頑張れ平山君!

  • 2006/11/06(月) 16:12:18

どうも最近思うのだが、、、世間は平山相太に冷たくないか?
思うに、ヘラクレスに事実上クビ切りされて日本に帰ってくる際に、『試合に出られる事』をチーム選びの条件にした事が、既に受け入れ濃厚になっていたFC東京の諸先輩方の反感を買った辺りから・・・どうも雲行きが?
その後は、ヘラクレスの会長の言いがかりとか、体重超過問題とか、代表チームで活躍できなかったりとか色々・・・。スタメン落ちの危機とかなんとか?
最初こそ好意的だったメディアが、煽っているという気がしないでも無い。挙句、ゴールを決めて投げキッスをしたら『気持ち悪い』と言われたとか、ニュースになってるし、これはちょっと酷すぎません?なんか、子供の苛めの世界を垣間見ているような・・・。
つくづく、メディアによる情報操作、ひいては精神操作って怖いなぁと思う。

確かに、平山の顔つきは、ちょっとばかりふてぶてしい気もする。いや多分これ、私も昨今のメディアに操作されている。まだ18歳だった彼がオリンピック選考の試合に出たときなんか、おぼこい感じの、なんだか憎めない顔に見えていたもの。
あの時は確か、『皆で平山にゴールを決めさせよう!』みたいな、熱く美しい勢いがあったように思うのだが。。。いやはや。

どうも最近、余り好意的な話を聞かない気がするのだが、やっぱりなんと言っても『海外』を経験した逸材だ。こんな風潮に潰されること無く頑張って欲しいもの。
メディアの先導によって、明日の日本を担う貴重な存在が、潰されないことを願って。

日本女性の価値

  • 2006/11/02(木) 17:55:03

私は英語の勉強のためにskypeを利用している。詳しくはコチラ
今の言語交換相手も、skypeを通して見つかったのだが、こんなのは運が良い方、いやもう、最高に運が良い方だ。
海外に住んでいて会う気遣いのない人の方が、格段に楽しい会話が出来る。中にはトンでもない『おバカ』がいるが、適当に交わしていればさほど嫌な思いもしない。
面倒なのは、日本国内に住んでいる外国の方。外国から来たというだけで、日本の女性を簡単に『モノ』に出来ると思っている人が多い。
もちろん、これにはれっきとした理由があって、日本の女性は外国の男性に弱い(特に欧米人)という、世界的な観念がある。おまけに、日本女性は貞淑で扱い易いという偏見まであるから性質が悪くもなる。

先日声をかけてきたイギリス人男性は最悪だった。
最初こそ普通に楽しい会話を持ち出し、挙句『英語を教えてあげるよ』なんて言い、こちらが感謝している先から、話がどんどんおかしなほうへ逸れていった。
『手を繋ぐのが好き』から『ハグするのが好き』、そして『キスするのが好き』。最後は大体想像が着くだろう。しかも必ず『君は好き?』と質問してくるわけだ。
こんなんで『ええ、キスするのが大好きです!』なんて言おうものなら(笑)。
適当にいなしていると『君はハッキリしない』と言う。いい加減腹が立ったので、『あなたが私の(真剣な)恋人になったらね』と言った。こういう手合いに、『真剣』なんぞ求めているヤツがいるはずが無いのだ。
こりゃ希望の物を手に入れるまでに時間がかかりそうだと悟ったのか、『I am looking for just sex, so I will looking for other girl』とか、、、言い出した。頑張れよ、若造!
最初からそう言いなさい!
最初から、『Hi! I like sex , you are? if you want,we can make love!!!』とでも言ってくれれば、即座に通信が切れるのに(笑)。貴重な時間を無駄にした。

堅苦しい事を言うつもりは無いのだが、日本女性は、海外の男性に自分達を安く売りすぎている気がする。冷静に判断したら(いや、しなくても)、『お前国じゃモテないタイプだろ?』というヤツが、非常に綺麗な女性を連れて歩いているのをたまに見かける。
お国柄を考えれば、日本の女性は欧米女性より貞淑である意味可愛らしいのは事実だ。もっともっと大事にされるように、自分達を高く見積もってみてはどうだろう?

