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『友情』【ネタばれ注意!】
- 2007/03/25(日) 14:17:02
フレッド・ウルマン著/清水 徹・清水 美智子 訳/集英社
1932年、ギムナジウムに通うハンスは、転校生で名家の貴族コンラディンと出会う。ユダヤ人で一介の医師の息子であるハンスと、貴族階級でヒットラーを崇拝するコンラディン。しかし時代はまだ、彼等の友情を打ち砕く頃には突入していなかった。美しく栄える青春の頃と友情。やがて2人の運命は枝分かれし、いつしか避け難い別離が訪れる。
感受性が豊でないと、この作品の意図するところはなかなか伝わらないのではないか?と思えてしまった。決して、私自身が感受性豊かである!と言いたいわけではないのだが、表面だけをなぞると、10代の若者の一種複雑な要素を持った友情物語であって、主人公ハンスの抱いたコンラディンへの友情は、良く見かけるような唯一無二の熱く純粋な男同士の固い友情というのとは、ちょっと違うように思えた。
有名な貴族一家の者であるコンラディンに対して、ハンスは渇望のような嫉妬と卑下した気持ちを持っている。認められたいという強い思い、自身を恥じたくないという困惑と退けられない卑屈な思い。様々な要素を通して、まるでステイタスのようにコンラディンを求めているように感じたのだ。
対してコンラディンは、ただ純粋にハンスを求めていたように思う。彼の求める人としての友情を、ハンスが与えてくれると思ったのだろう。そして実際、表面的にはハンスはそれを存分にコンラディンに与えていたのだと思う。
付き合う上での理想を求めるハンスと、純粋に魂の呼応を求めるコンラディン。この2人の友情は、やがてかの大戦のユダヤ人迫害にあって脆くも崩れてしまう、、、かのように見える。非常な迫害の描写が一切無いのは新鮮だった。それでも十分にその頃を、情勢を思い浮かべられるほどには、私の知識も増えてきている。
あくまでもこの小説は、少年2人の無二の友情を語るべきもので、戦争はその付属物でしかないのだが、著者自身がその当時を生き、亡命して生き延び、方や家族はアウシュビッツで亡くなった。その事実に対する拭い去れない思いが、この小説には潜んでいる。ハンスの両親が亡くなったのは、迫害されたからではなく、あくまでも土地の人達からの敬意を失くさぬまま、自らの手で命を絶ったのだ。そしてそれが、ハンスにとって誇りと思えるとハッキリと書かれている。これこそが、著者が願った家族の姿だったのだろう。
無邪気にヒットラーを崇拝したコンラディンは、それによってハンスを傷つけたとは知らずに、厚い友情で彼をアメリカへ送り出す。しかしハンスは、そんな最後のコンラディンを忘れる事が出来なかった。しかしラスト、軽い衝撃と深い余韻を与えるラスト。ここでハンスは、一体何を思ったろう?コンラディンは、何を思っていたのだろう。友情か、自らの不甲斐なさか、果たして?
ラストのたった数行から、様々な事を考える。友情に関して、人種に関して、生きる尊厳に関して、社会主義や独裁に関して、人と人との繋がりに関して、赦すという潔さに関して、赦しによって得られる心の平安に関して、ハンスとコンラディンの友情に関して。この薄い小説が指し示す、多くの隠された事柄に関して。
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ジャンル:
- 小説・文学
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