『マイ・ネーム・イズ・ジョー』

  • 2007/08/05(日) 01:33:54

〔英〕MY NAME IS JOE (1998年)
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァーティ
ピーター・ミュラン/ルイーズ・グッドール/デヴィッド・マッケイ/アン=マリー・ケネディ /デヴィッド・ヘイマン/ゲイリー・ルイス/ロレイン・マッキントッシュ


アルコール依存症から抜け出したジョーは、地元のアマチュアサッカーチームのコーチをしながら、失業手当を貰って暮らしていた。甥のリアムの家で出会ったソーシャルワーカーのセーラと出会い、2人は惹かれあって行く。リアムの妻サビーヌが作った借金のため、なす術の無い甥の変わりにある仕事を引き受けることにするのだが、その見返りは余りに大きな人生の変化へと繋がっていく。

ずっと観たかった、日本公開で観そびれて、利用しているレンタルサイトには入荷されておらず、随分と長いこと待った。そして今回、ケン・ローチの作品をまとめて公開するという嬉しい企画のおかげで、苦節役10年の時を経て鑑賞。
待った甲斐があった、あったのです!
とは言え、率直な感想は、あのラスト、果たしてどのように受け止めれば良いのか?映画館の帰りにじっくりじっくり考えてしまったというもの。
思うに、リアルな人生というものは、劇的で幸せに全てが丸く収まるということよりも、些細な幸せを手に、じっくりと歩んでいくものだということなのだろうな。
なんせ、P・ミュランが渋い!アルコール依存症をやっと克服しても仕事は無く、失業手当を貰って、むしろその状況を守ろうとしているような、実際どうしようもない男なのだが、何か憎めないどころか、年下連中思いで面倒見が良くて、兄貴気質の頼れる男、男臭い男を好演している。
スコットランド、ひいてはイギリス全体に蔓延している労働者階級の実態がそこにあるのだが、え〜っと問題は、失業保険の制度にありゃしませんか?
ドラマティックな物語展開というよりも、そうした事実あり得る状態を克明に描いた感のある映画だ。もちろん、リーアムとサビーヌの抱えた問題、それを解決するべく奮闘するジョー。そうした彼等の関係、問題を、ソーシャルワーカーとして知っているにも関わらず、いやむしろ知っているからこそ容認できないセーラのジレンマや迷い。などなど、問題=ドラマ性は多分にあるにはあるのだが。
あのラスト・・・。あのラストだからこそ、『物語』を観たという鑑賞後の思いより、事実を伝えるべく丹念に作られた、深みとメッセージ性の強いドラマだったなぁと思えるわけだ。これは『娯楽』としての映画ではなく、痛烈な『社会批判』でもあるのだろうなと、思える。
さて誰に対する批判なのか?政府か?社会か?ジョーのような人達なのか?表面だけを取り繕って深みを知ったと思い、実際その渦中に入ると逃げ出そうとするセーラのような人達なのか?
誰でも、何に対してでも良いのだろうと思う。感じる人それぞれが判断すれば良いのだろう。なぜなら人々は恐らく、誰しも少しだけ何かが足りなくて、いつでもそれを補足しようと考えている。しかしそれはとても難しい、それこそが人間社会なのだろう。人生は、こうした不完全な物の上に成り立っていて、それでも一生懸命生きている。生きている限り、楽しさも苦しみも混ぜ合わせて降りかかってくる。
ジョーはセーラを見つけた、そしてセーラも、ジョーと共に知り得なかった世界を見出した。そして2人は歩いて行くのだろう、過ぎ去った悲しみも人生の糧として、少しだけ強く、支えあうように。

マイ・ネーム・イズ・ジョー マイ・ネーム・イズ・ジョー
ピーター・ミュラン、ルイーズ・グッドール 他 (2007/04/25)
ジェネオン エンタテインメント
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