働き者の指

  • 2006/11/01(水) 17:52:16

人差し指のマニキュアが剥がれやすいんである。
今回はビーズをつけて装飾に凝ってみたのだが、見事に、両人差し指のビーズが全て外れたんである。
こうして考えると、5種類の指の中で、『人差し指』が一番の働き者なのが良く解る。
特にビーズなんか着けていると、日々の暮らしの中で、取れないように無意識で気を使うのだが、そうすると結構、動きが制限されるんである。

ビーズなんか着けずとも、真先に、というより他を圧倒してボロボロに剥げるのが『人差し指』のマニキュア。お前いっつも、1人で(いや1本で)頑張っているんだねぇと、ねぎらいの言葉もかけてやりたくなる程に。

しかし、途中まで剥げたマニキュアは格好悪い。。。
早いところ修正しなくてはと、気ばかりが焦っていく。
他はまだ美しく保たれている指の爪の中で、働き者でボロボロの人差し指の爪が、なんだか愛おしく感じられる今日この頃。

ハロウィンって知ってますか?

  • 2006/10/31(火) 11:51:57

さて今日はHalloweenだ。元はアイルランドの宗教儀式から発展した、収穫祭と日本のお盆が混ざったようなお祭り・・・みたいなもの。
思えば我が日本、バレンタイン、クリスマス、そしてこのハロウィンなど、海外の祝い事を頂いて騒ぐのが好きだ。しかも大抵、本来の意味を取り違えている。
こうした海外の祝い事に関して、私はちょっとばかり辛辣な意見を持っている。そもそも欧米の事柄に興味があった事に加え、丁度バブル期に、『イタリアンレストラン』なんていう場所で働き、しかも、超話題のお店だったことも手伝って、その頃のクリスマスやバレンタインの騒乱に、ほとほと嫌気が差してしまったのが原因だ。だって、完全に意味を取り違えてるおバカなカップルが、単に『イベント』というだけで、神聖な聖人達のために祝っている・・・ように見せかけてる。
当時一緒に働いていたイタリア人に、『日本人って面白いよね〜、キリストのことなんて、364日は忘れているのに、12月24日だけは、僕達より熱心に祝ってくれる。』と言われた時、なんとも上手い切り替えしが思いつかなかった。
大体だ、クリスマスは12月25日なのでお間違えなきよう。24日は単なる前日。それなのに、24日まで大盛り上がりの日本は、25日の当日から既に正月ムード。売れ残りのケーキのセール、商店の正月の飾りつけへの早変りなどを見て、なんとも寒さが見に堪えるような恥ずかしさを、勝手ながら憶えていた多感な20歳頃だった。
今では大分緩和して、周辺が楽しんでいるなら便乗しちゃえ!という気持ちはある。完璧に意味も方法も取り違えている、バレンタインを除いて。

御託だな・・・とは自分でも思う。大体このblogのデザインを、期間限定でハロウィンバージョンに変えているぐらいだし(笑)。何故だろう?日本の祝い事は地味すぎるのだろうか?皆で楽しむという姿勢が、少ない気は確かにするのだが。
ただ思うのは、儀式にこだわらずとも、海外のお祭りに盛り上がる前に、日本の伝統や祝い事にもちゃんと目を向けて欲しいということ。それと、海外の祝い事は、大抵が宗教や聖人に絡んでいる。その意味や方法、精神的な部分など、きちんと理解した上で楽しんで欲しい。
そうでないと、節操の無い日本人が、他人の衣を借りてバカ騒ぎしているようにしか、世界からは見えないだろうから。これ結構恥ずかしいと思うのだが、どうだろう?
まあ確かに、いちいち私は理解してますよと、解説して回るわけにも行かないけれど。

