『風の影』
- 2007/02/03(土) 16:13:25
カルロス・ルイス・サフォン著/木村 裕美 訳/集英社文庫
1945年バルセロナ、11歳のダニエルは、父に連れられてある秘密の場所に行く。その場所『忘れられた本の墓場』は、様々な理由で持ち主を失った本の行き着く場所だ。そこのルールに従って、ダニエルは1冊の本を持ち出すことを許される。『風の影』と題名されたその本の魅力に取り付かれたダニエルは、父の経営する古書店のネットワークを利用し、その作家フリアン・カラックスのことを調べ始める。謎に包まれたカラックスの過去が明らかになるにつけ、ダニエル自身の現在と、それが重なり合っていることに気がつく。許されない愛、逃亡、正義のための戦い。内戦後間もなくのスペイン・バルセロナを舞台に、ダニエルとカラックスの人生が交差する。
たまたま本屋で『新書』として発見し、その帯宣伝の文句やらなんやらひっくるめて、どうしようもなく読みたくなって、珍しく『新書』で買ってしまった(笑)。その期待は裏切られることは無く、久々に眠るのを忘れたいほど面白いと感じる作品だった。
カラックスの人生に隠された謎は、いささかも真新しいものではなくて、いわゆる良くある禁じられた愛にまつわる物語だ。しかしその物語を彩る文体、展開の上手さ、キャラクターの造形、面白い作品に不可欠である様々な要素が素晴らしく融合して、ありきりでソープオペラ的な謎を、文学的に見せていたように思う。
まず、礼儀正しい言葉を多用した、どこか懐かしさを感じる日本語の翻訳に惹きこまれた。変な話だが、今風の完璧なる口語体には一線を画したどこと無く古臭い翻訳だ。これが物語の時代感を、いやおう無く盛り上げてくれる。
カラックスの人生を紐解くにつれ、主人公ダニエルの人生がその上に被さってくるのだが、当然のように恋があり、親や友人とのすれ違いがあり、新しい人間関係の構築などが垣間見られる。そうした物語が、バルセロナのとりわけ中心街をメインに展開してゆくのだが、バルセロナを一度でも訪れ、それが心に深く素晴らしい印象として残っている方なら、間違いなくその市中の情景を脳裏に描きながら、その旅を追体験しつつ楽しめる作品だろうと思う
この物語を読むまで、自分が2年前にたった数日訪れたバルセロナを、これほど鮮明に覚えているとは思わなかったのだが、地名・建物などの名前を読むにつれ、記憶がまざまざと蘇ってきた。バルセロナという街は、それほどはっきりとした特徴を持つ街なのであり、強烈な印象を人々に与える、何か図り知れないものがある地域なのだろう。
何より、優れた筆者による、飾ることの無いバルセロナのあっさりとした描写が、私の読書の助けになっていたのは間違いない。
更には、冒頭からいきなり始まる、揺ぎのない本への愛情が素晴らしい。本を読むこと、愛すること、筆者の思いは、ダニエルやその父、最期にはダニエルの恋人を通して、時おり深く語られる。活字離れが盛んなのは日本だけではないようだが、この本は、本を愛することや読書の素晴らしさを伝えてくれる。同じ気持ちを持つ者として、冒頭から共感せずしてなんとする!(笑)といったような、静かな勢いと熱い思いが感じられた。
ラストはちょっとばかり、それまでの盛り上がりを一気に消火させるような地味な感じなのだが、人生のどこかに隠れてしまっている、ちょっとした希望を見つけられるような気もちになるものだったし、その締めくくりも洒落ていた。なんとも、『読書』の楽しみを思い出させてくれる、楽しさを味わえる作品だった。
![]() | 風の影〈上〉 カルロス・ルイス サフォン (2006/07) 集英社 この商品の詳細を見る |
![]() | 風の影〈下〉 カルロス・ルイス サフォン (2006/07) 集英社 この商品の詳細を見る |
ジャンル:
- 小説・文学
『ディーバ』
- 2006/12/08(金) 16:40:51
デラコルタ著/飯島 宏 訳/新潮文庫
