靴一足、人生長く。
小生意気な事に、私は中学生くらいから、『真のお洒落は靴にある』と公言して来た。実はこれ、あらゆる小間物を『靴』に集約させているだけで、例えばカバン、腕時計、そう言った装飾ではなく日用品の部類に入りそうなものを、キリリとする質の良さで揃えれば、全体が引き締まってお洒落に見えるというものだ。
また別の見方では、足元にまで気を使える人は真のお洒落である、というもの。どんなに小奇麗な格好をしていようとも、高級な服を着ていようとも、足元がグズグズだと全く持って引き締まらない。むしろだらしなく見えるでしょ?
私にとって靴はお洒落の要であり、若い頃から、洋服は3000円を超えるものは殆ど買わないが、靴だけは2万円くらいは普通に払っていた。それに洋服は、価格に見合わないものが多い。ブランド名ばかり先行して値段が跳ね上がり、実際は裁縫も何もあったもんじゃない、なんて事もあったりする。何万もする洋服なのに、素材は化学繊維だったり、数回着ると直ぐヨレヨレになってしまったり。逆に言うと、洋服は安いものでも見せ方次第で、『それなり』に見せる事も出来るし、安くても素材が良かったり、案外しっかりしていたり、見る目があれば上手く乗り切って行けるのだ。幸い私は、両親がブティックを営んでいたので、高級服というものに囲まれて育った。何気なく聞く洋服の薀蓄なども手伝って、その道では情操教育を受けてきた。
反して、靴の最高峰はやはり『革靴』。革製品は高い、と同時に、値段の違いが品質の違いに如実に現れるものである。『安かろう悪かろう』が適応されるものなのだ。高ければそれだけ履き心地も良く、安ければどうしたって足が痛くなる。布靴やビニールなど、昨今その素材は様々ではあるが、私は革靴がなんと言っても好き。それも、しっかりとした、美しく、レトロな堅実さを持った伝統的なものが好きなのだ。そうした革靴は、値段によってフォルムの美しさも格段に違う。『良いな』と思えばその分高い。
それに革は伸びるのだ。私のように酷い外反母趾だったりすると、穿いている内に形に馴染む革靴は大変ありがたい。合皮などの模造品なんて、光具合や質感など、見た目も履き心地も最悪と倦厭している。
ただ最近は、、、長年続く逼迫した財政状態に押されて、若い頃のように靴に大枚を叩くなんて真似は到底出来ない。そんな中でもなんとかやりくりしているが、以前に比べれば格段に靴の質が落ちたと言わざるを得ない。
昔買った靴の中で、最長は12年穿いているパンプス。姉に『古物みたい』と言われたが、12年も穿いていれば自然と古物になるに決まっている(笑)。それ以外でも、3万くらいかけた靴は10年に届こうかというぐらい穿いているものが数足ある。長い目で見れば、これはお買い得だと言えるだろう。趣味的にスタンダードなデザインが好きなので、それほど長い期間が経っても、今でも時折褒められる事がある。トラディッショナルな美しさというのは、色褪せない美を含有しているものなのだと実感する。
しかし最近は、安い素材でも可愛らしい靴が増えて、安さの中に可愛さがあるという分野が増えてきた。こうした靴は2シーズンほど穿いて捨ててしまっても惜しくないので、今のところ救いの神といった感じだ。
それに最近は、靴も値段と見合わない商品が増えてきた。ブランド名に押されて、穿きにくい、直ぐダメになる靴も結構多い。靴の情操教育は受けていないので(笑)、時たま間違えて粗悪品を買ってしまった事が数回あり、最近はたまに悩んでしまうのだ。
実はこの長々とした靴の話、全部前振り(笑)。
最近私はバイトを初めて、週に3回ほど立ち仕事をしている。以前レストランで働いていた時は、朝起き上がる事が出来ないほどの疲労を抱えていた。勿論今は本職ではないので働く時間は圧倒的に少ないが、それでも、数ヶ月前に無職でフリーターをしていた時は、数時間でも耐え難いほど疲労が蓄積していた。
それが今のバイトでは、体の疲れが殆ど残らない。むしろ適度な運動をしているので、体が清々しいぐらい(笑)。しかしたまに配膳の仕事をやると、たった数時間で信じられないほど体が疲れるのだ。何故だろう?と考えて、原因は靴だと判明した。
配膳はでは『飾りが無く、ヒールの高すぎない黒いパンプス』が指定。以前ホテルで働いていた時は、ヒール3cmと高さまで決まっていた。それぐらいなら、支給して!というぐらい細かい指定。私はずっと、パンプスが当たり前というレストランで働いてきた。
この『パンプス』が疲れるのだ。今のバイトは足元自由。スニーカーでもなんでもどんと来い!なのだ。私は歩きやすくいヒールの無い、ゴムの靴を穿いている。
