『アイ・アム・レジェンド』

2008年05月13日 23:28

〔米〕I AM LEGEND (2007年)
監督:フランシス・ローレンス
原作:リチャード・マシスン
脚本:マーク・プロトセヴィッチ/アキヴァ・ゴールズマン
ウィル・スミス/アリシー・ブラガ/ダッシュ・ミホク/チャーリー・ターハン/サリー・リチャードソン/ウィロウ・スミス/ダレル・フォスター/エイプリル・グレイス/ジェームズ・マッコーリー

無人化したN.Yの街中に、ただ1人の人間となって生きるロバート・ネビル。彼は、3年前に発生したウィルスにより破滅した人類の、数少ない免疫保持者だった。軍隊の科学者でもあったロバートは、日光に弱く、凶悪な暴力性を発祥するウィルスの治療法を研究するため、ウィルスの発生源である地に留まっていたのだ。

基本的にホラーは見ない、サスペンスも正直苦手だ。製作者側の意図を完全無視して、時々堪え切れなくて早送りしてしまう不届き者だ。ではなぜこの作品を見たのかというと、『世界でたった1人生き残った人間』というプロットと描き出しに興味があった。しかし大変恐縮だが、R・マシスンの小説作品が余り好きではないので、原作を読むのは論外だった。たった1人の世界を、いかに映画として見せてくれるのかにも興味があったので、映画で良いかなぁ?と(笑)。
一部本物の街中を利用して撮影されたと言う『廃墟N.Y』、あの映像は凄かった。その他でも、細かいディティールに凝ったリアル感が随所に見られ、ありえない状況だからこそ生まれる、詳細な部分の不自然さや違和感もほとんど見受けられなかった。
ただねぇ、ラストに続く一連の流れから、急に『物語』としての不自然さが目立ち始めた。主人公の理性が1度崩壊するのは解るのだが、持ち直してからが不自然なの。偶然の出会いも違和感があるし、彼等の行動も不可解だ。リアルにウィルスによる破壊を描き、細かいディティールに凝った割には、急展開のラスへ持ち込む構成が不自然なのよ、もう全体が不自然。だからラストには、上手くまとめたなという思いはあれど、なんとなく物足りない気持ちが残った。
と思ったら!!!なんだ、『(最初に撮られた)衝撃の別ラスト』があるのね。そちらをご覧になった方の意見を見てみると、『初期のラストの方が良かった』という意見が多い。もしかしたら、良かれと思って劇場版ラストは綺麗にまとめたのに、実際には想定外に不評で、ならば!と最初に撮影した別バージョンを慌ててDVD収録にしたのかも?なんて(笑)。
と言われても、DVDを買うほどの興味は無く・・・いやウソ、観たいけど、もんの凄く観たいけど、DVDを買うのは悔しい、この手の映画を手元に置く趣味は無い。いや〜、でも気になるね。やはり様々な意見を考慮すると、断然『別ラスト』の方が良いように思えてきた。
いずれにしろ、原作も読まずに何なのだが、想像していたラストとはちょっと違ったのだ(笑)。結局ロバートがウィルスを滅亡させ、侵されていた人達も健康体に戻り、彼らを救ったロバートが伝説になる、という話かと・・・勝手にね。ただ良く考えたら、あんなに獰猛な患者にどうやって薬を与えるのかと・・・、普通の病人みたいに、おとなしく腕まくってくれないものねぇ?
さて最後だが、W・スミスがやはり良かった!愛犬サムも愛らしく、犬だけが『生きる』相手として心の拠り所なのが見て取れる。マネキンに語りかける、普通なら怪しいこの行為も、強烈な孤独感が溢れてくるようで切なくなった。普通の演技では中々表現する事の無い状況、想像すら付かない世界を演じたと思うのだが、ロバートの感じたであろう心情はしっかり伝わってきた。
果てしなく続く静寂、無限とも思える恐怖と絶望、日常の生活では決して得ることの無かった、想像を遥かに超えた孤独な世界。新薬を見つけるという情熱に縋り付き、ギリギリの所で正気を保っていた事だろう。それでもきっと、壊れていく自分を心のどこかで意識していて、しかもそれを、押し留める気力すら日々奪われていく。決して増える事の無い思い出、日々薄れていく愛する人との繋がり、ああ、想像するだに恐ろしい。W・スミスの瞳には、そうした悲しみが確かに宿っていたと、私には見えたのだが、果たして?(何故か自信ない(笑))。
全体的にサスペンスフルな構成で、様々な感情や状況にじわじわと『追い詰められる』事を見せてくれた。CGを駆使してのあらゆる映像は迫力があり、静寂と戦いのコントラストが印象深い作品だった。別のラスト・・・観たいなあ。。。

