2007年12月17日 22:39
私の辞書には『ドライブ』という文字は無い・・・らしい。
目的もなくただ『車に乗っている』ということが、出来ない性分なのだ。確かに子供の頃は、ただ単に車に乗っているだけでウキウキして、むやみやたらとはしゃいでいたような気がする。ただ難点が1つあって、猛烈に車酔いする子供だったのだが。
それでも、目的地に向かっているという楽しさと、目的地から帰るまでの道のり、車に乗っていれば今日この楽しい日は終わらないという気持ちから、降りるのがイヤでたまらない気持ちになっていたのを思い出す。
いつ頃からだろう・・・?車が単なる移動手段になったのは・・・。
そりゃあ私も若い頃は、夜中に『ドライブに行こう』なんて誘われる事もあった。20代の頃はレストラン勤務で、仕事後に遊ぶとなると当然深夜になってしまう。若さゆえの体力って凄いなぁ〜と今更ながらに感嘆すると共に、その頃はまだ、ドライブもさほど気にしてはいなかったような?いや・・・、ドライブに誘われると、『良いけど、こんな夜中にどこ行くの?』とか良く聞いていた。純粋に、目的地の無い移動というのが理解出来なかったのだな、20代前半で既に(笑)。
ウチの両親、とりわけ母は、人生の楽しみを知っている女性だと常々思っている。彼女のように時に無駄に思える買い物をしたりしてみたい。母は良く『良いじゃない、こんな時ぐらい〜』と口にするが、そんな時の母の大盤振る舞いは多分普通の主婦レベルじゃない。
そのおかげで子供の頃から、貧乏だったくせに『一流』に触れる機会が多かった事は感謝しているし、例えその時スッカラカンになってしまったとしても、私達一家は今でもちゃんと存続しているので、ケチケチして陰鬱な思い出しかないよりは、ずっとずっと素敵な子供時代を送らせてもらったと思っている。
両親は自営業だったので、比較的時間に融通が効いた。また、子供と一緒に暮していない穴埋めか、単に母が暇だったのか?良く母から電話で『ドライブに行かない?』と呼び出されたものだった。年齢が大きくなると逆に、私達の方から『ドライブ』に誘う事もしばしばだった。
余談だが、我が姉妹に反抗期は無かったのだ。離れて暮していたから反抗するのも大変で(笑)。思春期は当たり前にあったが、反抗した憶えは無いと断言できる。
10代から20代にかけては、最も頻繁に『家族で』ドライブしていた時期だと思う。姉が一足お先に社会人になって、深夜の遊びに学生時代より頻繁に出かけるようになってからは、両親と私の3人のドライブが続いた。『ドライブ』と言っておきながら母は必ず、車に乗ると助手席からくるりと振り向いて、『で、どこいくの?』と聞く。
いやいや、誘ったのはあなたです・・・と思いながら、母と娘で行き場所を考えるのだ。その間運転手の父は、適当に家の辺りをウロウロして、いずれの方向にも行ける様にしてくれていた。そこで大抵出てくる案は、『ホテルに行ってお茶飲もう!』である。じゃあどこの?となると、我が家のお気に入りは断然舞浜周辺、または当時出来立てだったお台場周辺だった。
そういや、母の誕生日も兼ねて夜に家族でディズニーランドに行きましたっけ(笑)。姉妹2人、仕事上がりに両親と待ち合わせて、当時はまだ入場券だけが売っていたので、それを4枚買って、パレードを見てお茶を飲んで、、、うん、なかなか良い家族なんだな、ウチは♪
話は逸れたが、母の面白いところはここである。『あたしドライブって好きよ〜』と言っておきながら、目的地が無いと落ち着かないらしいのだ。しきりに『どこに行く?』と問いかけ、『良いじゃない、ドライブなんだから〜』と言っても、『そうなんだけどさぁ・・・あ!○○行ってお茶でも飲む?』とめげずに案を繰り出してくる。
それでも『ドライブ』という言い方にこだわった母。今にして思えば、なんて贅沢な時間の使い方だったろう。『全く贅沢な家族よねぇ、ガソリンぶん撒いて夜中にさぁ』と良く母は笑いながら言っていたが、全くその通り!と当時から思っていた。
