『ヴィーナス』

  • 2008/06/02(月) 22:51:55

〔英〕VENUS (2006年)
監督:ロジャー・ミッシェル
脚本:ハニフ・クレイシ
ピーター・オトゥール/レスリー・フィリップス/ジョディ・ウィッテカー/ブロンソン・ウェッブ/リチャード・グリフィス/ヴァネッサ・レッドグレーヴ


かつては名の知れた俳優だったモーリスは、70歳を超えた今でも、時折はテレビの仕事が入って来ていた。盟友でもある同年代のイアンの元に、歳若い姪がやってくる事になる。色々と世話をしてもらうのを楽しみにしていたイアンだったが、やって来たジェシーは我侭で勝気な手に負えない娘だった。若い頃は女遊びも派手だったモーリスに、何とかして欲しいと頼み込むイアン。その機に乗じてジェシーを連れ歩くモーリスは、やがて彼女の若さの虜になっていく。

いや〜、もうとにかく『痛い』映画だった。重箱のどの隅を突付いても『痛さ』が滲み出てくるというか・・・。製作者陣は、この映画を通して一体何が言いたかったのか?
確かに人間は、自らが避けられないと思うような未来や苦境を見せ付けられると、耐え難いほどの憤りを感じるだろう。この映画を観た若い人達は、この先の人生、突発的な事故や病気に見舞われない限り、自らの姿をモーリスにダブらせる事になるだろう。そういう意味でもまず痛い。
そして、身内にモーリスと近い年の人がいる場合、今現在を彼にダブらせるという苦境もあるだろう。自らがモーリスと同じ立場の人は、果たしてどう感じるか?人間は老い、若さというものは、いかなる資産家でも権力者でも、再び手に入れる事は出来ない。しかし人は、どれほど滑稽なまでに、その若さを求める気持ちを捨去れないものなのか・・・。
180度見方を変えて、老境に喘ぎつつ、かつての栄光を気に留めないようにしているのか、その虚栄を押さえつけるためだけに、生の活力全てを傾注してしまっているかのような老人モーリス。そんな彼が、自らのプライドも、意地も、尊厳も投げ打つかのように手に入れた、若いジェシーとの時間は、彼がかつて望んで送った輝かしい時代を思い起こさせる、最後の縁となったのか?モーリスの最後の瞬間が、熱く輝く糧となったのか?いずれにしろ・・・やっぱり痛いよ・・・。
大体ね、この映画自体が、奇麗事を排除しようと奮闘しているように感じる。老人を徹底的にみすぼらしく、憐れっぽく描くのは良いとしよう。でもそういう場合はどこかに救いが無いと、私みたいに偽善的な観客には耐えられない。例えばそういう救いって、現実の役者をメイクで老けさせているだけという安心感でも良いが、実年齢以上に老けてヨレヨレに見えるP・オトゥールにまず愕然とする。かつての颯爽とした姿をしっかりと知っているだけに、何とも胸が痛い思いをさせられる。何よりショックなのは、ウチの母と同い年・・・。お断りしておくが、ウチの母の方が10歳は若く見える!P・オトゥール、老けすぎですってば!
モーリスが憧れる若いジェシーが美しければ、それでもまだ救われるが、これがもう・・・普通にロンドン市内をだらしなく歩いていそうな、『素人!?』と聞きたいほど本腰が入った野暮ったい女なの。良くこれほど平凡で野暮ったい、ある意味ロンドンらしい女優を見つけて来たわね〜、と軽く感心すらしたが、実際の姿はとても可愛らしい感じ。化粧って、演技って、、、怖いわ。
だからもう、モーリスがなぜジェシーに心酔していったのか?それこそ色々な理由は考え付くのだが、どれも納得なんかしたくも無いようなものばかり。そもそもこの映画、観客を救おうなんて思ってくれているのだろうか?これ程の痛さの中に、一体何を見出せば良いのか?
ラストではある種の救いはあったのだと思うのだが、私にとっては、許容しきれない痛みのほうが衝撃が大きくて、正直なんらの感慨も浮かんで来なかった。私は軟な出来なので、ディケンズ的シニカルさと寛容さの方が、それゆえに生じる甘ったるさも全て甘受できる面白さを感じる。

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