レコード会社のメッセンジャー・ボーイをしているジュールは、無類のオペラ好き。時折オペラ歌手のコンサートに出かけては、バイオリンケースに仕込んだ自作の録音装置を使って、無断でコンサート音源を録音して楽しんでいた。現代最高と目されるアメリカのオペラ歌手シンシア・ホーキンス初のヨーロッパツアーにも行き、アーティスト最高のコンサートを首尾よく録音した。同じ頃、パリ一体を仕切っている裏社会のボスサポルタの愛人が、彼を陥れようと悪事の全てを録音したテープを作成。それが偶然からジュールのバイクに隠されて、ジュールは警察とマフィアの双方に追われる身となってしまう。そんな時に出会った美しいアルバという少女。彼女と行動を共にするゴロディッシュという謎の男に助けられ、ジュールはなんとか身を隠す方策を立てるのだが。
1979年頃?の作品らしく、何の気なしに手に取ったのだが、思わぬ掘り出しものだった。スリリングなサスペンスがスピード感ある展開を見せ、息詰まるような緊張感のある作品だったのだ。
物語は、幾つかの事柄が交差する。マフィアのテープを巡るサスペンス、ジュールが無断で録音したテープを巡るビジネス上の攻防が2本柱だが、それぞれのエピソードが、順当な時間軸を経て巧みに進行していく。
そして、幾つかの人間関係も交差している。ジュールとアルバ、アルバとゴロディッシュ、ジュールとシンシア、サポルタと愛人ナディア、ナディアと友人と言った具合なのだが、これが決して複雑にならず、理路整然と、しかし興味深く描かれる。
非常に薄い本なのだが、これだけの要素がしっかりと収まり、しかも何ものをも邪魔していない素晴らしい構成力だ。ラストも完璧だった。1つ1つの事柄にキチンとした結末が用意され、尻切れトンボに感じる箇所がない。凝った作品は面白い、しかし分厚くなるのは仕方がないと思っていた私の固定概念を、見事に覆した作品になった。
物語の要素だけを抽出し、余計な描写や遠まわしな表現、サブ的な出来事などは綺麗に削ぎ取った作品なのだ。翻訳小説は、長ったらしい言い回しが多いから嫌い!思っている方にはお薦めの作品だ。
謎の男ゴロディッシュが、思ったより正義に厚く良い男だったなぁ?と意外に思ったのだが、これはもともと、ゴロディッシュとアルバのシリーズだそうだ。悲しいかな、日本ではこれ1作しか翻訳されていない。
そうして考えると、主役扱いのジュールの存在感が弱く、大した事をしていないのも納得(笑)。警察から逃げ回る姿がどうも腑に落ちなかったのだが、最後のジュール自らの説明と、シリーズを解説している後書きによってモヤモヤは霧散した。
ページをめくるのを止められず、全てが山場なので息つく暇がない(笑)、サスペンスのコアを堪能できる作品だった。
ディーバ / 飯島 宏、デラコルタ 他
ジャンル:
- 小説・文学
『愛の続き』
- 2006/12/05(火) 14:07:18
イアン・マキューアン著/小山 太一 訳/新潮文庫
美しく聡明な恋人クレアと共に公園にピクニックにやってきたジョーは、暴走する気球を目撃する。気球に乗ったままの少年のために、ジョーは迷うことなく救助に向かう。同じく救助に集まった男性が数人いたが、彼等の助力空しく気球は幼い少年を乗せたまま上昇し、たった一人、ロープを離しそびれたローガンという医師が墜落死してしまう。心に重荷を抱えることになったジョーだったが、事故の夜、同じ場所に居合わせたパリーという男から愛を告白される。神のためにと愛を共用するパリーの行動は、次第に執拗になり、精神を追い詰められたジョーは周囲から孤立していく。
映画『Jの悲劇』(感想)の原作だ。この作家は作品の多くがブッカー賞にノミネートされるイギリスを代表する作家で、以前『アムステルダム』(感想)を試しに読んでみた事がある。さてこの作品、非常に小難しい事が多分に書き込まれているのだが、世俗的というか、簡単に言ってしまうと大衆小説の色が濃いと感じた。
愛、赦し、罪悪感、人間の防衛本能、同じく人間の責任回避への欲求などが緻密に描かれている。385ページとさして厚い本ではないのだが、良くぞこれだけの要素をバランス良く配置した!と天晴れな気持ち。
更には、非常に程度の高い文体と内容であるにも関わらず、大衆が興味を持つ展開や内容を忘れていない。崇高で有れば良しという文学が多い中、万人が読めるレベルを作り上げている。こちらも素晴らしいと思う。なんというか、、、昼メロと高等文学をムラ無く混ぜ合わせた感じ(笑)。
