- | HOME |
あの頃の感動を・・・
- 2008/02/21(木) 23:21:49
先日BSで、映画『アマデウス』をやっていた。昨年チェコを旅行をした際に、この映画が撮影された町であった事を知り、もう一度あの名作を見たいな〜と思っていたのだ。かと言ってわざわざ借りるほどの熱意は無く、記憶の中でなんとなくリプレイしてみたり。
そんな訳で、これ幸いとばかりにTV放送を楽しむ事に。近年発表されたディレクターズ・カット版、長さは堂々の180分。再鑑賞を終えての第一印象は、モーツアルトという夭折の作曲家の一生を、史実に基づいた壮大な空想を、実に膨らみのある素晴らしい物語に仕立てていると言う事。
そして、子供の頃の私が、良くこんな話を理解できたもんだ・・・と(笑)。
この作品が製作されたのは、今から24年程前。こう聞くと、、、やたらと昔のように思えて切ない。私が見たのはテレビ放映の際だったので、製作時からは少し年数が経過していたはずだ。と考えると、大体14〜5歳の頃かと推測する。
もっとずっと子供の頃に観た印象だったが、実は思春期の頃だったのね。しかしこれ『プラトーン』以前に観ているはず。実はこれも結構重要なポイント。B・P(Before Platoon)、A・P(After Platoon)で語れる私の映画史(笑)。
『アマデウス』はB・P時代なので、テレビだとしても観た事自体が奇跡(笑)。今でも強烈な印象として残っているのは、モーツアルトという『天才』が辿った『天才』らしい、短くも激しい一生の軌跡。遺体が共同墓地に投げ込まれるシーンは、悲しいほどに胸に焼き付いて残っている。今でこそ偉人扱いされる音楽家も、生きていた頃は単に『才能が特出した音楽家』であり、時間によってその音楽の認知度が高まり、同じく年月によって淘汰され、残るべくして残ったが故に優れた音楽家と呼べるとは、当時思いもよらなかった(笑)。
初めてこの映画を観た当時は、こんなに有名な人があんな葬られ方をするなんて!と酷く衝撃だった。それに『偉人=立派な人間性』という定説を、あっさり覆された衝撃もあったのだ。まさに、『教科書では教えてくれない人間の真実』という奴だ。
そんな訳で、サリエリはとにかく嫌なおっさんだ!と(笑)。コイツさえいなければ、、、という思い。凡人が天寿を全うして、天才が儚く消える。。。納得がイカン!と、結構長い間悶々としていた記憶がある。そして妻コンスタンツェも、強欲で我侭な女だなと。こんなグータラ自分勝手女と結婚したのも、彼の運の尽きだったのよねぇと憤慨したのを覚えている。
それと、自分ですら確信に足る才能があったのに、なぜもっと強く在れなかったのか、、、と甚だ勝手ながら悔しい思いにも苦しんだ。才能があるなら、それを有意義に活用するべく、より長く生きようと努力すべきなんだ!と、、、今思えば、なんて純朴で可愛らしい考えかしら(笑)。今なら、そう潔白でいられる訳が無いというのも、悲しいぐらいに理解が出来る。実はもう1つ、出てくる数々の『お菓子』だ(笑)。幾つか出てくるが、どれも美味しそうで♪サリエリの好物の菓子パン、、未だにアレは何なのか?と・・・。
結局ここ最近良く言っているように、二度見してまた感想が変わった。といっても今回の場合は、『素晴らしく良かった』という根本部分は何も変わらない。まず、当時全く理解できなかったサリエリ役のF・マーレイ・エイブラハムの、アカデミー主演男優賞受賞。(ちなみにモーツアルト役トム・ハルスもだ!)今なら良く解る、本当に素晴らしい演技。息を飲む演技とはこの事。
サリエリの痛烈な言葉、『神は私に、才能を理解する術だけを与えた』とかなんとか、解ります?このやるせない感情、焦燥、妬み、嫉妬、そして憧れ。サリエリはモーツアルトに恋をして、同時に激しく憎んだ。彼の音楽を愛し崇拝し、しかし自分の物では無いという狂おしいほどのジレンマ。一生を捧げた音楽に裏切られた思い、情熱の見返りに見出せるはずの才能を、信じた神は別の人間に与えてしまったのだ。そして恐ろしい事に、私はこの感情が解る。サリエリほど強烈ではないが、それは単に、彼にとっての音楽ほど情熱を傾ける対象が無いというだけで、こうした複雑な嫉妬心を、私は理解できるのだ。
きっと誰もが、こうした嫉妬に悩まされた事があるのじゃないだろうか?正直になってみれば、あると認めるのでは?きっとそれが、人間というものなのだ。そしてその気持ちの暴走に、歯止めをかける事が出来るのもまた、分別ある人間というものなのだろう。
さてさて(笑)、こんな想いを見事に表現していた。サリエリの新解釈とも言われているこの映画、彼なくしてこの評価は有り得なかったと今なら解る。
コンスタンツェに関しても、全く違った見方が出来た。なんだ、全然強欲で我侭女じゃなかったのね・・・(笑)。放蕩が過ぎるモーツアルトを心配し、家族を心配し、そして翻弄された。最後まで彼を愛した、たった1人の人物だったのかも?
