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読書はライフワーク、映画鑑賞は人生の潤い、旅行は趣味にしたいなぁ♪日記は日々の覚書き。

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神様との初対面

2009/08/23 23:52 ジャンル: Category:2009年☆日記☆
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軽井沢に逃避に来ている。今こそまさに、現実逃避に最適な時期なのである。そして本日は、『お祓い』に行って来た。正しくは『ご祈祷』ということらしいが、その辺の詳細は良く分からないのではある・・・。

なぜ今『ご祈祷か?』というと、今回のクビ切りの話を受けて、ほぼ9割の友人連中に『呪われている』と言われたから(笑)。いや、笑い事じゃないか・・・。
確かに、今回の『クビ』で連続3回目。しかも、昨年夏にようやく居心地良いバイト先が決まって、これで安心して日々を後れると思ったのも束の間、年末にはそのバイト先が無くなった。考えてみれば、もう5年くらい、クビを切られたりなんだりで、落ち着かない日々を送っている。
仕事を収めた翌日、友人連中に『恒例になりましたが、金が無いので暫く消えます』というメールを送ったが、誰もかれも、しごくすんなり受け入れてくれたものである。少し前なら、『そうは言わずに・・・』などと励まして色々声をかけてくれたが、それも私にとっては重荷であると気づいた上の、無言の優しさなのである。

軽井沢に来てしみじみ考えてみて、どう楽観的に見ようとしても、今の私はどん底だ。しかも、情況が好転する見込みは極めて薄い。しかも、悪化する目処はかなり明確に立っていると言える。つらつらここ数年を思い返してみても、この情況を覆して余りある幸運を思い付かない。しかしだ、同等する最悪情況なら幾らでも思いつく。
これは本当に、、、何か悪いものでも・・・憑いて?

これまで1度も、神がかり的なことにお金を使ったことが無い。厄年も初詣程度だし、占いなども付き合いで1000円までが限界。やってはみるものの、腹の底では信じられない自分がいた。ご愛嬌程度で、面白ければそれで良いか・・・と。
しかし今回、心底から『お祓いがしたい』と思った。そこで、父・母を連れて無理やり長野の『生島足島神社』というところに行って来た。料金は、奉納というかたちで6000円。調べてみると、これは比較的お安い額らしい。
実際やってみるまで、6000円も払って後悔しそうだ・・・。などと考えていた。しかしかなり勢い良く言い出したもので、両親の手前引くに引けないところがあった。しかし終わってみれば、妙に清々しい気分。6000円払ったことにも後悔は無い。むしろ、ありがたいという気持ちが強かった。
馴染みの無い神社内部に足を踏み入れ、時期的にもご祈祷されるのは私たちだけの贅沢な時間。厳粛な神主さんに促されるままに、頭を垂れて空気に浸る。大げさなものではないけれど、神様に包まれているような厳かな雰囲気、とても良い経験をした。

粛々と儀式が進む中、日本人である私たちは、普段神様からは少し遠いところにいるのかも知れないと思った。神主さんなど神様にお仕えする方と言葉を交わす機会もほとんどない。大方の人は特別な機会も無ければお寺や神社に出向くことも無く、それ自体が1つのイベントのようになっている。
仕来りからか建物の中に入ることは許されず、常に外側から眺めるだけという現実も手伝ってか、『神』というものが、どこか遠い存在であり続け、むしろそれが美徳のように思える日本の文化。神やお仕えする方々はとても上の存在で、簡単に向き合えないと感じるのは、古来から変わらぬ心情だろうと思う。
反して、キリスト教などは少し違う。常に教会は市民の傍らに存在し、いつでもその内部に踏み入ることが出来、神に仕え、代弁者たる牧師や神父らの言葉を聴き、頻繁に言葉を交わすことが出来る。それはとても近しいものであり、だからこそ常に心の中に留めておくことが出来るのかも知れない。
日本でも、仮にお寺や神社の内部に入ることが簡単であり、毎週のようにご祈祷や説教を受けることが出来、それが習慣として根付いていたなら、もしかしたら私は熱心な仏教徒になっていたかも知れない。
欧米の教会内部は荘厳で神聖だ、モスクの内部もまたしかりである。その中に入ると、何か異次元の清いものが充満しているような気持ちになる。その澄み切った空気の中にいると、自分を包む穢れた世俗の誇りが吹き去られるような思いがするのだ。古の時間が今もまだ脈々と流れているような、神秘的な空間だと思う。
しかし教会の中にいると、少し落ち着かない気持ちにもなるのだ。ここは自分の居場所ではない、私の場所は他にあるのだと。それが今日はっきりした。鮮やかな掛け物、美しい板張りの部屋、神聖な祭壇、薄暗い室内に澱みない空気、穏やかに聞こえる神主さんのお経をあげる声、ここが、私の魂が安らげる場所なのだと実感した。
キリスト教の信者の方が、教会に行ってただ感動して涙を流したなどという話を聞くが、今日はそれと似たような感覚を覚えた。理屈では説明できない感動が、じわじわと押し寄せて来たのだ。あの感覚は何だろう?自分でも説明は出来ないが、何かとても安心するような、満足感の深い感覚だった。

家には魂が宿る、人の思いは家に宿る。これは私の持論である。神もまた、家の『内部』に存在するのかも知れない。だからこそ、キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、ヒンズー教であれ、大方の宗教は神の家の内部で祈りを捧げるのかも知れない。
残念だと思うのは、日本人で仏教徒である限りは、本当の意味で祈りを捧げ、神と対峙できる機会は少ないのではないかということ。お賽銭を上げて、鈴を鳴らして、ほんの数分頭を下げるだけでは満たされない、神社の内部に入ってこそ、真に神秘的な存在を信じ、感じることが出来るのだと思った。
そんなわけで、今日はとても良い気分だ。あの空気に包まれて、私の悪運も霧散霧消してくれたのではないかと期待している。あとは、自分の努力次第だ。ちょっぴり、活力も沸いてきたのである。それよりなにより、ご祈祷というあの特別な時間、少し癖になりそうな予感がする。何の形にも残らないことに6000円も大盤振る舞いして、これほど清々しい気持ちになったこと、それが私にとっての最大の奇跡体験だ(笑)。

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