『ピエロの赤い鼻』

  • 2008/04/20(日) 13:05:18

〔仏〕EFFROYABLES JARDINS (2003年)
監督:ジャン・ベッケル
原作:ミシェル・カン
脚本:ジャン・ベッケル/ジャン・コスモ/ギョーム・ローラン
ジャック・ヴィルレ/アンドレ・デュソリエ/ティエリー・レルミット/ブノワ・マジメル/シュザンヌ・フロン/イザベル・カンディエ/ニナ=パロマ・ポーリー/ダミアン・ジュイユロ


長年小学校教師を続けてきたジャックは、やはり長年、ピエロになり続けてきた。そんな父を快く思わない息子リュシアンは、反抗的な態度ばかりとってきた。そんなリュシアンに、父の古くからの友人アンドレが語り始めた、父のピエロが生まれた経緯。20年ほど前の戦時中、2人のマドンナであるマリーに良い所を見せようと、レジスタンス活動の真似事をやってみせるジャックとアンドレ。それが思わぬ大事に発展し、彼等は他2名の若者と一緒にドイツ軍に捕らえられてしまう。処刑の危機に晒された時、彼等は1つの大きな出会いを経験したのだった。

そうねぇ、これはどうなんでしょ?観終わった時は、単純に良い映画だったなぁ〜と思ったのだが、実はその時も、『そう思い込もうとしていた』節がある。言わんとしている事も解るし、ある程度主題もぶれていないので伝わり易いとは思う。
ただねぇ?例えば主役ジャックとアンドレの安易さや軽率さとか、彼等に突きつけられた現実の、不必要とも思えるほどの冷酷さとか、なんというか、失礼だがフランスらしい。こういう映画は、イタリアやスペイン辺りが作ったら、もっと上手く処理してくれたように思う。
ジャックとアンドレの考えや行動と、彼等に覆い被さる現実の冷酷さのバランスが悪すぎるのよ。それだからこそ『戦争』なんだ!と声高に主張されたとしても、映画としては上手くないと思う。軽い気持ちで『レジスタンス活動』をしてしまった『良い大人2人』。先ずそこからして、余りの安直さに唖然ではあるのだが、それはまぁ、何とか自分の中で消化したとしよう。
それに続く事態の暗転、余りにも大きくなってしまう悲劇的側面に対して、ジャックとアンドレは全く付いていけていないの。最初の安直な思考そのままなんだね。で、それがラストまで続く。
ジャックが極限の苦痛や不幸の中で、『笑い』がいかに大切かに気付かされた、それを教えてくれたある人の存在、希望を持つ事の大切さだとか、美しい部分は良く解るのだが、それはもう、脳内で理屈と正論を無意識に構築した結果というかね。
そうした事柄を悟る上で成された悲劇というのが、見合わないほど大きいの。この呑気な男2人に対して与えられる幸運、その基盤としての悲劇とするなら、その格差が大き過ぎる、やはりどうしても、感じる都合良さが処理できない。ジャックとアンドレの描き出し、必然として生まれるレジスタンス活動の流れ、この辺りが上手く描ききれていなかったのが原因かな?ラストの展開においても、彼等の楽天ぶりは健在で、あれほどの苦悩を経験したのに反省も余り感じられなかったし。そんな呑気な彼等の姿から、彼等を救った悲劇の必然性を感じる事が出来なかった。
それでも紋切り型な美談を脳内で構築する事は可能で、無意識にそうしてしまっていたのね。この話の裏では、もっと堅実な何かがあるはずと信じて。原作読まなくちゃ、なりませんかねぇ。
後ね、20年前の事柄を語るのに、現在と同じ役者、しかも明らかに良いお年の2人を起用するのは如何なものかと?20年の時の流れが全く感じられない。これはちょっと痛かったなぁ。厳密に考えるなら15年そこそこかな?パリ開放の直前まで描かれてるはずだからね。それにしたって、微妙さは隠せない。なれた良い役者を使いたいのは解るが、あの2人に恋だなんだと無邪気に騒がれても、、、、微妙なんである。
観終わった直後は良い映画だったなぁ〜と思ったものの、心のモヤモヤを整理したら意見も反転。作りが悪いよね、原作そのものに要因は無いと思われる。父と息子の関係も片手間に描かれていた感もあり、勿体無いなぁと思わざるを得ないかな。似たような題材ならば、『ライフ・イズ・ビューティフル』かな。こちらの方が、作品としてはよほど秀逸だったと思われる。

ピエロの赤い鼻ピエロの赤い鼻
(2006/04/28)
ジャック・ヴィユレ、アンドレ・デュソリエ 他

商品詳細を見る


ぽすれん『ピエロの赤い鼻』紹介

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

コメント投稿

管理者にだけ表示を許可する