非常に『人の感情』を描くのが上手な作家で、各登場人物の単なる描写に留まらず、その精神状態や感情の動きが丁寧に描かれている。まるで本の中で本当の人が自然に動き回っているような、ジョー、クレア、パリーなどそれぞれの人が自分達のパートを執筆したかのような感じだ。
この作品を読んで映画のことを考えると、非常に良くできた脚本であったことが解る。作品の趣旨や意志を殺がずに、映画という世界を有効活用している。確かに小説とは違うエピソードや展開が含まれているのだが、原作を貶めるような事にはなっていないのだ。先に小説を読んでいたら、もっと映画が楽しめた気がした。
読後の印象は、非常に上質な作品を堪能したというもの。それでいて、ジョーの愛の行方や、色情狂的妄想を持つパリーのこと、拳銃を入手するなどのサスペンス的要素など、娯楽も同じように堪能出来ていた。読む価値のある現代作家だ。
![]() | 愛の続き イアン マキューアン (2005/09) 新潮社 この商品の詳細を見る |
ジャンル:
- 小説・文学
『フェリシアの旅』
- 2006/10/10(火) 16:03:36
ウィリアム・トレバー著/皆川 孝子 訳/角川文庫
純真で朴訥としたフェリシアは、兄と親友の結婚式の時に運命の恋をして、僅かな間に妊娠をしてしまった。恋人は海を越えたイギリスで働いている。僅かなところで邪魔が入って、彼の住所を聞きだすことが出来なかった。姦淫を大罪と捉えるアイルランドの家庭では、フェリシアはこのまま暮らしていくことが出来ない。仕方なく彼女は、恋人を探しに、イギリスへと旅立ったのだ。思うように捜索は捗らずに困っていたところを、親切な男に助けられる。名も言わないその男には、隠された恐ろしい過去があったのだが。。。
ミステリなのかサスペンスなのか?はたまた少女の成長と啓発の物語なのか?全体像が結局掴めなかった。一口で言うなら、少女失踪という犯罪を絡めたサスペンスタッチの成長物語?ああ、、更に理解不能に。。。
こうした物語の展開の割には、精神性が深すぎて、ついでに散文的過ぎた気がする。内容というかプロットは確実に3文小説なのに、それをどこまで昇華させたいのか?作者の意図に惑わされた。
何しろ、フェリシア自体が、純朴・素朴を通り越してちょっとばかりお脳が・・・?と考えてイライラする。恋人を信じる気持ちも解るけど、自分を卑下する気持ちも解るけど、、、宗教的な事を考えても、、、ちょっとばかり初心過ぎる。
フェリシアを助ける(と見せかける)ヒルディッチの過去を、あそこまで曖昧にした意図も解らない。彼の犯した罪に関して、彼をそうした罪に駆り立てる要因に関して、全てが闇の中に葬られている。だけど、容易に想像が着き、かつ、犯罪に結び着くには薄弱な要素と、人間形成の甘さが目立った気がした。
直ぐにでも恋人と出会えて、幸せに帰国するはずだったフェリシアの旅は、思わぬ生涯に苛まれ、結果、果てしなく長い旅になりそうな予感を匂わせる。フェリシアが見つけた真実、そして真理とは?う〜〜〜ん、かなり消化不良なのだ。
![]() | フェリシアの旅 ウィリアム トレバー (2000/02) 角川書店 この商品の詳細を見る |
ジャンル:
- 小説・文学
『香水 ある人殺しの物語』
- 2006/09/25(月) 14:46:01
パトリック・ジュースキント著/池内 紀 訳/文芸春秋
18世紀半ば、反映を極めているかに見えるフランスには、様々な匂いが蔓延していた。そんな中、望まれない子供として生まれたグルヌイユ。母に捨てられ乳母にも見捨てられた人生だったが、体臭を持たないグルヌイユには、類まれな能力を持つ鼻があった。全ての物の匂いを嗅ぎ分けることが出来るグルヌイユは、街中にある匂いの1つ1つを記憶に留め、やがて香水調合師となる。しかしかつて出逢った最高の匂いを求めるあまり、グルヌイユは人々が思いも付かないような行動に出るのだった。
大変評価の高かった作品。期待感は最高潮で読み始めた。タイトルからも、グルヌイユという主人公が殺人者であるのだろうと予測が付く。
