円以上の募金が集まる。それだけでも凄くないですか?仮に4人家族であれば、毎月4円、年間48円。誰だって払える金額だが、まとまれば物凄い力だ。それこそまさに、世界を動かす力にだってなるかも知れない。

私は、フォスター・プランというところを通して、毎月3000円の支援を続けている。今回の突然の首切りに際して、正直続けるのは困難か?と思ったが、口座が空になるまで、支援は打ち切らないと決めた。
確かに情況は日々辛くなるだろうが、私はまだ五体満足に健康で、日本は暮らしやすく平和で、住む家もあって、洋服にも食べ物にも困らない。第一辞めるなどという後ろ向きな考えでは無く、途切れることなく支援を続けられるように、一刻も早く生活の糧を見つけるように努力するべきが正論だろう。

もう1つ、私の理想論がある。私がこうした月々の支援の話をすると、ほぼ100%『偉いねぇ』と言われる。例え本心でなくても、まるっきり興味が無かったとしても、『偉い』と言うのが正答という認識が強いようだ。
私はそれが、決して『偉い』行為だとは思っていない。無関心ではないというだけで、他にもっとするべきことがあるはずなのに、お金で解決をしているという思いが拭えない。だから『偉い』わけでは無いのだ。しかし本当に本当に『偉い行動』をしている人は、世界中にたくさんいる。何より最も尊敬すべき人たちは、支援を受けるべき人たちである。どんな境遇の中にいても、『生きよう』と、強く立ち向かう人たちである。
だからこそ、私の行為が『偉い』と言われるのではなく、『当たり前』と思われる世の中になって欲しい。募金をするという行為を言うまでも無く、促すまでも無く、『当たり前』である世の中、それが私の最大の理想論なのだ。

歴史を作る人々

2009/08/26 00:45 ジャンル: Category:2009年☆日記☆
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さて、世界陸上は終わってしまった、あっという間の9日間。今年も世界最高の選手たちが、様々なパフォーマンスを見せてくれた、実に充実の9日間。

そして今回はなんと言っても、男子やり投げで見事銅メダルを獲得した村上幸史選手だ。まず私が凄い!と思ったのは、選手生活も長く、今年で30歳になるというその年齢だ。まだ伸びている、その身体能力の高さ、のびしろの大きさに感服する。
やはり陸上と言うと、25・6歳がピークという気がするし、事実世界でも有名な選手が30歳を前にピークを向え、27・8歳頃では苦しみながら戦っている。日本の選手でも幾人か、27・8歳頃で限界と向き合いながら戦っている。
そんな中、30歳になる年に記録を更新し、なおかつ世界大会でその実力を遺憾なく発揮し、歴史上初めての偉業を成し遂げる。これまで4度の世界大会を経験し、その全てで予選落ち。ピークと思われる20代半ばから後半でもなせなかったことを、29歳の今やり遂げるとは、心から素晴らしいと思うのだ。30代に上ろうかという頃なら、『お疲れ様』と見送りモードになってしまうこちらの勝手な見方をさらりと交わし、『これから』という可能性を見せ付けてくれた。

可能性と言えば、これまでやり投げと言わず投擲種目は、日本人には無縁の世界。あの室伏広治選手が頭角を現すまで、世界大会でも余り取り上げられることは無かった。とはいえ室伏選手は、投擲会のサラブレッド。
ハーフであり投擲のDNAを満身に詰め込んだ、トレーニング環境も万全の室伏選手が引退したら、また日本の投擲界は影が薄くなってしまうのではないか?と、心のどこかで寂しい思いがしていた。そんなネガティブな憶測を払拭し、新たな世界、新たな世代の可能性を見せてくれたのも、村上選手だと言えるだろう。
日本人でもここまでやれる。やり投げと言わず、自分の見出した道であれば、努力が実らない日は無いのだと希望が持てる。