難読症を克服する

  • 2006/10/30(月) 17:30:53

難読症。時折聞く言葉だ。
学習障害の一種で、失読症、難読症、識字障害、読字障害など、色々な呼び名があるらしい。実は私、確実に軽度の難読症なのだ。医者に見てもらったことも無いので、真偽の程は定かではないが、その症状を見てみると、細かいところまで当てはまる。

文字が読めても意味が理解できない、突然言われた事に直ぐに反応できない。計算障害が併発する。意図した言葉を文字に出来ない。文字を追いながら言葉に変換できない。などなど、実は子供の頃から、『出来ない』自分を意識してはいた。
そのせいもあって、読書が大嫌いだったのだ。夏休みの課題作品なんて、1ヶ月かかっても読めはしない。最初の3行ぐらいを繰り返し目で追い続け、全く進まず理解も出来ない自分にイライラするのがオチだった。

例えば、集中して文字を一語一語追わないと、小説の文章が理解できない。
なので、音楽を聴きながら読書とか、かなり難しい。
実は小説を読んでいる時は、かなりの集中力を発揮しており、周囲の音は聞こえなくなる。音楽をかけていても、全く耳に入ってこない。なので、1〜2時間するとグッタリ。ゆったりと避暑地で読書など、私には夢のまた夢だ。私にとって読書とは、格闘に他ならない。気が付いたら寝ていたなんて、緩い状態もあり得ない。
ちなみに未だに、新聞や説明書などといった文章は読むのが苦手だ。興味がないから、それほどの集中力を発揮できないので、全く文章が理解できないのだ。この感覚、説明するのが難しいが、目で追っている活字が、頭の中で全く意味をなさない。
誤字脱字が異常に多い。また、それに気が付けない。何度読み返しても、気がつけないのだ。その為、まともな文章の読み間違いも多い。
簡単な計算が即座に出来ない。1000−(200+200)などといきなり言われると、指を使っても答えられない。
映画の字幕を、読みきれないときがたまにある。従って、難しい台詞の多い映画は、吹き替えで見たほうが無難。以前海外ドラマ『ER』を字幕で見たら、全く読みきれなくて、半分も話が理解できなかったことがあり、以来、あのドラマは絶対に吹き替えでしか見ない、見られない。
難しい言葉や漢字が中々覚えられない。このblogの日記を読み返してみても、言葉の選択はかなり低レベルなはずだ。言い回しなどに関しても、小難しそうに見せかけているだけで、その実かなり稚拙である事に気が付くはず。
咄嗟の言葉に反応できない。そこ右!と言われると、右と左が瞬時に解らなくなる。

しかしこの症状、訓練すればある程度直せるそうだ。
私の場合は中学の頃に読書にはまり、以来その魅力に取り付かれているので、事なきを得ているような気がする。ちなみにこの症状、絵や文字が下手というのもあるそうで、ああ、、、それ両方ばっちり当てはまってます。

時折苦労する時がある。特に計算が苦手な事。
文字が読めないなんてのは、なんとか誤魔化してやっていけるものなのだ。
とはいえ、もっと適切かつ気の効いた言い回しが出来るようになりたいもの。
面白い文章が書ける人になりたいのだ。かと言って、それでどうこうしようというのでもないのだが。
これからはちょっと、意識して挑戦してみようと思う。
読む事はかなりのレベルで克服した。何より、子供の頃のように、読むことが苦痛ではなくなったから。この次は『書くこと』。まずはこの、なっが〜〜〜〜い文章を、削れるように頑張ってみるか(笑)。

スポーツ人生のその後

  • 2006/10/30(月) 14:37:52

さて、またまた新庄剛志の話題。
前の日記にも書いたように、当分、メディアを通してお目にかかる事が多いと思う。
思うのだが?果たしてどんなもんだろ?とも思うのだ。
これまでは、『新庄剛志+野球=話題』だった。そこから『野球』を取り除いてしまうと、『新庄剛志』しか残らない。思い返してみても、『野球』に絡まない『新庄剛志』の話題は、余り思いつかない。野球あってこその、新庄剛志だったと思う。

これまで、数多くの『スポーツ選手』が芸能界に挑戦してきた。『スポーツ』を剥ぎ取ってしまってから、芸能界で最も成功した人物は板東英二だと思っている(笑)。いや、笑い事じゃなくて、彼が野球選手だったという事を知っている若い人はどれぐらいいるか?