18世紀を舞台とした、おどろおどろしい殺人鬼の話なのか?はたまた、幻想的なミステリなのか?どうやら、それらとは一線を画す、個性的な内容と筆致の作品であったようだ。
個人的には、評を書くのが何とも難しい。とにかくプロットが変わっている。それゆえ、主人公に感情移入することは難しい。まるで人間の形をした悪魔のような男のこと、その行動や思考を理解することは不可能。ゆえに、作家としては、思いのままの奇怪な行動をとらせる事ができたのだろう。実に、凡人ならざる動きをする男だ。
ラストに繋がる展開や、ラストに見せたグルヌイユの行動から、単純に物語の核を探ってみるなら、それはやはり『愛』だったのだろうか?と思った。
匂いを感知し、それを分析し、記憶の中に刻み付けるという描写が上手かった。普通の人でもなんとなくやっている行動ではあるが、グルヌイユの場合は、その能力が凡人の数千倍は凄いのだ。木や石からも匂いを嗅ぎ取り、彼だけに解る匂いを抽出することを可能にした。
目には見えない匂いという題材を取り上げた作品だ。文字でしか、主人公の行動を表すことは出来ない。何しろグルヌイユは、人と会話することを好まない。饒舌なタイプからは程遠い。
しかしこの作品、果敢にも映画化された。なんとも、、、、無謀な事を。
視覚的に見てみたいという欲求はあるが、到底あの、覆いかぶさるような芳香の渦のような表現は、文字意外では表し辛いだろう。その辺をどう処理しているのか?興味が無いわけでもないのだが。
<公式サイト>
http://www.parfum.film.de/
![]() | 香水―ある人殺しの物語 パトリック・ジュースキント、パトリック ジュースキント 他 (1988/12) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
ジャンル:
- 小説・文学
『ロンドン・ノワール』
- 2006/09/08(金) 17:11:10
マキシム・ジャクボヴスキー著/田口 俊樹 訳/扶桑社ミステリー
世界的に有名な都市ロンドン。市中にある広大な公園を代表するように、大英帝国の名残を今直留めた美しい街。その反面では、イーストエンドの荒廃や、麻薬、売春が蔓延している暗黒街の一面を持つ大都市。そんなロンドンを舞台とし、ロンドンに暮らす作家による短編を集めた作品集。
あら〜、これやっちゃったか?
ほとんど知らない作家の作品ばかりだったが、ラスト2編が、ミステリにはまり始めの頃に読んでいたマイクル・Z・リューインと、先日感想をアップしたばかりのアンドリュー・クラヴァンだったので即買いしてしまった。
短編集には良くありがちな編纂。そこそこの出来の短編から始めて、後半に目玉を持ってくる。まさにその法則をピタっと適応した感のある作品集なのだが、前半のそこそこが・・・ちょっとねぇ?私の感性が落ちたのか、この作品達の完成度が低いのか?
一様にロンドンの暗い部分を、ダーティーにスタイリッシュに描こうという意志は見えるのだが、実際ロンドンにそんな雰囲気は薄い。映画においてもそうなのだが、チンピラの多い国であって、真髄の犯罪組織の影は薄い気がするのだ。実情はいざ知らん、勝手な感想なのだが。
どうもちぐはぐなノワール振りと、難しくしようとする意気込みが、短編の趣旨を削いでいる作品が多く感じ、期待していた後者2編も、納得できるほどの勢いは無かった。
やはりロンドンを舞台にするなら、古き良きミステリの方がピタっとはまる(笑)。
![]() | ロンドン・ノワール マキシム ジャクボヴスキー (2003/10) 扶桑社 この商品の詳細を見る |
ジャンル:
- 小説・文学
『妻という名の見知らぬ女』
- 2006/08/10(木) 16:23:44
アンドリュー・クラヴァン著/羽田 詩津子 訳/角川文庫
キャル・ブラッドリーは、マリーという美しい妻と、3人の愛らしい子供と共に小さな田舎町で暮らし、精神科医としてある施設の所長を務めていた。14年前に結婚してから変わらぬ愛をお互いが持ち続けた夫婦だったが、キャルはマリーの過去をほとんど知らない。ある時、恋人を殴って教会に火をつけたという青年、ピーター・ブルーがキャルの元にやってくる。不思議な魅力を持つこの青年の治療を続けるうちに、キャルはピーターの中に自らの過去を見出す。そして妻マリーの、隠された過去が次第に明るみになっていくのだった。