かつても現在も、大いなる『可能性』を見せてくれた選手は幾人もいる。陸上競技だけでも、短距離の末續慎吾選手、ハードルの為末大選手、棒高跳びの澤野大地選手。短距離の伊東浩司氏も、燦然と輝く10.00秒の記録、アジア人初の9秒台の夢だった。こうした人々は、可能性以上に『夢』を見させてくれ、どれほどその陶酔感に浸ったことか。今時分騒がれている薬物より、私にとってはよほどトランスできる瞬間である。
いまだに、末續選手のあの200mの決勝の舞台を鮮明に思い出せる。出走前の緊張感、集中しきった潔い表情、カーブを抜けて、接戦で駆け抜けたゴールライン、雄叫びを上げる末續選手に涙ながらに拍手を送り、明け方5時過ぎにも関わらず、同じく眠れなかった友人からメールが入った(笑)。
こうした選手たちは結果として、『歴史』そのものなのである。私たちは子供の頃から『過去の』歴史を勉強し、現代においては歴史を目撃することなんて無いと錯覚している。世界のあちこちで戦争が繰り返され、政治体制が変わり、国が分断し、合併しても、それは他国の出来事であって、歴史としての実感は薄い。
素晴らしい芸術が生まれても、ラファエロやダヴィンチ、ゴッホやピカソ、ロダンやライトには敵わない。素晴らしい映画が出来ても、黎明期に活躍した往年の映画スター達の輝きには届かない、食べ物も、環境も、平和も、悲劇も、生活のあらゆるものが研ぎ澄まされ飽食した今、感動すらも飽和していると感じる。
そんな中、彼らは『歴史』が動く瞬間を、時代の中に着いた大きな足跡を見せてくれる。これってとんでもなく『凄いこと』ですよ。まぁ私はスポーツを見ることが好きなので特にそう感じるのだろうが、それでも、『歴史』を作れる人は何が何でも凄いのだ。

日本で初めて、やり投げ種目でメダルに輝いた村上選手。彼の試技を見ている間中、私は今、『歴史』を見ているのだと実感した。大きく揺るがなかった固定概念が、今崩されようとしている。まさに、『壁を打ち崩す』大きな一投。
今年、夏のベルリンで、1つの『歴史』が作られ、始まった。その瞬間を目撃できたことが、この夏、私の最高の思い出になった。そんな村上選手に、おめでとうございます、そしてお疲れ様とお伝えしたい。新たな歴史の始まりを背負って、30代の大いなる可能性を秘めて、次なる戦いを期待しています。

神様との初対面

2009/08/23 23:52 ジャンル: Category:2009年☆日記☆
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軽井沢に逃避に来ている。今こそまさに、現実逃避に最適な時期なのである。そして本日は、『お祓い』に行って来た。正しくは『ご祈祷』ということらしいが、その辺の詳細は良く分からないのではある・・・。

なぜ今『ご祈祷か?』というと、今回のクビ切りの話を受けて、ほぼ9割の友人連中に『呪われている』と言われたから(笑)。いや、笑い事じゃないか・・・。
確かに、今回の『クビ』で連続3回目。しかも、昨年夏にようやく居心地良いバイト先が決まって、これで安心して日々を後れると思ったのも束の間、年末にはそのバイト先が無くなった。考えてみれば、もう5年くらい、クビを切られたりなんだりで、落ち着かない日々を送っている。
仕事を収めた翌日、友人連中に『恒例になりましたが、金が無いので暫く消えます』というメールを送ったが、誰もかれも、しごくすんなり受け入れてくれたものである。少し前なら、『そうは言わずに・・・』などと励まして色々声をかけてくれたが、それも私にとっては重荷であると気づいた上の、無言の優しさなのである。

軽井沢に来てしみじみ考えてみて、どう楽観的に見ようとしても、今の私はどん底だ。しかも、情況が好転する見込みは極めて薄い。しかも、悪化する目処はかなり明確に立っていると言える。つらつらここ数年を思い返してみても、この情況を覆して余りある幸運を思い付かない。しかしだ、同等する最悪情況なら幾らでも思いつく。
これは本当に、、、何か悪いものでも・・・憑いて?

