2008年05月15日 22:54
日本語教師になるための、日々の勉強法の続き(笑)。
先日の日記に色々書いたが、最後に1つ、取って置きの『勉強法』があったのだ。
それは、『日々、自分の考えを文章にするようにしましょう』というもの。他国語を学ぶ人達は、常に頭の中で文章を組み立てる。それに勉強の過程において、文章を作らせるのは正攻法だと言う。人に文章を書かせる前に、自分が文章の書き方を学べという事らしいのだ。
何も文学者になろうと言うわけではないので、『自分の考えを』という辺りに、ポイントがあるらしい。日記を付けるのも、良い方法なのだとか。ますます良いじゃないか、やってるじゃないか!ほぼ毎日!HPの頃から数えたら、5年ほども続けている。もちろん子供の頃から毎日、日記をつけている方には叶わないが(笑)、初めて、『やれる!』と思えた勉強法が出てきた(笑)。
1つ気になるのは、『起承転結の作り方、文章(=言葉)の繋がりなどを考えさせる』という指南があった事。実はこの『起承転結』を考えるというのが、子供の頃から苦手でして・・・。確かに学校で習った憶えもあるのだが、何しろ子供の頃からせっかちで、構成などを考える以前に、『書いてしまいたい』というタイプだったのだ。だから私の文章には、いつでも『起と結』はあるが、『承と転』が無い様な気がする・・・。せめて始まりとまとめぐらいは、あるように・・・・してる(笑)。
今もその方式は一切変わらず、考えると同時に文章に起こし、一気に、だぁ〜〜〜〜っと、書いてしまう。途中何度か手を止めて、これまで書いた分を精査しつつ進め、出来上がってからもう一度読み直して、言葉遣いや文法、文章の繋がりのおかしな部分をまとめて直すのだ。
一番修正を加えるのは、この長さ。思いつくままに一気に書いてしまうので、とにかく出来上がると長い。blogに更新する分でも長いが、実際はもっと長いのだ(笑)。多い時には半分くらい削る。アホですね。思いつくままに書くので、読み直してみると、それこそ恐ろしく下らない事も沢山書いてあるので、削るのは簡単なのではあるけれど。
しかし削るとその分、文章の繋がりがおかしくなる。仕方なく言葉を変えたり、並びを変えたりしていると、段々と違った文章になってしまうのが恐ろしい(笑)。似たような内容の繰り返しを省くための方法を捜したり、言い回しが冗長に繋がりそうなバランスの悪い言葉を、簡潔に示せる単語を探したりもする。会社で書いていると(笑)どうしても途切れ途切れになるので、自然と読み直すことが多くなり、この修正作業が頻繁になる。
こうした修正、いわば校正作業も、かなり重要だという事が書いてあった。『自分の書いた文を何度か読み直して、修正を加えるようにしましょう。読み直すと思いの他、文法や言葉遣いの間違いが見つかったり、おかしな文の繋がりになっていることに驚くはずです』・・・私はほとんど毎日驚いていますよ、自分のアホな過ちに。
意図的に違った言葉を使ったり、言い回しを変えたりするのも有効だそうで、これは、文章を短くするために日々私がしている試行錯誤と当てはまる。これが、違った文法でも意味が同じという状況を説明するのに役立つそうだ。
こうした間違いや精査作業を通して、文章を書くことの難しさや重要性を肌で覚えれば、『自分も苦労した』という思いに繋がり、慣れない作業をする人の身になって考える手助けにもなるだろう。日本語教師の教材が繰り返し言っていることの1つには、『解らない人の身になって、同じように考えられる人になる』というのがある。これはもう、『人として』生きる上で、重要な考えだと常々思っていたものだ。しかしいざとなると、それも中々難しいのが実情なのだが。
これまで何度か、イヤ、実は結構頻繁に、全く何の足しにもならないBlogなんてやっていてどうする?と思った事があった。文章を書くのは好きだし、自分の考えを整理するのに、私の場合は役に立つ。それに、映画や小説の記憶術でもある。
それにしたって余りに不毛だ!と、繰り返し思ってしまうのだ。特に、自らの人間性の矮小さを思い出した時など、やたらと痛烈に自己批判したりする。全く、こんな愚にも付かないblogのネタ書きに時間を使って、それなら他に、もっと実りのある事も出来たろうに!と自分を責める。恐らくは、このblogのネタ書きが、私にとっては大分『現実逃避』に近いものだからなのだろう。
しかしこれからは、『勉強』だから仕方が無い(笑)。こうして、無駄に書いて来たと思っていたものに、思わぬ意味を見出せるとは、なんとも嬉しいことなのだ。かなり都合よく解釈してるなぁとは、自分でも思うものの、それだって良いさ、だって、『勉強』なんだもん!