そう、過去を綺麗に脱ぎ去らずして、その後の成功はあり得ないのではないだろうか?
引退後数年経ってもなお、『オリンピックメダリストの〜』とか、『元プロ選手の〜』などと言われてしまうようでは、個人として、芸能界で成功していくことは難しいだろう。
スポーツの世界でどれだけ黄色い声で騒がれようとも、それは一般レベルで比較検討して、『顔が良い』だけ。顔が良い集団の中に入れば、並以下になる事はほぼ避けられない。個性にしても、自身が輝ける最高の舞台(スポーツ)で並外れた存在感を持っているだけで、普通にしていたら、その勢いは衰えるのが筋ってものだ。
誰しも才能は持っているだろうが、そう幾つも才能があるとは思えない。そこのところ、非常に判断が難しいとは思うのだが。

しかし新庄は、特に芸能界に生きようとは思っていないのでは?と推測している。彼はそれほどお気楽でもバカでも無いと思うのだ。それほど必死でも無いとも思う。
確か、デザイナーになりたいとか言っていたように記憶している。いやしかし、俳優になりたいとも言っていたか?当分はメディアも騒ぎ立てるだろうが、一時の騒乱と言った感じで、その後の事を見据えたプランを立てている気がする。
ただやりたい事を素直にやる人だと思う。そうして堅い殻を自ら背負わない人は大成する。これは私の持論だ。単純にやりたいと思うことは、熱意を持って取り組める。
加えて新庄剛志には、なにやら底知れぬ強運と、幾多の才能と天真爛漫さ、それに、プロとして実力を発揮できる、人知れぬ努力を続けられる精神力があると思うので。

完全に野球から身を引いて、解説者などにはならないと宣言しているようだが、数十年後にいきなり、『監督』として現れそうな気もする(笑)。
ともあれ、予測が付かない行動を取るのも、新庄剛志の魅力なのだろう。
『野球』という最高の相棒と決別して、本来の新庄剛志に戻って、これからが正念場だ。スポーツ選手の引退後は、例え有名選手であっても、かなりの明暗を分けると思っている。まさに1からのスタート。第2の人生の始まりなのだ。これから、1人だけの『剛志劇場』が始まることだろう。これまでと同じく、周辺をある意味『感動』させてくれる、楽しくも有意義な人生であらんことを!

『記憶』日本一!

  • 2006/10/27(金) 15:24:26

いや、天晴れ新庄。シーズン開始直後の引退宣言。最後のお騒がせかと思われたが、果たしてその事実が原動力の一端をになったのかどうか?今年のプロ野球リーグは、日本ハムファイターズが征した。
しかも、単なる日本シリーズ優勝なんかじゃない。44年ぶり2度目の日本一という快挙。いやはや、別に新庄1人の力ではないのだが、それにしても、この男の底知れぬパワーに、神秘すら感じてしまう。

『野球が好き』という気持ち。それが人一倍強い人だと思っている。
私は昨日の試合は観ていないが、最後の出番の頃から、号泣していたと言うではないか。いやはや、、、熱い。こんな熱い人間が大好きだ(笑)。
監督より先に胴上げ、それも良いじゃないか。やはりこの優勝は、新庄あってのことと、チームメイト皆が思った結果。それほど、チームメイトに慕われた『野球バカ』だったということだろう。

大好きだから、潰されるまでやりたくないと、野球に対する想いを語った。大好きだから、離れていく。難しい選択で、苦痛の伴う行動だろう。それゆえ最後の瞬間に、やりきった!という思いと共に、溢れ出る感情が涙に変るのかも知れない。
突然の引退を発表などせず、彼はきっちり話を通した。その宣言は少し早すぎたかも知れないが、ファンはその分、心して、今年行なわれた一試合毎を、記憶に胸に留められた事だろう。これで最後だと言う思い、それはどれほどの人の応援に繋がったことか。