『パンプス』とは、およそ人体構造を無視した造りだとは常々思っていた。なぜ踵が高いのか?つま先に重心がかかる造りは、明らかに歩きにくい。上記した『良い靴』であれば多少はマシだが、それでもヒールの無い靴に比べたら、疲れる度合いは格段に上である。
理由は簡単、女性の『美しく見せたい』という飽くなき欲求によるものだ。踵が高い靴は足が綺麗に見える。足首も細くなる。そのために隠された部分はボロボロになろうとも、概観が綺麗であれば、女性は死に物狂いでその道を突き進むのだ。
『おしゃれとは我慢だ』とは良く聞く言葉だが、一体いつからそんな格言が生まれたのだろう?息が止まるほどのコルセット、頭が動かせないほどに大きく結い上げた髪型、そう、女性は遥か昔から、『おしゃれは我慢』と生きて来たのだな。
日本なんてまだまだ良いほう、というより、男性も似たような服装だったので、『我慢』とうい概念は無かっただろうと思われる。ちなみに祖父の父の話(私の曾祖父)だが、ちょんまげは酷く頭が痒く辛いものだったそうだ。頭頂部を質の悪い剃刀で剃るので、しょっちゅう血が出ていたし、髪が生え始めの感覚が痒くて仕方が無かったそうだ。しかもそれが慢性的、相当に辛かったらしい。ついでに刀も、足にガチャガチャ当たるので非常に歩き辛く、おまけに痛い。明治維新で刀とちょんまげが廃止になった折には、友人たちと祝杯をあげたそうな。祖父母の話って面白い(笑)。
それにしても、たかが靴、されど靴。靴一足で、足の痛みどころか体の疲れがこれほど違うのかと驚いている。当たり前と言えばそれまでだが、今の今まで気が付く事も無かった。足の痛みと体の疲れは別物で、体の痛みはどこか別のところから来るのだと思っていたのだ。
靴ってやはり大切だ。『おしゃれは靴から』いやいや、『健康は靴から』なのかも知れない。今は多くの健康グッズがあり、靴に関する健康グッズも数多ある。青竹踏みなど、オーソドックスな物は愛用しているが、体のツボが一気に集まっていると言われている足の裏、長く労わって行きたいものだとつくづく思う今日この頃である。
また別の見方では、足元にまで気を使える人は真のお洒落である、というもの。どんなに小奇麗な格好をしていようとも、高級な服を着ていようとも、足元がグズグズだと全く持って引き締まらない。むしろだらしなく見えるでしょ?
私にとって靴はお洒落の要であり、若い頃から、洋服は3000円を超えるものは殆ど買わないが、靴だけは2万円くらいは普通に払っていた。それに洋服は、価格に見合わないものが多い。ブランド名ばかり先行して値段が跳ね上がり、実際は裁縫も何もあったもんじゃない、なんて事もあったりする。何万もする洋服なのに、素材は化学繊維だったり、数回着ると直ぐヨレヨレになってしまったり。逆に言うと、洋服は安いものでも見せ方次第で、『それなり』に見せる事も出来るし、安くても素材が良かったり、案外しっかりしていたり、見る目があれば上手く乗り切って行けるのだ。幸い私は、両親がブティックを営んでいたので、高級服というものに囲まれて育った。何気なく聞く洋服の薀蓄なども手伝って、その道では情操教育を受けてきた。
反して、靴の最高峰はやはり『革靴』。革製品は高い、と同時に、値段の違いが品質の違いに如実に現れるものである。『安かろう悪かろう』が適応されるものなのだ。高ければそれだけ履き心地も良く、安ければどうしたって足が痛くなる。布靴やビニールなど、昨今その素材は様々ではあるが、私は革靴がなんと言っても好き。それも、しっかりとした、美しく、レトロな堅実さを持った伝統的なものが好きなのだ。そうした革靴は、値段によってフォルムの美しさも格段に違う。『良いな』と思えばその分高い。
それに革は伸びるのだ。私のように酷い外反母趾だったりすると、穿いている内に形に馴染む革靴は大変ありがたい。合皮などの模造品なんて、光具合や質感など、見た目も履き心地も最悪と倦厭している。
ただ最近は、、、長年続く逼迫した財政状態に押されて、若い頃のように靴に大枚を叩くなんて真似は到底出来ない。そんな中でもなんとかやりくりしているが、以前に比べれば格段に靴の質が落ちたと言わざるを得ない。
昔買った靴の中で、最長は12年穿いているパンプス。姉に『古物みたい』と言われたが、12年も穿いていれば自然と古物になるに決まっている(笑)。それ以外でも、3万くらいかけた靴は10年に届こうかというぐらい穿いているものが数足ある。長い目で見れば、これはお買い得だと言えるだろう。趣味的にスタンダードなデザインが好きなので、それほど長い期間が経っても、今でも時折褒められる事がある。トラディッショナルな美しさというのは、色褪せない美を含有しているものなのだと実感する。
しかし最近は、安い素材でも可愛らしい靴が増えて、安さの中に可愛さがあるという分野が増えてきた。こうした靴は2シーズンほど穿いて捨ててしまっても惜しくないので、今のところ救いの神といった感じだ。