アイ・アム・レジェンド 特別版(2枚組)アイ・アム・レジェンド 特別版(2枚組)
(2008/04/24)
ウィル・スミス、アリーシー・ブラガ 他

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ぽすれん『アイ・アム・レジェンド』紹介

勉強方

2008年05月13日 23:24

そんな訳で(笑)、私は今『お勉強』に僅かな時間を割いているわけだが、とにかく本当に何が何でもとことん、私は勉強が苦手なのだ。要は、『効率が悪い』タイプらしい。学生時代から、テストのヤマを張るのがとにかく苦手で、万が一にもヤマが当たったところで、『ああ、、、そういや勉強したはずだなぁ?』程度しか記憶が蘇らないのだ。
ノートの取り方なども良く解らなくて、黒板丸写しが精一杯。勉強が良くできる子のように、マーカーを引いたり色取り取りに華やかに、構図良くバランス良く見やすいノートって、どうやったらできるのだろう?といつも羨ましかった(笑)。

とにかく効率の良い勉強方法が解らない、記憶するにも、きっと効率の良い方法があるのだとは思うのだが、私には解らない。正しい方法が1つあるという断定的なものではなくて、個々人に合った勉強方法と言うのがあるのだろう。私の場合は、何が適しているのか?
私が目指す、日本語教育能力認定試験。出題範囲は恐ろしく広範囲で曖昧だ。幾つかの教材や指南書を当たってみたが、大方は、『日々の暮らしの中でアンテナを張って、日本に暮らす外国人のこと、世界情勢に関してのニュースを学ぶように』と説いている。勿論日本語の文法の再確認は大切だが、主にアジアに向ける興味を深るというのが、とても重要な要素なのだ。
かつてレストランやホテルで働いていた時に、多くのアジア系の方とご一緒した。日本語も英語も話せなくてコミュニケーションに困ったりもしたが、大抵の方は驚くほど早く日本語をマスターされて、毎日の生活に役立てていた。

高校生の頃に一緒に働いていた中国の女性は、子供を国の親元に預け、勉強のために日本に来たと言っていた。彼女の作ってくれた餃子は本当に美味しくて、当時日本しか知らなかった私に、世界は本当にあるのだ!という、素朴だが強い興味を掻き立てた。
そんな彼女も、天安門事件を堺に急遽帰国してしまった。そんな時代だった。その事件の情報を職場に持ち込んだ彼女の動揺、それに続く慌しい帰国、世界では、大変な事件が起きているのだと、無学な私の脳裏に強く焼きついた。
別のホテルでは、台湾の留学生の女性。明るく元気な彼女は、驚くスピードで日本語をマスターして、更なる目的のために旅立っていった。お世話になった皆様にと、彼女がくれた美しい刺繍のある小さな袋、異国の匂い漂うその思い出の品を、今も私は大切に持っている。何よりも、彼女の高い志が素晴らしいと感じた。如何なる状況であろうとも、明るさと気概を持って大らかに挑む彼女は、まだ若かった当時の私に、大きな感銘を与えたのだ。
長く働いていたレストランでは、中国人の一団が皿洗いを担当していた。皆家族のように仲が良く、片言の日本語で良く私達と話をしていた。勤勉で、明るくて、とても良い人達だったのに、ある日突然、集団で消えてしまったのだ。理由は、不法就労発覚による強制退去だった。
前日の夜に笑顔で手を振って別れ、翌日出勤したら彼等はいなかった。それほどあっけなかった。大きなレストランの皿洗いが総勢で消えた後の混乱は筆舌に尽くし難く、彼等の労力の大きさを思い知ると共に、国境を越える事の難しさ、必ずしも人と人との繋がりだけでは守れない、生活や尊厳という事に、酷く理不尽な思いがしたものだった。