それでもあの頃の思い出は、こうして書いていても懐かしく楽しく蘇ってくる。閉店間際のホテルのロビーを母と歩いた思い出。照明を落とした少し薄暗いロビーを歩いて、閉まりかけのお店を冷やかすのだ。出来たばかりのお台場周辺も、レインボーブリッジも、ランドマークタワーも、なんだかそうした『デートスポット』は、私はほとんど全て両親と夜のドライブで初めて訪れているようだ(笑)。
そうして今つくづく思う・・・そういった『贅沢な時間』の使い方、忘れてしまったなぁ〜と。今の私からは『ドライブ』という単語も意味もすっかり抜け落ち、すっかり忙しさにかまけ、そうした時間を無駄だと感じている。
70歳を過ぎた母は今だって、そうした『贅沢で有意義な時間』を大切にしているのに。彼女は若い頃から、時間の使い方が上手かった。楽しむという事も、良く良く知っている人だったのだ。そのクセいつも、『あたしの人生失敗だらけ』とグチグチ言ってはいるのだが(笑)。
なんだか寂しいなぁ〜、自分。かなり豪快で自分勝手さもある母だが、どうせ似るならそういう良い部分にしたい、受け継ぎたい。でもドライブ・・・やっぱり意味解らん行為ではある(笑)。
あ!いや、最後に思い出した、私の楽しかったドライブ体験。
21才頃、免許を取りたてだった私は、父と良く練習がてら深夜のドライブに行った。母は恐怖心からか絶対に同行しなかったので、父と2人きり、良く練馬の方までドライブしたのだ。これこそまさに、行く当ての無い『ドライブ』。いやいや、右折の苦手だった私は、延々と左に曲がり続け・・・(笑)。
そして必ず、どこかのファミレスで軽食を取る。母が心配しているはずなのを2人で笑いながら、父と娘、陰謀の時間だったのだ。頃合を見て母に電話すると、母は決まって死にそうな声で『遅いから心配してたのよ〜』と言う。いつも大抵12時頃まで遠出をしていた。
あれは確かに・・・楽しかった(笑)。
目的もなくただ『車に乗っている』ということが、出来ない性分なのだ。確かに子供の頃は、ただ単に車に乗っているだけでウキウキして、むやみやたらとはしゃいでいたような気がする。ただ難点が1つあって、猛烈に車酔いする子供だったのだが。
それでも、目的地に向かっているという楽しさと、目的地から帰るまでの道のり、車に乗っていれば今日この楽しい日は終わらないという気持ちから、降りるのがイヤでたまらない気持ちになっていたのを思い出す。
いつ頃からだろう・・・?車が単なる移動手段になったのは・・・。
そりゃあ私も若い頃は、夜中に『ドライブに行こう』なんて誘われる事もあった。20代の頃はレストラン勤務で、仕事後に遊ぶとなると当然深夜になってしまう。若さゆえの体力って凄いなぁ〜と今更ながらに感嘆すると共に、その頃はまだ、ドライブもさほど気にしてはいなかったような?いや・・・、ドライブに誘われると、『良いけど、こんな夜中にどこ行くの?』とか良く聞いていた。純粋に、目的地の無い移動というのが理解出来なかったのだな、20代前半で既に(笑)。
ウチの両親、とりわけ母は、人生の楽しみを知っている女性だと常々思っている。彼女のように時に無駄に思える買い物をしたりしてみたい。母は良く『良いじゃない、こんな時ぐらい〜』と口にするが、そんな時の母の大盤振る舞いは多分普通の主婦レベルじゃない。
そのおかげで子供の頃から、貧乏だったくせに『一流』に触れる機会が多かった事は感謝しているし、例えその時スッカラカンになってしまったとしても、私達一家は今でもちゃんと存続しているので、ケチケチして陰鬱な思い出しかないよりは、ずっとずっと素敵な子供時代を送らせてもらったと思っている。
両親は自営業だったので、比較的時間に融通が効いた。また、子供と一緒に暮していない穴埋めか、単に母が暇だったのか?良く母から電話で『ドライブに行かない?』と呼び出されたものだった。年齢が大きくなると逆に、私達の方から『ドライブ』に誘う事もしばしばだった。
