『海を飛ぶ夢』

  • 2006/06/28(水) 11:29:24

〔西〕MAR ADENTRO
監督:アレハンドロ・アメナーバル
脚本:アレハンドロ・アメナーバル/マテオ・ヒル
ハビエル・バルデム/ベレン・ルエダ/ロラ・ドゥエニャス/クララ・セグラ/マベル・リベラ/セルソ・ブガーリョ/タマル・ノバス


25歳の時に、海の事故で四肢麻痺となったラモン。以来20年以上の年月を寝たきりで過ごしていた。法律で認められていない尊厳死を望み国と戦うラモンだが、決着は中々つかなかった。家族の支えと友人達の助けがありながらも、自らの自由と生きる意味を問い続け、死を望む気持ちを変えないラモン。法定で戦うためにやってきた弁護士のフリアに特別な感情を抱くが、彼女もまた重い病気に侵され、自身の未来に深い憂慮を抱いていた。
実在の人物、ラモン・サンペドロの手記を元に描かれた『尊厳死』の意味を問う人間ドラマ。

『尊厳死』、実に重く深い話題で、各人それぞれが違った意見を持ち、もしも自分が同じ状況、該当者であれ親族や友人であれなったとしたら、その考えも大きく変わらざるを得ないだろう問題だ。従って、この映画を見たからといって、その部分に関して何か意見を言おうとか、友人達と深く語り合おうとは思わない。生とは誰しも必死に戦うものであり、それだからこそ素晴しくも、最大の苦痛にもなり得るもの。普段ボケ〜と過ごしている私ですら、唯一『必死である』と言い切れるもの、それは『生きる』事に他ならない。
恐らく自由や尊厳と言った事柄を突き詰める以前に、個々人の価値観、『素晴しい』と感じるもの、『楽しい』と思えるもの、守って行きたい自身の世界、分かち合いたい『幸福』な事柄などの違いを考えるべきなのだろう。
主人公のラモンは、素晴しいと感じる全ての前提として、『動き回る』自由を重視した。誰の助けも要らない、自身の活力を求めていたのだ。劇中彼が語る、僅かな距離が永遠になるという台詞、それが余りにももどかしく切なく感じた。
この映画を見て私が激しく思った事は2点。個々の重要な価値観に基づいて沸き起こる『尊厳』という問題に、政府は関係するべきじゃない。もっと穏かに、該当者を守る制度が確立されるべきだ。
もう1つは、人間の多様性。例え家族と言えど、考え方はそれぞれ違う。意見の衝突などは茶飯事にあるものだ。どこかで折り合いをつけたり、納得させたりして私達は生きている。
ラモンの甥ハビの存在が、私に人間の考えの違いの多様性を実感させた。彼は生まれた時から四肢麻痺の叔父と暮らし、彼を深く愛して育ったわけだ。普通なら戸惑ってしまうような存在を当たり前として育ってきた彼は、寛容なのではない訳だが、その『普通』である態度が、叔父には嬉しかったのだろう。
そのハビが叔父の考えを深く理解するのは、最後を迎える直前だった。そのシーンが辛かった。彼にしてみれば愛する普通の叔父さんが、自らの意志で遠く旅立ってしまうのだ。『尊厳死』の過酷さを悟ったハビの姿が忘れられない。
さて映画としてみるならば、深刻な問題を客観的に上手く創り上げていたと思う。善悪を無理に押し付けていないのだ。それが返って反感を呼ぶ事になるのかも知れないが。こうした問題に関しての善悪に、確固とした答えは望めない。劇中でも、四肢麻痺でありながらラモンを否定する神父が出てくるが、当事者同士であったとしても、その思いは様々だ。
難病に冒されたフリアという弁護士の存在など、幾つかの要素を上手く織り込み、個々人がどこからか何かを拾えるようになっている。動き回る自由は多分にありながら、逆にそれに苦しめられているような女性ロサの存在もまたしかり。
ラモン役のJ・バルデムは名演だった。まだ30代である彼だが、良くぞここまで!とう天晴れな変貌振り。特殊メイクもほとんど施さない素のままの彼だったが、役者というものの能力の高さを久々に感じた。
強制的な問題定義は無い作品だと思うので、見たからといって暗い気分になったりはしないと思う。何も感じないからと言って、悪人に成り下がるという心配も無いだろう。ただ、映画として楽しむなら、余りにも平坦で物語性の薄い作りなので、やはり何かを見つめ直すために見るほうが良いのだと思う。

海を飛ぶ夢 海を飛ぶ夢
ハビエル・バルデム (2006/07/19)
ポニーキャニオン

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