『小道をぬけて』
ジョン・マクガハン著/東川 正彦 訳/国書刊行会
少年だったジョンは、優しい母と仲の良い姉妹達と暮していた。父親は離れた町の警察署長をしており、たまにしか帰って来ない。それでも強大な影響力を誇示するかのように、専制的で暴力的な態度を取る父。そんな父との長年に渡る軋轢、優しかった母の早すぎる死、少年は戦いながら成長し、やがて父を超える日がやって来る。教師となり、作家への夢を実現した著者が描く、少年の頃の思い出と壮絶な日々を、淡々とした筆致で綴る回顧録。
以前からこの作家の長編作品を読みたかったのだが、実は私が利用できる市の図書館には創作作品が入っておらず、回顧録の本作しか入荷していなかった。いきなり回顧録?という躊躇があったので暫く待ったが、ダメそうなので仕方なく回顧録から読むことにした。
早々に結論だが、どうしても長編を読みたくなった。かなり自伝的色合いの濃い作品ばかりのようだが、だからこそ、この回顧を録読んだら創作も読まねば!という気にさせた。
幼くして、最大の庇護者であり愛する母を失ってから、それまで離れて暮らしていた父と同居した生活は、描かれている以上に過酷だったことだろう。まだ年端も行かない子供が、新生活に向けて感じた不安なども、相当に大きなものだったろうと思う。しかしそうした部分を強調したり嘆いたりするではなしに、第3者的に、冷静に当時を振り返って綴っているという印象だ。扇情的な事よりも、あくまで正確さと事実的側面を貫いたという雰囲気。優しかった母と過ごした時期に一番割合を裂いているのだが、その部分に関しても、淡々とした正確さを譲ってはいない。
先日読んだ『妻への恋文』の主人公のように、人生を演ずる事でしか生きられない男として父親を描き出している。上記した作品の主人公ゼーブルのように陽気で愛すべき男ではなく、厳格さや冷淡さを演ずる父親は、傍から見れば非道で迷惑千万な印象だし、当の子供たちにしてみても堪え難い恐怖の源であり、後年には嘲笑の対象に成り下がる存在だった。この、本人が気付くとも無く行ってしまうその時々の感情の演技、こう在るべきだという思い込みの体現、そうした姿を読んでいると、非道な行いに対する憤怒というよりは、憐れみの方を強く感じてしまった。
恐らく著者も、そして兄弟達も、後年そうした思いに付きまとわれた事だろうが、驚いてしまうのは、それでも兄弟達が、親として彼を慕っていると言う事。これはもう、国というより時代の違いだろうと思う。人間として忌むべき存在だと心から思ってしまったとしても、親であるなら認めて貰いたい。どうしても愛さずにはいられない肉親という絆、子供として愛して欲しいという願望と嫌悪する心の葛藤。特に驚くのは、そうした複雑な感情があったとしても、『親は愛するのが当たり前である』という、どこか超然とした理屈に屈してしまっているような、疑問の余地の無い事実として受けれ入れているようなところがある事だ。深い悩み等ではなしに、当たり前の感情として俎上にも上らない。娘の結婚式にも出ない非常識な父親ではなく、結婚式に出てくれない事実を単純に悲しむその姿勢、現代で我侭放題に生きる私たちには、到底理解できない感情だと思う。
また興味深かったのは、生涯父親を『演じた』この父が選んだその父親像。ギネスが親友のような、曰くありがちなアイルランドの父親像ではなく、敬虔で頑固で仕来りに個室する保守的な父親像だった。これが結果、思うに子供達には最悪な日々を送らせたのだろうと思うのだが。
さて、作品後半に著者自信も語っている事だが、この作品は『自身』を語るためではなく、幼かった自分を取り巻いた人々や環境を緻密に丁寧に辿っている。とりわけ母と父に関して、恐らくは著者に多大な影響を与えたろう2人に関して、余すところ無く描いたと言えそうだ。
回顧録と言えば、子供の頃の思い出を面白おかしく描き出す作品か、トラウマになってしまったような衝撃的な日々を陰々と描いた作品が目立つが、こちらはそうした物語性を極力排除し、事実を出来るだけ克明に記した、まさに『日記』の上等版のような雰囲気。だから当然、全編これアイルランドの匂いプンプンなんである。表面的に理解していたつもりだった宗教のこと、人々の生活の実態など、こうした真摯でシンプルな作品の方が良く伝えてくれる。そうした面でも、大変に楽しく興味深い回顧録だった。