余談だが、我が姉妹に反抗期は無かったのだ。離れて暮していたから反抗するのも大変で(笑)。思春期は当たり前にあったが、反抗した憶えは無いと断言できる。
10代から20代にかけては、最も頻繁に『家族で』ドライブしていた時期だと思う。姉が一足お先に社会人になって、深夜の遊びに学生時代より頻繁に出かけるようになってからは、両親と私の3人のドライブが続いた。『ドライブ』と言っておきながら母は必ず、車に乗ると助手席からくるりと振り向いて、『で、どこいくの?』と聞く。
いやいや、誘ったのはあなたです・・・と思いながら、母と娘で行き場所を考えるのだ。その間運転手の父は、適当に家の辺りをウロウロして、いずれの方向にも行ける様にしてくれていた。そこで大抵出てくる案は、『ホテルに行ってお茶飲もう!』である。じゃあどこの?となると、我が家のお気に入りは断然舞浜周辺、または当時出来立てだったお台場周辺だった。
そういや、母の誕生日も兼ねて夜に家族でディズニーランドに行きましたっけ(笑)。姉妹2人、仕事上がりに両親と待ち合わせて、当時はまだ入場券だけが売っていたので、それを4枚買って、パレードを見てお茶を飲んで、、、うん、なかなか良い家族なんだな、ウチは♪
話は逸れたが、母の面白いところはここである。『あたしドライブって好きよ〜』と言っておきながら、目的地が無いと落ち着かないらしいのだ。しきりに『どこに行く?』と問いかけ、『良いじゃない、ドライブなんだから〜』と言っても、『そうなんだけどさぁ・・・あ!○○行ってお茶でも飲む?』とめげずに案を繰り出してくる。
それでも『ドライブ』という言い方にこだわった母。今にして思えば、なんて贅沢な時間の使い方だったろう。『全く贅沢な家族よねぇ、ガソリンぶん撒いて夜中にさぁ』と良く母は笑いながら言っていたが、全くその通り!と当時から思っていた。
それでもあの頃の思い出は、こうして書いていても懐かしく楽しく蘇ってくる。閉店間際のホテルのロビーを母と歩いた思い出。照明を落とした少し薄暗いロビーを歩いて、閉まりかけのお店を冷やかすのだ。出来たばかりのお台場周辺も、レインボーブリッジも、ランドマークタワーも、なんだかそうした『デートスポット』は、私はほとんど全て両親と夜のドライブで初めて訪れているようだ(笑)。
そうして今つくづく思う・・・そういった『贅沢な時間』の使い方、忘れてしまったなぁ〜と。今の私からは『ドライブ』という単語も意味もすっかり抜け落ち、すっかり忙しさにかまけ、そうした時間を無駄だと感じている。
70歳を過ぎた母は今だって、そうした『贅沢で有意義な時間』を大切にしているのに。彼女は若い頃から、時間の使い方が上手かった。楽しむという事も、良く良く知っている人だったのだ。そのクセいつも、『あたしの人生失敗だらけ』とグチグチ言ってはいるのだが(笑)。
なんだか寂しいなぁ〜、自分。かなり豪快で自分勝手さもある母だが、どうせ似るならそういう良い部分にしたい、受け継ぎたい。でもドライブ・・・やっぱり意味解らん行為ではある(笑)。
あ!いや、最後に思い出した、私の楽しかったドライブ体験。
21才頃、免許を取りたてだった私は、父と良く練習がてら深夜のドライブに行った。母は恐怖心からか絶対に同行しなかったので、父と2人きり、良く練馬の方までドライブしたのだ。これこそまさに、行く当ての無い『ドライブ』。いやいや、右折の苦手だった私は、延々と左に曲がり続け・・・(笑)。
そして必ず、どこかのファミレスで軽食を取る。母が心配しているはずなのを2人で笑いながら、父と娘、陰謀の時間だったのだ。頃合を見て母に電話すると、母は決まって死にそうな声で『遅いから心配してたのよ〜』と言う。いつも大抵12時頃まで遠出をしていた。
あれは確かに・・・楽しかった(笑)。












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