ゆとりある生活

  • 2005/11/25(金) 23:17:14

なんだか最近疲れが溜まっている。遊び過ぎで疲れているだけなので同情の余地は無いが、予定っていうものは、何も無いときは果てしなく無の空間が広がるくせに、埋まりだすと、久方ぶりの友人などからも連絡が入ったりして、休日を2部構成にしなくちゃならない場合もある。
元来は暇が沢山ある暮らしをしているので、時たまお誘い攻勢に合うと貧乏性の癖が出て、どれもこれも受けてしまう。結果的には、分刻みのスケジュールに追われるように日々が過ぎ、体力的にも消耗し、銀行貯金も消耗する。

ここ2ヶ月程は目が回るような忙しさだった。これまで毎週末と平日はヒマでヒマで仕方が無かったのが、ウソのようだ。そうなってみて、穏やかだったこれまでの生活が、どれほど自分に合っていたのかが良く解る。ヒマを持て余す生活が、少し寂しいと感じていた節もあったのだが、やはり私に、今のような生活は続けられないと実感している。

体力がついて行かない訳ではない。多少疲れているが、倒れるほどでは全くない。何に疲れているかと言えば、精神が消耗してしまっているのだ。
私は自分の家が大好きだ。小さくて寒くて駅から遠くても、家にいることが好きなのだ。某ロック歌手が『家にいるのが嫌いなので、わざと居心地悪くしている』などと、スタイルなのか本音なのか図りがたい事を言っていたが、私には、その感性がちっとも解らない。
協調性が欠如しているだけかも知れないが、家にいて、やりたい事をやってのんびりするのが好き。その時間は多ければ多いほど良い。

『ゆとり』に対する概念は、個人差が大きくあると思う。『ゆとり』をどこに見つけるか?またどれだけあれば十分か。私の場合は、映画を月8本見るぐらいの時間じゃ全く足りない。月に16本は見れる時間が無くては。。。
『孤独』や『寂しさ』い対する概念も、同じように違うだろう。無理をして強がる必要は無いと思うので、『孤独』や『寂しさ』を埋める努力はするべきだ。
しかし、『ゆとり』を穴埋めに使ってしまうのは、精神衛生上良くないのでお薦めできない。『ゆとり』ではなく、『余った時間』を有効に使うべきなのだろう。
『ゆとり』は決して、削ってはいけない大切なものなのだ。

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