日本の美、日本の誇り
私の愛する番組、テレビ東京の『美の巨人たち』で、横山大観の『夜桜』という屏風を紹介していた。それは、かつてイタリアのローマで開催された、日本美術展覧会のために描かれた大作だそうだ。正直、テレビで見ているのに鳥肌が立った。屏風の凹凸を上手く生かしてるからなのか、夜の闇に、炎の煙と灯り、月夜の明かりを反射した金地の背景、その前面に浮かび上がる満開の桜の花々が、まさに3Dの映像の如く浮かび上がって見える。
いつも欧米が好き!という印象を与えるような日記を書いているが(笑)、そりゃあ確かに、欧米の映画ばかり見ているが、欧米の小説ばかり読んでいるが、東南アジアも東アジアも『アジア』関係には殆ど触れないが、それでも私は日本人なのだ。
海外の美術館で何度か、日本の絵画、武具、装飾品などが展示されているのを見かけた。それを食い入るように見ている外国の方々を見て、なんとも言えない満足感と誇れる気持ちに満たされた事がある。お恥ずかしいくらいに手前味噌な感情だが、私には妙な愛国心があるのだ。
1930年に、船で40日もかけて、遥か海の向こう、美術の総本山のような、ルネッサンス美術の本拠地のような、多くの芸術家がその基盤を得、多くの芸術家が憧れて旅をしたローマに運んだ。その試みは大成功を収め、多くの欧米人たちに愛された。それを成し遂げたのは、自分達を誇る気持ち。己の道を研鑽した者が持ち得る自信、その技術を用いて、国を、民族を世に知らしめようとする強い熱意。その心意気に感動する。
普段の私の言動からは到底信じて頂けないだろうが、私はこの広い世界の中で、数多ある国々の中で、『日本』に生まれた事は誇りに思っている。その思いは単に、『産まれたから』という短絡的なものではあるが、愛国心というのは、産まれたからこそ持てる物ではないだろうか?
そりゃあ海外の文化に憧れてはいる、海外だからと言うのではなくて、私は『古いもの』にどうしようもない憧れがあるのだ。日本にだって古いものが沢山あるが、あらゆるところで見られる物ではない。今の日本は新しい物に埋め尽くされ、余りにも簡単に古い伝統を捨て去ってしまう。日本のその風潮が嫌なだけなのだ。
従って、日本の『古いもの』は大好きなんである。かつては浮世絵が買いたくて、銀座の町をうろついた事もある。伝統文化には強い憧れがある。そうした伝統文化を学びたいと、ぼんやりとだが考えた事は何度もある。ただし、実現させる根性が著しく欠如していた(笑)。
テレビで紹介されていたローマ展(日本美術展覧会)に於いても、持ち込まれたのは伝統的な日本画が大半だったようだ。名立たる日本画の大家が新作を出展していたらしい。独特な自然を生かした情緒ある風景、仕来りのある整然とした人々、静謐な景色、しとやかで控え目な女性達、荒削りだが神秘的な自然の景観など等。それ等が、日本家屋を模した展覧会場に展示されたと言うから、なんとも憎い演出じゃないか。
私を実際にご存知の方からすれば、何を適当な事を・・・と思われてしまいそうだ。確かに、私は日本の歴史には滅法疎い。地域情報とか、基本的側面ではかなりの非国民だ、それは認める。
ただし、芸術面においてはその限りではないと断言したい、したい、希望なのではあるが、認めて欲しい。着物だって着られるし、絵画にもそれなりに造詣があるし(はず・・・)、建築物にも興味がある。活花や茶道もやった事があるし(活花はほぼ強制)、文化的な事には色々とチャレンジもしてきた。日本が誇れる『古来の日本美』に関しては誇りも愛情も十分あるのよ。
だからいつも思うのだ、私は海外に憧れてはいるが、あくまでも世界の中の『日本人』でありたいと。どこにいても、日本人である事を誇れる自分でありたいと。他国にいて、そこに埋没するような人間にはなりたくないと。だから、日本語教師になりたいと思った節もあったりする。
時々思うのだが、日本人は海外、特に欧米において、日本人である事を無意識に恥じるところがあると思う。遺憾な話ではあるが、欧米では、アジアや日本にかけた暴言も沢山ある。白人優位主義は、『黄色』と呼ばれるアジア人にも根強くあるようで、無意識にもそれを認めているのだろうか。冒涜されると怒るよりも恥と感じる、これもまた日本的な感情の表れかも知れないが、そうした積年の感情が、欧米の中にあって萎縮するという状態に繋がっていくのかも知れない。
ただ私達だって、堂々と持って行ける素晴らしい文化があるのだ。限りない自信と誇りを持って海を渡った、かつての日本人の話を聞いて、改めてそうした思いを堅甲にした。自ら描いて持ち出す事まではできずとも、学んで伝える事はできる。郷に入れば郷に従え、これも確かに事実ではあるが、誇りを持ち込み異文化に染まらない自信というのも、持ち続けたいものである。