それに最近は、靴も値段と見合わない商品が増えてきた。ブランド名に押されて、穿きにくい、直ぐダメになる靴も結構多い。靴の情操教育は受けていないので(笑)、時たま間違えて粗悪品を買ってしまった事が数回あり、最近はたまに悩んでしまうのだ。
実はこの長々とした靴の話、全部前振り(笑)。
最近私はバイトを初めて、週に3回ほど立ち仕事をしている。以前レストランで働いていた時は、朝起き上がる事が出来ないほどの疲労を抱えていた。勿論今は本職ではないので働く時間は圧倒的に少ないが、それでも、数ヶ月前に無職でフリーターをしていた時は、数時間でも耐え難いほど疲労が蓄積していた。
それが今のバイトでは、体の疲れが殆ど残らない。むしろ適度な運動をしているので、体が清々しいぐらい(笑)。しかしたまに配膳の仕事をやると、たった数時間で信じられないほど体が疲れるのだ。何故だろう?と考えて、原因は靴だと判明した。
配膳はでは『飾りが無く、ヒールの高すぎない黒いパンプス』が指定。以前ホテルで働いていた時は、ヒール3cmと高さまで決まっていた。それぐらいなら、支給して!というぐらい細かい指定。私はずっと、パンプスが当たり前というレストランで働いてきた。
この『パンプス』が疲れるのだ。今のバイトは足元自由。スニーカーでもなんでもどんと来い!なのだ。私は歩きやすくいヒールの無い、ゴムの靴を穿いている。
『パンプス』とは、およそ人体構造を無視した造りだとは常々思っていた。なぜ踵が高いのか?つま先に重心がかかる造りは、明らかに歩きにくい。上記した『良い靴』であれば多少はマシだが、それでもヒールの無い靴に比べたら、疲れる度合いは格段に上である。
理由は簡単、女性の『美しく見せたい』という飽くなき欲求によるものだ。踵が高い靴は足が綺麗に見える。足首も細くなる。そのために隠された部分はボロボロになろうとも、概観が綺麗であれば、女性は死に物狂いでその道を突き進むのだ。
『おしゃれとは我慢だ』とは良く聞く言葉だが、一体いつからそんな格言が生まれたのだろう?息が止まるほどのコルセット、頭が動かせないほどに大きく結い上げた髪型、そう、女性は遥か昔から、『おしゃれは我慢』と生きて来たのだな。
日本なんてまだまだ良いほう、というより、男性も似たような服装だったので、『我慢』とうい概念は無かっただろうと思われる。ちなみに祖父の父の話(私の曾祖父)だが、ちょんまげは酷く頭が痒く辛いものだったそうだ。頭頂部を質の悪い剃刀で剃るので、しょっちゅう血が出ていたし、髪が生え始めの感覚が痒くて仕方が無かったそうだ。しかもそれが慢性的、相当に辛かったらしい。ついでに刀も、足にガチャガチャ当たるので非常に歩き辛く、おまけに痛い。明治維新で刀とちょんまげが廃止になった折には、友人たちと祝杯をあげたそうな。祖父母の話って面白い(笑)。
それにしても、たかが靴、されど靴。靴一足で、足の痛みどころか体の疲れがこれほど違うのかと驚いている。当たり前と言えばそれまでだが、今の今まで気が付く事も無かった。足の痛みと体の疲れは別物で、体の痛みはどこか別のところから来るのだと思っていたのだ。
靴ってやはり大切だ。『おしゃれは靴から』いやいや、『健康は靴から』なのかも知れない。今は多くの健康グッズがあり、靴に関する健康グッズも数多ある。青竹踏みなど、オーソドックスな物は愛用しているが、体のツボが一気に集まっていると言われている足の裏、長く労わって行きたいものだとつくづく思う今日この頃である。
COMMENT
楽しんでいただけて
ウースター嬢さん、こんばんわ!
曾祖父の話、楽しんでいただけたようで(笑)。祖父母共明治産まれだったので、彼等の話は本当に面白かったです。
ハイヒールで歩き回ると、本当に疲れますよねぇ〜、ほとほと。
曾祖父の話、楽しんでいただけたようで(笑)。祖父母共明治産まれだったので、彼等の話は本当に面白かったです。
ハイヒールで歩き回ると、本当に疲れますよねぇ〜、ほとほと。
2008/03/10(月) 20:57:00 | URL | hiyo #B9A5zm5U[編集]
ちょんまげと刀の話、おもしろいです!
私は、5cm以上のヒールを履く時は、観劇や行動範囲が狭いと分かっている時と決めています。が、昨日は、ハイヒールでそば屋を求めて銀座を歩いたので、やはり体が重く・・・・(笑)
私は、5cm以上のヒールを履く時は、観劇や行動範囲が狭いと分かっている時と決めています。が、昨日は、ハイヒールでそば屋を求めて銀座を歩いたので、やはり体が重く・・・・(笑)
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