この作家、かなり上質な作品を書く作家なんであるが、余り日本では話題にならない。。。というか、なんだか扱いが地味だと思うのは私だけだろうか?かの御大(笑)、クリント・イーストウッドが監督・主演した映画『トゥルー・クライム』の原作者だ(他にも多数映画化されている)。原作のタイトルは『真夜中の死線』。まさに手に汗握るという形容がピッタリの、時間制限という設定がこれ以上ないぐらいに活かされたクライム・サスペンスだ。
さて本作も、表紙とタイトルを友人に見せたら笑われた。ふむ?確かに、なんだかロマンス小説を読んでいる気にさせる邦題だ。しかし原題も『MAN AND WIFE』。大して印象は変わらないのではと思われる(笑)。
しかし内容は濃い。309ページと薄い作品ではあるが、密度は濃い。徐々に明かされるマリーの過去なのだが、そこに至るまでは、主人公キャルの人となりをじっくりと描き出し、この男にして愛してしまった女像を創り上げていく。
事件そのものはたいしたサスペンスではないのだが、心理描写が空恐ろしいのだ。キャルという真面目そうな男の心理。これはかなりまとも。恐らくは私と似ているタイプ(笑)。ある意味謎の青年ピーター・ブルーと妻マリーの対比。最初はピーターがちょっとおかしいのか?と思わせておいてその実は・・・、はい、ネタバレ禁止!
マリーという妻、女性、を使って、特異な状況をさらりと創り上げる手腕はさすが!この女性が作品中大きな鍵を握っていることは言うまでもないが、作品の性質すら変化させる威力があった。正直、理解できないでもないのが怖い。
マリーの過去を探る前半から、徐々に精神的サスペンスに変化していく後半。この作者の他の作品よりは多少軽めに感じるかも知れないが、追い詰められていくような息苦しさは随所に感じられ、質の高さは充分なものだろう。
![]() | 妻という名の見知らぬ女 アンドリュー クラヴァン (2003/08) 角川書店 この商品の詳細を見る |
ジャンル:
- 小説・文学
『ジャックと離婚』
- 2006/04/20(木) 18:05:08
コリン・ベイトマン著/金原瑞人・橋本知香 訳/創元コンテンポラリ
酔いどれの新聞コラムニストのダン・スターキーは、酒の勢いで人生初めての浮気をし、その相手が何者かに殺害されるという災難に遭ってしまう。浮気相手のマーガレットは死ぬ間際、ダンに『ジャック』と『離婚』という言葉を残す。混乱したダンは、丁度訪ねて来たマーガレットの母親を犯人と間違えて殺害。現場に居合わせた不幸と合わせて、2重の殺人罪で追われる羽目になる。元IRAの大物や次期首相候補までが絡んだ不可解な事件に、自堕落男ダンが立ち向かうのだが?
舞台は北アイルランド。かなり難しい情勢のこの国の、しかも内戦冷めやらぬ1990年初頭頃が背景らしい。これは難しい、北アイルランドの人にしか読ませる気が無いのじゃないか?と勘ぐりたくなるぐらいだ。
簡単に表現すると、北アイルランドはイギリスの領地。宗教はプロテスタントとカトリックが2分している。『プロテスタント=イギリス』、『カトリック=アイルランド』がそもそもの流れだが、まさかそんな単純な話ではない。この宗教問題を基盤に、さらに細かく派閥が作られるのが政治と思想だ。なので、作品を読んでいても、同じ宗教同士の派閥の違う対立や、単純に宗教違いの対立、人間としての対立などごちゃごちゃと絡んでくる。
ちなみにダンは、プロテスタントのユニオニスト。マーガレットの両親は、プロテスタントのロイヤリスト。この違いも大きい。が、その家庭に育ったからと言って、ガチガチにならないのが今時の若い子の特徴で、マーガレットが付き合った男はカトリック。しかも元IRA、なのでリベラルでバイオレンス的(笑)。
さらに、北アイルランドの歴史を多分に含んだ政党が登場してくる。北アイルランドの情勢と歴史を多少なり知っておかないと、会話が掴めずに物語全体が不可解になってしまいそうだ。なので、難しい事は考えずに、ただ善と悪の対立だけに集中すれば良い。