自らも『強運の持ち主』と発言しているらしいが、何をご謙遜を。
強運だけで、日本一にはなれはしない。強運だけで、プロの選手になれはしない。
その努力、楽しげな裏に隠された行動力あってこそ、生きてくる『強運』だ。

記録や偉業だけではない、人々の『記憶』に残る選手が、昨日また1人、栄光の舞台を去ったのか。。。実に残念である。

とはいえ新庄さん。これからも、メディアで沢山お目にかかる存在になりそうだ。
果たして、いかなる活躍を見せてくれるのか?

自分の為の夢のお話【覚書】

  • 2006/10/20(金) 15:59:58

私は前世を信じている。輪廻転生とか、思いっきり信じちゃっているのだ。
『あり得ない!』とか、『バカらしい』とか切り捨てる前に、ちょっと『宇宙』の事を考えてみて欲しい。宇宙って、無限大なんですよ。始まりも終わりも無い。。。宇宙こそ、地球を生んだ母体。全ての始まり。始まりの終わりは無い。終わりの先には、壁でもなんでも、別の何かが無くてはいけなくて、宇宙にそれはあり得ないからだ。そう考えると、『終わり』とは、終わりであって必ず、何かの始まりなのだろうか?
想像力をうんと逞しくして、宇宙の彼方を旅してみて欲しい。なんだかお尻の辺りがムズムズするような、何とも言えない感覚にならないだろうか?想像の限界を超える世界に、空間に私達は生きているのだ。
だとしたら、目に見えない精神世界や死後の世界だって、あってもおかしくはないじゃないか。確実にそこに存在しいている『宇宙』ってヤツが一番、不可思議な存在だと思えてこないだろうか。宇宙があり得るなら、なんだってあり得ると、私の場合はすんなり思えてしまうのだ。

さて前世の話に戻って。子供には、前世の記憶が宿っているという。それが大人になって、自己が確立され、様々な人生を生きるにつけ、徐々に前世の記憶は薄れてしまうのだと。
私にも実は、前世を感じる事があった。物心ついてから、何度も同じ夢を繰り返し見ていたのだ。その夢は私の目線で見られ、第3者的にどこかから私を見る夢とは違っていた。それもなんだか、箱の中から周囲を見渡しているような不自然な感じ。映画『マルコビッチの穴』の感覚といえば、見た方には解り易いだろう。あたかも、別の人物の体の中から、外の世界を眺めているような感覚だ。
何より不思議な感覚を憶えていたのは、夢の中で動き回る人物は、確実に私であると解るのに、私でないとも思っているのだ。誰かであるのに、私の夢なのだ。そして、私の成長に合わせて、夢の中の私も成長していく。
初めてこの夢を見たのはいつ頃だったか?確か幼稚園の頃であったように思う。その頃から定期的に、週に2度ほどの割合でこの夢を見ていた。

<私の夢>
舞台はいつも一緒だ。日本の田舎のどこか。牧歌的な雰囲気が広がるのどかな場所だ。夢はいつも、低い垣根が両側に続く道を楽しげに歩いているところから始まる。
この垣根の高さが、私の成長に合わせて低くなっていくのが、目線を通して私に解る。
垣根の向こうには、昔風の家々が立ち並び、時折私は、縁側にいる人や庭で遊ぶ人達に、垣根越しに挨拶をする。
特に何をするわけではないが、私はいつも、その風景を楽しみながら軽やかに散歩している。時折家族との出来事もあったように記憶しているが、余り確かな記憶ではない。
次第に私は大きくなり、髪の毛が伸び、お下げにした黒髪をもてあそびながら、今度はゆっくりと、周囲を楽しむ余裕を持って散歩するようになる。
手に持ったお下げを見つめる目線から、夢を見ている私は、私の髪が伸びて、少し大人になったのだと気がつく。以前はおかっぱだったのだ。
そして見つめる私の足元が、靴下にミニスカートから覗く膝だったのが、絣模様のもんぺに変る。その頃私は、近所に住む幼馴染の少年に恋をした。
この少年はそれまで何度も登場し、私は良く彼の家に遊びに行っていた。この頃になると、私の散歩はその少年に会いに行くように目的が変り、私はいつも、垣根越しに垣間見える少年に嬉しげに手を振る。
なんだかウキウキと、淡い想いを感じられる嬉しい夢だった。