こうした人達を手助けできればと、薄ぼんやりと私の頭に去来したのは大分前の事。この他にも多くの外国人の方と一緒に仕事をしたりしたが、良く言われたのは『あなたは良い先生ね』というもの。文法の事など良く解らないが(笑)、彼等の素朴な質問が面白くて、いつもそんな日本語談義をしていたのだった。『ペラペラ』ってどういう意味?『あの“おばさん”とあなたは言うが、あれはあなたの伯母さんなのか?』。そんな他愛も無い質問が、どしどし持ち込まれるのだ(笑)。
何か解らない語法や単語があると、私のところに質問に来る人が多かった。曰く説明が解りやすいと褒められたが、手前味噌でお恥ずかしいのだが、それなら!結構良い先生になれるんじゃないの?という、余りにも楽観姿勢で始めたこの目論見(笑)。
今では様々な要因がひしめき合っているが、かつて私が出会った多くの方々、子供だった私に、僅かでも世界を見せてくれた人達に、少しでもまた近付きたいと、そんな思いがあったりする。良く『日本語教師』というと、欧米人に教えるという理想を持っている人が多いと聞くが、私の場合は、その辺りだけは的確に、現状を把握していたようだと一先ず安心。
しかし・・・正直言ってしまうと、アジア系の歴史、情勢などは大の苦手、何しろ日本もその範疇に入ってしまうぐらいだから性質が悪い。新聞でも購読しようか?と思ったが、耳を澄ませてみれば、日本語教師に絡みそうなアジアのニュースは、驚くほどに多い事が判明した。
ネット、ラジオ、テレビ、それだけでも、かなりの勉強の手助けになってくれそうなのだ。

他に日本語教師になるための日々の努力としては、常に正しい日本語を話すように注意し、正しい書き順を意識し、特にひらがな、カタカナが正しく表記できるように心がけよ!と言うもの。話すのも、単に美しい文法や言葉遣いというのでは無くて、正しい発音を心がけるのだそうだ。
特にアナウンサーの話し方を研究し、真似するようにすると良いらしい。確かに英語でも、話し手によって聞き取り易い人、聞き取りにくい人と極端だが、その極端さは、私が『日本語耳』だから顕著なのだと思う。『韓国語耳』『中国語耳』『フィリピン語耳』の人達に、的確に伝わる日本語を話せなくてはならないのだ。はて、やたらと早口な私、発音は如何なものだろうか?
私自身、英語が出来なくて、海外に行った時に様々な困難に出くわした。その時の事を思えば、こうした指摘はなんとも適切だと思わざるを得ない。以前アイルランドのツーリスト窓口で貰ったメモは、ミミズがのたくってるようにしか見えなくて、結局島へのツアーは断念した。英語も聞き取れなければメモも読めない、待ち合わせの場所が理解できなかったのだ(笑)。
これは英語圏の人でも読めないだろう?と思ったのだが、アメリカの方に聞いたらあっさり『読める』と(笑)。長年の慣れとはこういうものなのかと思うと同時に、染み付いてしまった感覚は中々治らないものである。この点、今後は注意して過ごしたいと思う。
こうした経験を糧にして、普段日本人として日本で暮らしていると見えない、『当たり前が当たり前ではない世界』を再認識する、これも勉強。なんだか少し、面白くなってきた。

『牧羊犬シェップと困ったボス』

2008年05月13日 23:22

マージョリー・クォートン著/務台 夏子 訳/創元推理文庫
ボーダー・コリーのシェップは、青色の血統書を持つ優良な牧羊犬だ。牧場主のボスは頑固で凡庸で単純な男だが、シェップは心から愛している。そんなボスが競技会熱に取りつかれたから大変!羊を追って楽しく暮らしていたシェップの毎日は、競技会の為の練習の日々と化してしまった。しかし才能あるシェップは瞬く間に優勝犬に!アイルランド西部の田舎町は大賑わいだ。ボスに似た素朴で愉快な奥さん、ボスの子供のマーティン、ボスの友人達、そしてシェップの仲間達が繰り広げる、朴訥で爽やかで最高に愉快な、アイルランドの牧場のお話。