こう言ってしまうと語弊があるが、あくまでも物語では、IRAが悪者でそれ以外は善い人だ。ダンが主人公で、彼は自分の周囲を守ろうと必死に戦うという縮図だ。
ちなみに映画がある。既に映画は感想を書いているが、ラストにまつわるエピソードと展開は、映画の方がすっきりと納得できて面白く、小説の方はより北アイルランドらしい考え方だ。一般受けを考えるなら、映画の方が単純に面白い。
私のようにアイルランド好きで色々考えたい場合は、小説の方が良いのかもしれない。まず映画とは犯人が違うので、その違いを突き詰めて考えてみるのも一興。
ジャンル:
- 小説・文学
『ステップフォードの妻たち』
- 2006/04/05(水) 17:12:58
アイラ・レヴィン著/平尾 圭吾 訳/ハヤカワ文庫
新しくステップフォードに引っ越してきたジョアンナ一家。不思議な事にこの町は、女性はみな専業主婦で、趣味も家事という人達ばかり。写真のセミプロであるジョアンナは、子育ても一段落した事から、本格的に写真の仕事をしてみようと思っていた矢先の引越しだった。活動的なジョアンナは、本質の合わない女性ばかりで友達も出来ずに悩んでいたが、次第に町に秘密がある事に気がつく。男達が支配し、女性を家事ロボットに変えているのでは無いか?次第に追い詰められていくジョアンナは、自らに残された時間も、僅かである事に気がつく。
N・キッドマン主演で映画化された原作。というよりアメリカでは、貞淑で家庭的な妻を指して『Stepford Wives』というぐらい、メジャーな作品だ。鬼才A・レヴィンの作品、作品が少なく、そのどれもが高品質で有名な作家だ。私は第一作目でやられた。とんでもなく面白い。
とにかく文章運びが上手くて無駄がない。そのおかげで一気にグイグイ読ませる作家なのだが、この作品は表面だけ捉えると、更にあっさりと読める内容の薄いものに感じてしまいそうだ。映画は、大分独自の解釈が加えられている事を知った。
まず描かれた1970年代初頭という時代を考慮して読むと良いだろう。第二次大戦が終わり、『女性は家に!』と叫ばれた時代を過ぎ、女性の人権を尊重する運動が起こった1960年代後半から、ウーマンリブが広く定着した頃か。離婚しても、女性が自分らしく生きる事が出来るようになった時代。男性の存在価値が、変わり始めた時代でもあったのだろう。
そして機械の時代だ。コンピューターまで登場し、世の中は一気に便利になっていく。むしろ主婦としての女性の存在すら、脅かされ始めた時代じゃなかろうか?これまで家事に費やしていた時間は大幅に削られ、趣味の無い女性は、自分を持て余してしまっただろう。ただし、そうした環境に直ぐに適応できるのが、女性の利点ではある(笑)。
女性視点の作品でありながら、男性にしか書けない作品だと思う。登場する男性陣が、笑っちゃうぐらい間抜けでどうしようもないのだ。女性をセックスシンボルとしか見ていない。そして自分の世話をする存在としか。。。その辺が『笑える』ぐらいの書き込みは、やはり男性にしか出来ないだろう。女性だったら、多少の憎しみが紛れ込む(笑)。
結末はなんだか不穏だ。解決も無く種明かしもない。好意的に見れば、『そうした作風だ』と言えるかも知れないが、邪推するなら、男性側の小さな反抗と取れなくも無い。やはり女性の側としては、男性だけが女性を利用して良い思いをし続ける、、、というのは満足できない。多少は過激な反抗があれば、まだ納得が出来るのだが。
最近では女性の価値観がまた変わってきて、専業主婦への憧れが増殖しているようだ。働かざるを得ないという環境に、多くの女性達は疲れ始めている。女性も随分と身勝手だとは思うが、一番ベストなのは、専業主婦でありながら趣味を充実させて家事はそこそこと、私などは思ってしまう。確かにこれじゃあ、ステップフォードの男性を責められない(笑)。
後書きを読むと、作者はちょうど離婚して、子供を抱えて落ち込んでいた時期に書かれた作品だとある。もしかしたらこの作品は、思考よりも感情が優先した、ちょっとした駄作なのかも知れない。輝く才能が、その落下を食い止めていると、思えてきた。