これまで1度も、神がかり的なことにお金を使ったことが無い。厄年も初詣程度だし、占いなども付き合いで1000円までが限界。やってはみるものの、腹の底では信じられない自分がいた。ご愛嬌程度で、面白ければそれで良いか・・・と。
しかし今回、心底から『お祓いがしたい』と思った。そこで、父・母を連れて無理やり長野の『生島足島神社』というところに行って来た。料金は、奉納というかたちで6000円。調べてみると、これは比較的お安い額らしい。
実際やってみるまで、6000円も払って後悔しそうだ・・・。などと考えていた。しかしかなり勢い良く言い出したもので、両親の手前引くに引けないところがあった。しかし終わってみれば、妙に清々しい気分。6000円払ったことにも後悔は無い。むしろ、ありがたいという気持ちが強かった。
馴染みの無い神社内部に足を踏み入れ、時期的にもご祈祷されるのは私たちだけの贅沢な時間。厳粛な神主さんに促されるままに、頭を垂れて空気に浸る。大げさなものではないけれど、神様に包まれているような厳かな雰囲気、とても良い経験をした。

粛々と儀式が進む中、日本人である私たちは、普段神様からは少し遠いところにいるのかも知れないと思った。神主さんなど神様にお仕えする方と言葉を交わす機会もほとんどない。大方の人は特別な機会も無ければお寺や神社に出向くことも無く、それ自体が1つのイベントのようになっている。
仕来りからか建物の中に入ることは許されず、常に外側から眺めるだけという現実も手伝ってか、『神』というものが、どこか遠い存在であり続け、むしろそれが美徳のように思える日本の文化。神やお仕えする方々はとても上の存在で、簡単に向き合えないと感じるのは、古来から変わらぬ心情だろうと思う。
反して、キリスト教などは少し違う。常に教会は市民の傍らに存在し、いつでもその内部に踏み入ることが出来、神に仕え、代弁者たる牧師や神父らの言葉を聴き、頻繁に言葉を交わすことが出来る。それはとても近しいものであり、だからこそ常に心の中に留めておくことが出来るのかも知れない。
日本でも、仮にお寺や神社の内部に入ることが簡単であり、毎週のようにご祈祷や説教を受けることが出来、それが習慣として根付いていたなら、もしかしたら私は熱心な仏教徒になっていたかも知れない。
欧米の教会内部は荘厳で神聖だ、モスクの内部もまたしかりである。その中に入ると、何か異次元の清いものが充満しているような気持ちになる。その澄み切った空気の中にいると、自分を包む穢れた世俗の誇りが吹き去られるような思いがするのだ。古の時間が今もまだ脈々と流れているような、神秘的な空間だと思う。
しかし教会の中にいると、少し落ち着かない気持ちにもなるのだ。ここは自分の居場所ではない、私の場所は他にあるのだと。それが今日はっきりした。鮮やかな掛け物、美しい板張りの部屋、神聖な祭壇、薄暗い室内に澱みない空気、穏やかに聞こえる神主さんのお経をあげる声、ここが、私の魂が安らげる場所なのだと実感した。
キリスト教の信者の方が、教会に行ってただ感動して涙を流したなどという話を聞くが、今日はそれと似たような感覚を覚えた。理屈では説明できない感動が、じわじわと押し寄せて来たのだ。あの感覚は何だろう?自分でも説明は出来ないが、何かとても安心するような、満足感の深い感覚だった。

家には魂が宿る、人の思いは家に宿る。これは私の持論である。神もまた、家の『内部』に存在するのかも知れない。だからこそ、キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、ヒンズー教であれ、大方の宗教は神の家の内部で祈りを捧げるのかも知れない。
残念だと思うのは、日本人で仏教徒である限りは、本当の意味で祈りを捧げ、神と対峙できる機会は少ないのではないかということ。お賽銭を上げて、鈴を鳴らして、ほんの数分頭を下げるだけでは満たされない、神社の内部に入ってこそ、真に神秘的な存在を信じ、感じることが出来るのだと思った。
そんなわけで、今日はとても良い気分だ。あの空気に包まれて、私の悪運も霧散霧消してくれたのではないかと期待している。あとは、自分の努力次第だ。ちょっぴり、活力も沸いてきたのである。それよりなにより、ご祈祷というあの特別な時間、少し癖になりそうな予感がする。何の形にも残らないことに6000円も大盤振る舞いして、これほど清々しい気持ちになったこと、それが私にとっての最大の奇跡体験だ(笑)。

プロフィール

hiyo

  • Author:hiyo
  • たった二つの趣味、映画と読書を中心に、日記を書いてみたいと思います。
    最近、自分の時間を充実させたいな、と結構真剣に思っていたりして。文章を書くのも結構楽しいし、誰かが通りすがりに読んでくれたら、嬉しいかな、とか思っている。
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