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『白バラの祈り−ゾフィー・ショル、最期の日々−』
- 2006/10/31(火) 14:35:36
〔独〕SOPHIE SCHOLL - DIE LETZTEN TAGE (2005年)
監督:マルク・ローテムント
脚本:フレート・ブライナースドーファー
ユリア・イェンチ/アレクサンダー・ヘルト/ファビアン・ヒンリヒス/ヨハンナ・ガストドロフ/アンドレ・ヘンニック/フロリアン・シュテッター/ヨハネス・シューム
第二次世界大戦中の1943年、反政府を訴える白バラというグループが地下活動をしていた。大学にビラを撒いていて逮捕されたショル兄妹は、白バラグループの中枢。執拗なゲシュタポによる尋問を掻い潜り、何とか事なきを得るかと思えたが、家宅捜索の末に発見された数々の証拠から、ゾフィー達は有罪となり、死刑を宣告される。実在したゾフィー・ショルと白バラという学生グループ。新たに発見された尋問記録などを元に、忠実に再現されたと言われる真実の映画。逮捕から僅か4日間で処刑された21歳のゾフィー、果たしてドイツ政府は、彼女等の何を葬ろうとしたのか?
鑑賞後時間が経ってから、ジワジワとこみ上げるものがある映画だった。逮捕から数ヶ月を要すと言われる裁判を僅か1日で始め、数週間かかる裁判は1日で終えられた。そして、99日の猶予がある死刑執行のはずが、たった半日ほどで終了された。一体何を恐れていたのか?迫り来る自国の崩壊を自ら早めた様な、同国分断という運命を予見していたかのような行動だったと思う。
鑑賞中は、何もそこまで意志を押し通さずとも、という気持ちが強かった。劇中のゾフィーが余りにも現実味があって若々しく、猛々しく知能戦を繰り広げる存在感だったからだと思う。役者の演技を超えた、ゾフィー・ショルの姿。
まだ若いのに、なぜ、生きて政府と闘おうとしないのか?死をもって、一体何が変えられるというのか?残してゆく肉親の悲しみを考えて、恩赦を与えようとしている尋問官を跳ね除けるゾフィーの不敵な面差しに、僅かな憤りも感じられた。
しかしこの、ゾフィーとモーア尋問官の、言葉による攻防戦は凄かった。畳み掛けるように交わされる言葉の応酬、駆け引き、演技とは言えあのリズム感を保つのは難しい。
映画がラストを向かえ、ただそこに残った処刑という恐怖と焦燥。それがジワジワと胸の中に染み入って、エンディングで映し出された本当のゾフィー・ショルの活き活きした写真の映像とあいまって、一気に涙が溢れてきた。
そこに感じたのは、僅か21歳の女性が訴え続けた信念。守りたかったもの。そして現代のドイツを考えるに付け、余りにも正しかった彼女の意見の数々。死を目前にしても、自由を求めた賞賛すべき勇気だった。余りにも強すぎて、なぜかその強さに涙が出てきた。私には決して持ち得ない勇気。悲しすぎるほど強い勇気に。
こうした映画を作り、しかるべき賞賛を与えられるドイツという国は素晴しいと思う。やはり鑑賞中、あの戦争で悪者扱いされ続けているドイツが、言い逃れを込めて『こんな素晴しい人物もいましたよ』と、語りかけている気にもなった。しかしだ、こうした立派な人物を語るに際しては、描かなくてはならない『悪』がある。
ナチが行なった横暴の数々、ゾフィーの言葉に恥じ入る将校達。何があっても動じない最高裁判官。人間的でありながらも、政府を信奉する尋問官。ゾフィーのような反政府活動家を生んでしまった、独裁政権による悪。
今でこそ語れるのか?違うだろう。日本は未だに、語ろうとはしていない。だからこそ、こうした事柄を真っ向から見つめる勇気のあるドイツに、そうした事を語ろうとする人を育てられるドイツに、私は賞賛の思いを感じる。自由を求め、正義を求めて散っていったゾフィーは、今のドイツをきっと誇らしく思うことだろう。
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ぽすれん『白バラの祈り−ゾフィー・ショル、最期の日々−』紹介
ジャンル:
- 映画
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