ジャンル:
- 小説・文学
『名無しのヒル』
- 2006/04/05(水) 15:59:42
シェイマス・スミス著/鈴木 恵 訳/ハヤカワミステリ文庫
国境を越えて彼女に会いに行ったばかりに、友人と共に警察に捕らえられてしまったマイケル・ヒル。容疑はテロ行為と殺人。全く身に憶えは無い。警察とイギリス軍の執拗な虐待に耐えながら、収監者が夢見るのは『脱走』の二文字だった。在りし日の北アイルランドを舞台に、イギリスとアイルランド、カソリックとプロテスタントなど、複雑な人間感情の対立をベースに描かれる、青春と友情、男たちの戦いの物語。
いや、やられた。S・スミスという作家、まだまだ奥が深い。
ロディ・ドイルという作家は、南のアイルランド共和国の作家だ。彼の書く小説は、爽やかでシニカルで感動的。北アイルランドの作家S・スミスは、骨の髄まで北アイルランド的だ。しかも、紛争が激化した頃の北アイルランドなのだ。元IRA経験を持つ男の書く作品は、どこまでも暴力的で、暗闇の部分が濃くて、シニカルを通り越して冷淡だった。
そんな男の第3作目は、少しだけ爽やかで、友情があって、感動的で力強かった。著者の自叙伝的作品と言われているが、作中主人公は、決定的にIRAを否定し続ける。それはまさに、IRAを脱退した男が持つ、かつてのテロ集団へ対する純粋な思いなのかも知れない。
読書中何度も泣きそうになった。ありがちな男の友情だったり、体制への毅然とした個人の尊厳だったり、描かれている事柄は様々だったが、言葉の力強さが伝わってきて、その裏に隠された事実や、北アイルランドが通り過ぎて来た過酷な過去を見出すようで、文章の深さに打たれたのだ。翻訳者の、見事な和訳にも感謝したい。
暴力シーンの描き出しはやはり見事だが、前2作のように、ただいやらしく過激なだけの描写ではなかった。殴られている時も、ただ苦しみのみを表していても、人としての尊厳や守るべき主義などが染み込んでいるようで、ただもう圧倒された。
これまでもS・スミスの作品には、どこかイギリスを完全な悪者扱いしていないような印象があった。それよりも、こうした状態に陥ったアイルランドという国自体に、責任を問うているような気がしていた。この作品を読んで、そういった印象の謎が解けた気がする。全てを観てきた人間だけが感じられる、善と悪に対する複雑な感情に気がついた。
北アイルランドのカソリックとして、自国を愛する気持ち。プロテスタントに対する感情。イギリスに寄せる思い。そうした複雑な部分が、この薄い作品の、大方は友情や暴力で彩られた中に潜んでいるが、逆に数多くの言葉を弄して語るよりも、シンプルに率直に伝えられているのだと思う。
語り部のマイケルには、素晴らしい友人がいる。自らの弱さと知識の浅さをしっかりと見据えている、これまでの作品には無かった主人公像であり、さらには、実は密かに憧れもあるのではないかと思われる、男らしい友人の存在。
そして『ばあちゃん』だ。まだ50代で、見た目はもっと若々しいばあちゃん。女気があって逞しくて、全てに平等なばあちゃん。これまでは、女性の存在を軽視した作品ばかりだったが、やはりS・スミスも、母親や強気女性の存在を認知していると知って嬉しかった。
このばあちゃんの姿が、S・スミスの望むイギリスと北アイルランドの在り方に繋がるのじゃないだろうか?そんな気がした。イギリス兵を深夜にこっそり労わるばあちゃん。想像を超える逆境の中にいて、イギリス兵と心が解りあえるマイケル。この親にしてこの子あり、家族の大切さも、S・スミスはちゃんと解っている。
最低最悪の看守や警察、イギリス兵ですら、完全なる嫌悪の思いが沸かない不思議な作品だ。恐らくは、全てを観てきた作者の深い思いが、作中に溶け込んでいるからだろう。ばあちゃんのように平等で、全てを受け入れている。
そして爽やかとは言いがたく、何か深い問題を提議しているようなラストだ。果たして北アイルランドという国は、今後どのように変わっていくのか?テロ集団と呼ばれたIRAにさえも、希望の光を見つけようとしている、作者の思いが込められていた。
ジャンル:
- 小説・文学
