ちなみに私の夢は、欧米に行って『お着物』で町を闊歩する事(笑)。堂々と胸を張って、瀟洒な美しい欧米の町並みに、日本の美を、一瞬の点でも良いから残したい。
いつも欧米が好き!という印象を与えるような日記を書いているが(笑)、そりゃあ確かに、欧米の映画ばかり見ているが、欧米の小説ばかり読んでいるが、東南アジアも東アジアも『アジア』関係には殆ど触れないが、それでも私は日本人なのだ。
海外の美術館で何度か、日本の絵画、武具、装飾品などが展示されているのを見かけた。それを食い入るように見ている外国の方々を見て、なんとも言えない満足感と誇れる気持ちに満たされた事がある。お恥ずかしいくらいに手前味噌な感情だが、私には妙な愛国心があるのだ。
1930年に、船で40日もかけて、遥か海の向こう、美術の総本山のような、ルネッサンス美術の本拠地のような、多くの芸術家がその基盤を得、多くの芸術家が憧れて旅をしたローマに運んだ。その試みは大成功を収め、多くの欧米人たちに愛された。それを成し遂げたのは、自分達を誇る気持ち。己の道を研鑽した者が持ち得る自信、その技術を用いて、国を、民族を世に知らしめようとする強い熱意。その心意気に感動する。
普段の私の言動からは到底信じて頂けないだろうが、私はこの広い世界の中で、数多ある国々の中で、『日本』に生まれた事は誇りに思っている。その思いは単に、『産まれたから』という短絡的なものではあるが、愛国心というのは、産まれたからこそ持てる物ではないだろうか?
そりゃあ海外の文化に憧れてはいる、海外だからと言うのではなくて、私は『古いもの』にどうしようもない憧れがあるのだ。日本にだって古いものが沢山あるが、あらゆるところで見られる物ではない。今の日本は新しい物に埋め尽くされ、余りにも簡単に古い伝統を捨て去ってしまう。日本のその風潮が嫌なだけなのだ。
従って、日本の『古いもの』は大好きなんである。かつては浮世絵が買いたくて、銀座の町をうろついた事もある。伝統文化には強い憧れがある。そうした伝統文化を学びたいと、ぼんやりとだが考えた事は何度もある。ただし、実現させる根性が著しく欠如していた(笑)。
テレビで紹介されていたローマ展(日本美術展覧会)に於いても、持ち込まれたのは伝統的な日本画が大半だったようだ。名立たる日本画の大家が新作を出展していたらしい。独特な自然を生かした情緒ある風景、仕来りのある整然とした人々、静謐な景色、しとやかで控え目な女性達、荒削りだが神秘的な自然の景観など等。それ等が、日本家屋を模した展覧会場に展示されたと言うから、なんとも憎い演出じゃないか。
私を実際にご存知の方からすれば、何を適当な事を・・・と思われてしまいそうだ。確かに、私は日本の歴史には滅法疎い。地域情報とか、基本的側面ではかなりの非国民だ、それは認める。
ただし、芸術面においてはその限りではないと断言したい、したい、希望なのではあるが、認めて欲しい。着物だって着られるし、絵画にもそれなりに造詣があるし(はず・・・)、建築物にも興味がある。活花や茶道もやった事があるし(活花はほぼ強制)、文化的な事には色々とチャレンジもしてきた。日本が誇れる『古来の日本美』に関しては誇りも愛情も十分あるのよ。
だからいつも思うのだ、私は海外に憧れてはいるが、あくまでも世界の中の『日本人』でありたいと。どこにいても、日本人である事を誇れる自分でありたいと。他国にいて、そこに埋没するような人間にはなりたくないと。だから、日本語教師になりたいと思った節もあったりする。
時々思うのだが、日本人は海外、特に欧米において、日本人である事を無意識に恥じるところがあると思う。遺憾な話ではあるが、欧米では、アジアや日本にかけた暴言も沢山ある。白人優位主義は、『黄色』と呼ばれるアジア人にも根強くあるようで、無意識にもそれを認めているのだろうか。冒涜されると怒るよりも恥と感じる、これもまた日本的な感情の表れかも知れないが、そうした積年の感情が、欧米の中にあって萎縮するという状態に繋がっていくのかも知れない。
ただ私達だって、堂々と持って行ける素晴らしい文化があるのだ。限りない自信と誇りを持って海を渡った、かつての日本人の話を聞いて、改めてそうした思いを堅甲にした。自ら描いて持ち出す事まではできずとも、学んで伝える事はできる。郷に入れば郷に従え、これも確かに事実ではあるが、誇りを持ち込み異文化に染まらない自信というのも、持ち続けたいものである。
ちなみに私の夢は、欧米に行って『お着物』で町を闊歩する事(笑)。堂々と胸を張って、瀟洒な美しい欧米の町並みに、日本の美を、一瞬の点でも良いから残したい。
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