いやまずとにかく、名作というのは色褪せない。素晴らしい作品というのは、偉人達と同じように、いつの時代、誰が見ても感動と興奮と感銘を与えてくれるものだなぁと、観終わってほっと一息だった。
しかしディレクターズ・カット版というのは良し悪しだな。足された20分はあの部分?とほぼ解るぐらいに不自然で不必要な展開があった。あっても無くても良いなら、180分はやはり長すぎる。
実は今回この作品を見直してみて、一番強く感じた事がある。この映画を観た頃の私は、ただもう純粋に『映画』を楽しんでいたのだという事。言うなれば、『ニュー・シネマ・パラダイス』の幼きトトと同じような感じだ。目の前で繰り広げられる豪華絢爛な古のヨーロッパ世界。リアルな特殊メイク、複雑で面白い物語、どれをとっても新しく、画面の中に入ってしまいたいほどの興奮。
そうして思い返せば、子供の頃に見た映画の数々の興奮が蘇ってきた。まさにドキドキ、ワクワクと胸を躍らせながら、本当に『夢中』になって見入っていた。あんな興奮や感動は、多分もう2度と経験出来ない。そう思うと無性に切なくなった。
なぜなら、あの興奮や強い思いは、無知ゆえの純粋から来ていると解るから。さすがに今でもあの純粋さを持ち合わせているとは、口が裂けても言えはしない。未経験に対する憧れも、それに直面した時の驚きや感動も、年齢と共に数が減り、新鮮な驚きも無くなる。新しい発見に対する喜びも、回数が増えると鈍くなってしまう。
『アマデウス』を見た頃の私は、まさに乾いたスポンジ状態。複雑な大人への道程をようやく踏み出したばかりで、知り得る事柄が目の前に山積みだった。こうした事を『感受性』と呼ぶのだろうか?とにかく、今の私には『アマデウス』の感動も『プラトーン』の悩みも『ネバー・エンディグ・ストーリー』の憧れも『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の興奮も、そうした全てに対する衝撃も、2度と訪れないと解っている。
『知る事』が普通になってしまう人生、なんだか寂しいな。無心になれたあの頃と引き換えに、大人になった私は何を手に入れたのだろう?それなりの知識と、たくさんの映画を観る自由。複雑な物語を理解する、ちょっとした御託ぐらいか。
あの純粋な興味と興奮を取り戻せるなら、今なら何だって差し出すなあ。まさに、サリエリが、夢中で手にしようとした才能と復讐のように。。。恐いか(笑)。
ジャンル:
- 日記
この記事に対するトラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
コメント投稿
- | HOME |










この記事に対するコメント
子供の頃に観た映画って、結構憶えているんですよね。数少なかったから、というのもありますが、日記の通り、とにかく夢中になって観ていましたからね。
『ネバーエンディングストーリー』なんてホントはまっちゃって(笑)。だって、ドラゴンが動いてるんですよ!
今なら普通な映像でも、あの頃は凄かった。そういう衝撃って、今はもう何を観ても感じないですから、昨日観た映画の内容すら、、、時々忘れます・・・。脳みそカムバック!
『アマデウス』は、多分私が観た時代劇初めて作品だったと思います。
昔に戻って撮影したのか!?という錯覚を抱かせる映像で、キャラクターが活きていて、物凄いはまりました。
ご覧になるなら、160分の昔の方で良いと思います!ディレクターズカットは・・・余計なエピソードが気になりました。
こんばんは♪
この映画、観ましたよ〜。といっても高校生の時、音楽の時間で2回にわたって観さされました(笑)。
当時の音楽の先生は20代だったんですが、授業で流すぐらいだからよっぱどモーツアルトが好きだったんだな〜。
観てから約20年も経ってるので内容は全く、覚えていませんが(いやん歳がばれちゃう。ってもうバレれるか^^;)、皆おしゃべりすることなく真剣に観てたことだけは覚えてます^^初めて観た時の感想を覚えてるhiyoさんは凄いわ!
機会があれば観てみます♪でも180分か〜。こりゃ覚悟しないと(笑)。