少年だったジョンは、優しい母と仲の良い姉妹達と暮していた。父親は離れた町の警察署長をしており、たまにしか帰って来ない。それでも強大な影響力を誇示するかのように、専制的で暴力的な態度を取る父。そんな父との長年に渡る軋轢、優しかった母の早すぎる死、少年は戦いながら成長し、やがて父を超える日がやって来る。教師となり、作家への夢を実現した著者が描く、少年の頃の思い出と壮絶な日々を、淡々とした筆致で綴る回顧録。
以前からこの作家の長編作品を読みたかったのだが、実は私が利用できる市の図書館には創作作品が入っておらず、回顧録の本作しか入荷していなかった。いきなり回顧録?という躊躇があったので暫く待ったが、ダメそうなので仕方なく回顧録から読むことにした。
早々に結論だが、どうしても長編を読みたくなった。かなり自伝的色合いの濃い作品ばかりのようだが、だからこそ、この回顧を録読んだら創作も読まねば!という気にさせた。
幼くして、最大の庇護者であり愛する母を失ってから、それまで離れて暮らしていた父と同居した生活は、描かれている以上に過酷だったことだろう。まだ年端も行かない子供が、新生活に向けて感じた不安なども、相当に大きなものだったろうと思う。しかしそうした部分を強調したり嘆いたりするではなしに、第3者的に、冷静に当時を振り返って綴っているという印象だ。扇情的な事よりも、あくまで正確さと事実的側面を貫いたという雰囲気。優しかった母と過ごした時期に一番割合を裂いているのだが、その部分に関しても、淡々とした正確さを譲ってはいない。
先日読んだ『妻への恋文』の主人公のように、人生を演ずる事でしか生きられない男として父親を描き出している。上記した作品の主人公ゼーブルのように陽気で愛すべき男ではなく、厳格さや冷淡さを演ずる父親は、傍から見れば非道で迷惑千万な印象だし、当の子供たちにしてみても堪え難い恐怖の源であり、後年には嘲笑の対象に成り下がる存在だった。この、本人が気付くとも無く行ってしまうその時々の感情の演技、こう在るべきだという思い込みの体現、そうした姿を読んでいると、非道な行いに対する憤怒というよりは、憐れみの方を強く感じてしまった。
恐らく著者も、そして兄弟達も、後年そうした思いに付きまとわれた事だろうが、驚いてしまうのは、それでも兄弟達が、親として彼を慕っていると言う事。これはもう、国というより時代の違いだろうと思う。人間として忌むべき存在だと心から思ってしまったとしても、親であるなら認めて貰いたい。どうしても愛さずにはいられない肉親という絆、子供として愛して欲しいという願望と嫌悪する心の葛藤。特に驚くのは、そうした複雑な感情があったとしても、『親は愛するのが当たり前である』という、どこか超然とした理屈に屈してしまっているような、疑問の余地の無い事実として受けれ入れているようなところがある事だ。深い悩み等ではなしに、当たり前の感情として俎上にも上らない。娘の結婚式にも出ない非常識な父親ではなく、結婚式に出てくれない事実を単純に悲しむその姿勢、現代で我侭放題に生きる私たちには、到底理解できない感情だと思う。
また興味深かったのは、生涯父親を『演じた』この父が選んだその父親像。ギネスが親友のような、曰くありがちなアイルランドの父親像ではなく、敬虔で頑固で仕来りに個室する保守的な父親像だった。これが結果、思うに子供達には最悪な日々を送らせたのだろうと思うのだが。
さて、作品後半に著者自信も語っている事だが、この作品は『自身』を語るためではなく、幼かった自分を取り巻いた人々や環境を緻密に丁寧に辿っている。とりわけ母と父に関して、恐らくは著者に多大な影響を与えたろう2人に関して、余すところ無く描いたと言えそうだ。
回顧録と言えば、子供の頃の思い出を面白おかしく描き出す作品か、トラウマになってしまったような衝撃的な日々を陰々と描いた作品が目立つが、こちらはそうした物語性を極力排除し、事実を出来るだけ克明に記した、まさに『日記』の上等版のような雰囲気。だから当然、全編これアイルランドの匂いプンプンなんである。表面的に理解していたつもりだった宗教のこと、人々の生活の実態など、こうした真摯でシンプルな作品の方が良く伝えてくれる。そうした面でも、大変に楽しく興味深い回顧録だった。
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