先日の日記に色々書いたが、最後に1つ、取って置きの『勉強法』があったのだ。
それは、『日々、自分の考えを文章にするようにしましょう』というもの。他国語を学ぶ人達は、常に頭の中で文章を組み立てる。それに勉強の過程において、文章を作らせるのは正攻法だと言う。人に文章を書かせる前に、自分が文章の書き方を学べという事らしいのだ。
何も文学者になろうと言うわけではないので、『自分の考えを』という辺りに、ポイントがあるらしい。日記を付けるのも、良い方法なのだとか。ますます良いじゃないか、やってるじゃないか!ほぼ毎日!HPの頃から数えたら、5年ほども続けている。もちろん子供の頃から毎日、日記をつけている方には叶わないが(笑)、初めて、『やれる!』と思えた勉強法が出てきた(笑)。
1つ気になるのは、『起承転結の作り方、文章(=言葉)の繋がりなどを考えさせる』という指南があった事。実はこの『起承転結』を考えるというのが、子供の頃から苦手でして・・・。確かに学校で習った憶えもあるのだが、何しろ子供の頃からせっかちで、構成などを考える以前に、『書いてしまいたい』というタイプだったのだ。だから私の文章には、いつでも『起と結』はあるが、『承と転』が無い様な気がする・・・。せめて始まりとまとめぐらいは、あるように・・・・してる(笑)。
今もその方式は一切変わらず、考えると同時に文章に起こし、一気に、だぁ〜〜〜〜っと、書いてしまう。途中何度か手を止めて、これまで書いた分を精査しつつ進め、出来上がってからもう一度読み直して、言葉遣いや文法、文章の繋がりのおかしな部分をまとめて直すのだ。
一番修正を加えるのは、この長さ。思いつくままに一気に書いてしまうので、とにかく出来上がると長い。blogに更新する分でも長いが、実際はもっと長いのだ(笑)。多い時には半分くらい削る。アホですね。思いつくままに書くので、読み直してみると、それこそ恐ろしく下らない事も沢山書いてあるので、削るのは簡単なのではあるけれど。
しかし削るとその分、文章の繋がりがおかしくなる。仕方なく言葉を変えたり、並びを変えたりしていると、段々と違った文章になってしまうのが恐ろしい(笑)。似たような内容の繰り返しを省くための方法を捜したり、言い回しが冗長に繋がりそうなバランスの悪い言葉を、簡潔に示せる単語を探したりもする。会社で書いていると(笑)どうしても途切れ途切れになるので、自然と読み直すことが多くなり、この修正作業が頻繁になる。
こうした修正、いわば校正作業も、かなり重要だという事が書いてあった。『自分の書いた文を何度か読み直して、修正を加えるようにしましょう。読み直すと思いの他、文法や言葉遣いの間違いが見つかったり、おかしな文の繋がりになっていることに驚くはずです』・・・私はほとんど毎日驚いていますよ、自分のアホな過ちに。
意図的に違った言葉を使ったり、言い回しを変えたりするのも有効だそうで、これは、文章を短くするために日々私がしている試行錯誤と当てはまる。これが、違った文法でも意味が同じという状況を説明するのに役立つそうだ。
こうした間違いや精査作業を通して、文章を書くことの難しさや重要性を肌で覚えれば、『自分も苦労した』という思いに繋がり、慣れない作業をする人の身になって考える手助けにもなるだろう。日本語教師の教材が繰り返し言っていることの1つには、『解らない人の身になって、同じように考えられる人になる』というのがある。これはもう、『人として』生きる上で、重要な考えだと常々思っていたものだ。しかしいざとなると、それも中々難しいのが実情なのだが。
これまで何度か、イヤ、実は結構頻繁に、全く何の足しにもならないBlogなんてやっていてどうする?と思った事があった。文章を書くのは好きだし、自分の考えを整理するのに、私の場合は役に立つ。それに、映画や小説の記憶術でもある。
それにしたって余りに不毛だ!と、繰り返し思ってしまうのだ。特に、自らの人間性の矮小さを思い出した時など、やたらと痛烈に自己批判したりする。全く、こんな愚にも付かないblogのネタ書きに時間を使って、それなら他に、もっと実りのある事も出来たろうに!と自分を責める。恐らくは、このblogのネタ書きが、私にとっては大分『現実逃避』に近いものだからなのだろう。
しかしこれからは、『勉強』だから仕方が無い(笑)。こうして、無駄に書いて来たと思っていたものに、思わぬ意味を見出せるとは、なんとも嬉しいことなのだ。かなり都合よく解釈してるなぁとは、自分でも思うものの、それだって良いさ、だって、『勉強』なんだもん!












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