結局この夢は、中学頃から見なくなった。私が大人になったのか、、、?しかし私はなんとなく感じていた。この少女は、戦争による空襲で亡くなったのだと。
その少年の事は解らない、しかし夢の記憶では、彼と遊んでいる時に何度か、空襲のような事があったのだ。私は彼と2人で身を潜め、危険が去るまでじっとしていた。
散歩に行く私の足取りも、徐々に不安な面持ちになっていた事も覚えている。もしかしたら、この先の恐怖を考えて、私の心がこの夢を閉ざしてしまったのかも知れない。
シリーズものの夢は実は他にも持っていたのだが、この夢は私にとって特別だった。

そこから導き出された答えとして、私の前世は極普通の田舎に暮らす少女であり、その子は、第二次世界大戦で亡くなったのだ。この考えはふと私の頭に住み着き、以来抜けなくなっている。漠然と、『そうである』と信じる気持ちが強いのだ。

思い返してみれば、私の都会嫌いもここから来ているのじゃないだろうか?
懐古趣味にしたって、こうした記憶が今も心の片隅に残っているからなのではないか?それほどに、この夢の中の私は幸せで、周囲にある素朴なもの達に愛情を感じ、豊かな気持ちであったのだ。

もちろん真相は解らない。全て私の思い込みなのだが、もしこれが真実だったとして、あの戦争でなくなった少女は、今私の人生を生きながら、満足しているのだろうか?と時折考える。

芸能人と海外留学

  • 2006/10/19(木) 15:38:02

KAT-TUNの赤西仁の事を、暫く考えていた。。。いや別に、ファンだからとか言うのではなく(笑)。いや確かに、初めて見たときに『女?』と思ったぐらい綺麗な顔をしているなと、一卵性双生児で女の兄妹がいても、簡単に想像が着くなとは思いましたが(笑)。
何を考えていたかと言うと?・・・ここから先は、究極の愚痴になりますが(笑)、顔が良いって、やっぱり得よね〜という事。
裏でなんと囁かれようが、一応表向きは語学留学。なんら不思議は無い休業理由を掲げて、『無期限の休業宣言』。別に赤西君に限ったことではなく、芸能人は結構こういう事をしている人が多い。自分で稼いだお金を使って、自分のやりたい事をやる。当たり前で立派な事だ。私だって思ってしまう。もっとず〜〜っと顔が良かったら、芸能人になって、お金を荒稼ぎして、海外に留学できたのにと。
アホな考えでしょうか?でも私はそう思ってしまうのです。単に『可愛い』『綺麗』程度じゃあいけません。当然、荒くれ芸能界で立派に生き抜いていけるほど、一段高みにある『美しい顔』でなくは。そうでなければ、芸能界で荒稼ぎするために、強靭な運と、計り知れないタレントが必要になってしまう。タレント、そう、才能ですね。

今だって、何らかの特出した才能があれば、芸能界に打って出て、いや別に芸能界でなくても良いのだが、今の生活では考えられないギャラを稼ぎ出すことが出来るだろう。人気がある芸能人となれば、CM1本500万以上のギャラが着くと言う。私なら、その1本分で十分(笑)。まともに働いているのが、なんともバカらしくなってしまうお話。
捻くれた意見だろうがなんだろうが、単に『顔が良い』だけでもてはやされ、歌も下手、演技もお粗末であろうとも、TVで人気のある若者は多い。
決して、この赤西君がそうだと言っている訳ではない。彼以上に、歌や演技に才能のある若者は沢山いるだろうということ、しかし彼以上に、人を惹きつける『美しい顔』をした若者は、芸能界にもそうはいないということ。この持って生まれた性質が非常に重要なのであり、人は望んでも手に入れることが出来ない、羨むべき特質なのだ。

