『田園交響楽』

  • 2008/04/26(土) 23:17:39

アンドレ・ジッド著/神西 清 訳/新潮文庫
村の牧師はある雪の深い夜、村外れで1人の老女の死を看取った。その家には目の見えない少女が、半ば放置するようにして育てられていた。薄汚く、礼節や礼儀などとは無縁で、言葉も知らず、まるで獣のような少女。牧師は彼女をジェルトリュードと名付け、淑女として通るように一身の教育を施していく。年月は流れ、美しく才気溢れる女性へと変貌を遂げたジェルトリュード。盲の彼女は見えないから故幸せでもあったのだが、牧師は彼女に開眼手術を受けさせる。長年閉ざされていた世界の景色を見たジェルトリュードは、なぜか川へと身を投げてしまうのだった。


物語自体は非常に短いが、その約半分を使ったぐらい長く、ジットに関する解説が載せられている。物語自体は大した事は無いのだが(笑)、その詳細な解説を読んで、もう1度物語を反芻してみる。・・・どうにも私には、作者を持ち上げすぎだと思えるのだけど?
持ち上げただけで『ノーベル賞』が受賞できるとも思わないが、物語が短い分、問題は多数提議義されていても、答えは作者からは与えられていないわけだ。だからこそ人は考える、そして研究する。これほど著名な人物が書いたなら、多くの意味が含有されているはずだと信じて。
これもまた時代なのか?現在では、ジットがこの作品を通して描いた問題や提議に類似した作品は、それこそ山程ある。より解り易く示している作品もあるし、物語的に面白い物も沢山あるだろう。簡単に言ってしまえば、この作品の云わんとしてる事は非常にステレオタイプな事柄で、そうした題材を描く作品としては、格別面白いとも思えなかった事。
実は、ジットその人の経歴を読んで、つくづくそう思ってしまった。なんだか・・・聖人扱いしているような錯覚を得たが、ちょい待ち?従姉と結婚した事、厳格な母の存在、父親不在、幼少の頃の学業不振等など、作者を形作った経歴、それゆえに描かれた物語たち、その題材。全てを総合して考えても、ジット様々論が入っている気がする。『穢れ無き妻には邪な肉の欲求などは無いはず』と勝手に決めて処女妻を押し通し、自分は男女問わず遊び呆けたって、、、何様?
芸の為なら女も泣かすじゃないけどさ、不倫も芸の肥やし?いやいや、何が何様って、そうして長年放って置かれた妻の感情を、ちゃっかり作品に転用してるじゃないですか!?従姉と結婚した、そうしたタブーや常識打破、例えば宗教に関する感情なども、幾つかの逸話と併せて上手い事利用しているようにしか・・・思えなくて。
単純に物語を読み終った時は、正直想像していたより遥かに俗っぽい結末で驚いていた。そこはそれ、著名な作者の事だから、この俗っぽさにこそ、牧師の犯した罪や堕落、影に潜む滑稽さなども見えるのだろうと、まぁ思ったわけだが、解説を読んでそんな思いも霧散したというか・・・。著者自信は俗っぽいと思っていたかどうかは知らないが、大衆はまさかそんな事を思ってはいないわけで、真摯にも、宗教だとか清廉なジェルトリュードの魂の事を考えているのかと思うと、自分のこの相容れない考えが、なんとも下世話な判断にも思えてくるのではあるが。
盲であるということも、実に上手く美しく描いていたと思ったが、ラストに続く一連の記述で、その部分すら肩透かしを食らった気分なのだ。なんとも、こういう時は学が無い自分を責めるべきなのか、お気楽な無学さを自画自賛するべきなのか、考えてしまう。
まぁ〜、性に合わない作家だったという事で、いずれ『狭き門』も読んでみようかと思っていたが、これにて打ち止めという事で、良いかな。

田園交響楽 (新潮文庫)田園交響楽 (新潮文庫)
(1952/07)
神西 清、ジッド 他

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