いや〜、もう最高だ。牧羊王国とも囁かれる(笑)アイルランドの牧場のお話だ。語り部はシェップ、そう、犬だ♪自らも牧場を経営し、ブリーダー業もしているという著者が描くのは、本当に犬が語っているかのような(笑)、犬の習性を巧みに絡ませた物語だ。
犬たちが飼い主を、『愛さずにいられない』という姿はなんとも微笑ましい。頑固だが、結局それは実直な田舎育ちの証のようなボス。電話の音に煩わされるのが嫌だからと電話は引かず、TVだって未だ白黒。髭を伸ばせば映画に出してやると言われても、気風良く断るいなせさ。でも、親友を代わりに・・・と言われれば、あっさり髭を伸ばす潔さだって持っている。まずボスが最高だ、こんな男なら、愛さずにいられないのも当然かも(笑)。
ボスの奥さんも、農場の、そしてアイルランドの女性らしく、強く、諦めも良く(笑)。しっかりとボスを御しているのに、それと気付かせない強かさ。ボスの弟ヤンクがアメリカから帰郷したら邪魔者扱いするくせに、またアメリカに帰るとなると大泣きして別れを惜しむ。進歩的なのか現実的なのか、非現実的なのか解らない、全く、ボスとはお似合いの夫婦なのだ。
ボスの息子マーティンは『ロック歌手』を夢見る若者、旅に出ればトラブルまみれのジム・ドーランはボスの親友だ。腕の良い調教師のオブライエンさんは、心根も優しく正直な良い人、マーティンの妻ジュリアと息子PJは災厄のような存在で、ボスとシェップはいつもコソコソ逃げ回る。
犬たちの個性も様々だ。シェップの子供を次々と産む、ピンクの血統書を持つジェス。子犬に対する母性と父性の違いも、犬ならではという様相が見て取れる。シェップがどうしても気にして止まない美犬フルージー、ジム・ドーランの愛犬ベン、シェップの子供で、手に負えない暴れ犬のタイニーなど、犬物語も気を抜けない面白さだった。
思い出すのはやはり、『ジェイムズ・ヘリオット・シリーズ』。ヨークシャーの雄大な自然を背景に、なんとも素朴で愉快な人達が繰り広げる、温かく、そしてコミカルで、人情味溢れる最高の物語の数々なのだが、本作の中にも、ヘリオット先生と同じ匂いを感じて嬉しくなった。
アイルランドの人々に対する印象は、『アイルランドのサッカーファンのファンがいる』という話が礎となっている。彼等の陽気さ、サッカーに対する飽きれるほどの熱意、世を楽しみ、同じ楽しみを持つ人を分け隔てなく受け入れる寛容さ。まさに、アイルランド人のあっけらかんとした大らかさを象徴しているような話だ。細かい事は余り気にしないんだろうな、、、考えないというか?
変化を嫌い、受け入れることが不器用な人達。それでいて、目の前の変化を興味を持って突っついてみる大胆さ。短絡的なのか良い意味で凡庸なのか、その素直さが面白い。ボスが息子マーティンの音楽を受け入れる様がまさにそれで、有名になるなら、何だって良いものなのだ!と本気で信じられる単純さが最高だ。私がアイルランド人に対して抱いていた印象を、そのまま文章にしたようなエピソードの数々。いっそこの架空の農場にホームステイがしたいぐらいだった。
アイルランドにはとかく暗い話題が多い。その歴史を振り返っても、制圧と貧困に苦しみ、痛めつけられた傷跡が生々しく感じられる。しかしだ、そうした基盤からこういう国民性が生まれたのだと言って、過言ではないだろう。その不撓不屈の精神感は、逞しさと共に尊敬すら感じられる。
この愛すべき人達の姿を、上手く表現できなくてもどかしい。もどかしいが、この作品からその姿を読み取る事ができる。こういう明るいアイルランド作品は非常に珍しい、日本では、『アイルランド=暗い過去』という固定概念が強すぎるように思う。本当は、こんなに愉快な人達なのに・・・。と言う事で、1人でも多くの方にこの楽しみを・・・ああ!絶版だった・・・。

牧羊犬シェップと困ったボス牧羊犬シェップと困ったボス
(2005/05/10)
マージョリー・クォートン

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