これも一種の才能か・・・。親もラッキーだな、子供の学費に苦労しなくて済んで、、、なんて、どこまでも落ちる考えをしてしまう。当然、ただボーっとしているだけで、人気が出るほど芸能界も甘くはないだろう。のほほ〜んとOLをしている方が、数段気楽だろう。
ただしだ、それでもいいの!あたしもやるわ!と力んでみたところで、誰も私など拾ってくれない。ブス専路線で売り出してみるか?なんて、今更お年が許さない(笑)。
多分こんな風にネガティブ思考が蔓延するのは、ここ最近の私が、無性に海外留学をしたいからなんだろうな。自分が出来ないから、出来る人を羨む。羨ましいという気持ちは、私が忌むべき感情の1つであるのに。
だからこうして、卑下する方向に摩り替えようとするのだろうな(笑)。さて!散々羨んだので、これから地道な努力を頑張ろう!

男性とマンガとカバン

  • 2006/10/18(水) 16:05:24

最近、私だけの感覚かも知れないが、駅で『マンガ』を読んでいる男性が減ったと思う。本日込み合った車内を見渡してみたら、僅かに2人の中年男性が読んでいるだけだった。変りに、資格取得用か、参考書のようなものをじっくり読んでいる男性が4名ほどいた。非常に、良い兆候なのではないでしょうか?

敬愛する塩野七生氏も、そのエッセイで『れっきとした大人の男性が』、『人前でマンガを読む』という行為を酷評していたが、私も少し賛成。
嗜好を否定する訳ではないし、マンガ全てを否定するのでは決してないのだ。私だって好きなマンガはあるし、マンガから学んだことも結構ある。しかしだ、対象年齢が自分の子供よりも下そうな、分厚い『少年○○』といったマンガを、人前で堂々と読むのは如何なものか?と思ってしまうのだ。
学校の先輩に惚れただの、中学生の三角関係だの、変な悪党が出てきて、これまた変な正義の味方が戦うだの、、、大人の脳味噌には、少し他愛なさ過ぎるとは、思いませんか?
塩野氏の判断は私より数段手厳しいが、『青年系』のマンガなら、これが結構読み応えのある内容も多かったりして、読んでいるのを見てもなんとも思わないのだが。

そこでふと思って周りを見直してみると、小説を読んでいる人はほとんどいない。女性でパラパラと数名いるぐらいだ。これまで余り気にも留めなかったのは、私自身が、電車に乗っているときは『熟睡』しているか『熟読』しているので、周囲を見回したりしなかったからだ。
それでも、女性は良く小説を読んでいるという印象があったのだが、男性はあまり・・・?何故だろう?とふと考える。そういえば、女性が電車の中で『マンガ』を読んでいるのは余り見かけない。正直、私の姉ぐらいしか記憶に無い(笑)。
以前一度、『マンガはどこでも売っているし、買って、読んで、そのまま捨てていけるけど、小説は1日じゃ読み終わらないから、持って歩くのが面倒臭い』と、男友達に言われた事がある。
なるほど、男性は余りカバンを持ち歩かないので、小説にはそういうデメリットがあったのか!そういえば先日男友達3人と話していた時に、その時見事に全員カバンを持っておらず、所持品は全てポケットに分散させていると言っていた。
その時に、『お前のその大きなカバンには何が入っている?』との質問に、即座に小説と答えたのでしたっけ。。。私は小説を必ず持ち歩くので、カバンは比較的大きなものになりがちだ。

ふむ?男性が電車内で小説を余り読まない理由には、そんな関連性もあったのか。
それでも、電車内でマンガを読む人は減ったと思う。良く良く見渡してみると、なるほど、イヤフォンをつけて音楽を聴いているか、携帯で熱心に何かをやっている人が増えた。時代は着実に、変化しているのだな。