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悩みの副産物
- 2007/12/16(日) 13:02:29
最近落ち込む事が多くて、もしかしたら精神的にちょいと参っているのかもしれない?
この『もしかしたら』というのがクセ者で、私はそもそもストレスを余り感じないタイプで、長い事思い悩むという事が無い。根本的には弱い人間なので、『思い悩む』事に耐えられないので、無意識の内でそうした悩みが心の中に侵入するのを防いでしまうのだ。
だから自意識下のストレスが、様々な形になって現れる。体調不良が最たる物だが、個人的にそれがストレスと気がつかないので治療する事もままならない。これは私の欠点だと思っている。多分、もう少し素直に、いや強くなった方が良いんだろうと。
最近のすったもんだは、仕事に関わる事なので無視する事が難しい。今後この先1人でやっていけるのか?生死の問題にすら繋がる重要時。だから考えなくてはいけない、、、という焦りと不安があるので、さすがに私も悩む。。。そんな時間が耐え切れない。
さて皆さんは、悩みを抱えた場合どうされるだろう?大方は『誰かに相談する』とか、『とにかく話を聞いてもらう』という行動に出るのだろう。
実は私はこれも苦手で・・・。こうして文章を書く事はできるのだが、これはじっくり考えた上で何度も修正したり時間を置いたりして書き上げるもの。書いている途中に考えの違いに気がついたりもする。だから、ほぼ自分の思っている事が表せるのだが、ぶっつけ本番で自分の考えを人に話すというのが、相当苦手なのだ。
これは多分、そもそも悩み事をじっくり考えるという事を拒否する性分から来ているのだと思う。悩むべき要素はハッキリしているが、その答えを出すに至る苦難の行程を基本的に拒否しているから、自分の考えを話すことも出来ないのだ。
ついでに私は、自分の悩みを人に相談する事、ひいては悩みを公にする事を潔しとしない考えがあった。それは弱い人間のする事で、本当に強い人間は、そうした悩みを人知れず解決して表には悟らせない。そんな人間が格好良いとすら思っていた。
最近はそんな考えは捨てた。悩みを相談するのは弱い人間のする事とは限らないし、そうした話をする相手もいないなんて、それこそ寂しい人生に他ならないと。幸い私には、話を親身に聞いて心配してくれる良い友人達がいる。そうした事柄に感謝して、少しずつではあるが話を聞いて貰えるように努力している。
しかしこのクセは子供の頃からで、何かあっても私はまずは『両親』に話すことが出来なかった。これは一緒に暮していなかった事が原因なのか、基本的に両親は心配しかしないからなのか?果たしてその真意は私でも謎だが、今でも両親に一番、自分の置かれた苦境を語るのが苦手である。仕事が無くなった時、一番最後に報告するのが『両親』なのだ。
そんな訳で、今もって『人に悩みを相談する』という事が苦手だ。長年培ってきたクセは、そう簡単には抜けないものなのだ。
そんな時に私はどうするか?答は『引きこもる』だ。とにかく人と接する事が億劫になって、とことん内側にこもってしまう。楽なのだ、そうして自分で自分を甘やかしている事が楽なのだ。
かといって何もしない訳じゃない、それなりに『解決』に向けて動いてはいる。だから今でもきちんと生きている。それなりに何とか社会にしがみ付いている。
そうして精神的に引きこもっている時も、時たまは人と接触する事があるが、そうした時はことさらに疲労を感じる。素直に感情を出せない性質なので、その時の自分に可能な限界を超えて明るく振舞っている事に疲れてしまうのだ。でもそんな事は誰にも言えないと、人の顔色を伺ってしまう小心者なのだ。かなり、面倒な性格だ。
最近つくづく考えてしまった。こうした私の内にこもる性格は、なんとも寂しいものだなぁと。
話を聞いてくれる友人がいる、叱咤激励してくれる人達がいる。それでも私は本音の片鱗すら言えないのか?と。一番の問題は、そうして私が凹んでいる時に、実際は友人達にどういった行動をとって貰いたいのか?果たしてどういった行動が一番心休まるのか?我ながら経験が無いので解らない事だ。
ただ最近は、話すとスッキリする!という事が良く解った。聞いてもらいたい人もいる。それだけでも人間的に大きな進歩だと思う。今まではこうして書いて頭を整理するしか方法が無かったが、もっと人との触れ合いを持った人間らしい行動に出る事が出来る。
そうした事柄に気がつけるなら、友人達の存在を大切に感じる事が出来るなら、悩む事もそう悪いものじゃないのではないか?なんて、ちょっと前向きに思えたりする今日この頃だ。
ジャンル:
- 日記
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