2008年06月21日 00:38
〔仏〕L'HEURE ZERO (2007年)
監督:パスカル・トマ
原作:アガサ・クリスティ
脚本:フランソワ・カヴィリオーリ/ナタリー・ラフォリ/クレマンス・ドゥ・ビエヴィーユ/ロラン・デュヴァル
メルヴィル・プポー/キアラ・マストロヤンニ/ローラ・スメット/ダニエル・ダリュー/アレサンドラ・マルティネス/フランソワ・モレル/クレマン・トマ/ジャック・セレ/ザヴィエ・ティアム/エルヴェ・ピエール
資産家の青年ギヨームは妻キャロリーヌと共に、叔母カミーラの別荘へ毎夏恒例の滞在をする。そこにはなぜか、ギヨームが呼んだ元妻オードも来ていた。離婚によって不安定になっているオードを気遣う為にと、彼女と親しい親戚のトマも呼び出された。近隣のホテルには、カミーラの古くからの友人で著名な弁護士トレヴォーズ、キャロリーヌの友人で怪しい雰囲気のフレッドなどが宿泊しており、なぜだか不穏な空気が漂う屋敷を心配する、カミーラの使用人マリ=アドリーヌもいた。そんな中、以前から心臓の弱かったトレヴォーズがホテルで亡くなり、マリ=アドリーヌの予感が的中したように思えたのだったが・・・。
中学生だった私を、ミステリの世界に引き込んだ張本人アガサ・クリスティ。『そして誰もいなくなった』を読んだ時の、重厚で感極まるような読了感を超える作品は今もまだ無い。と言っても、読書の楽しみに目覚めたばかりで、面白い作品を求めて、有名作家の作品を手当たり次第に読んでいた頃のことだ。例えばこの時に、エラリー・クイーンかはたまたG・K・チェスタトンなんかを読んでいたとしても同じように、『天才があたしの手の中にいる!』と大袈裟な感動をした事だろう。
いずれにしろ、私の浅はかな経験値に抉るような跡を残したクリスティ。当時はほとんど崇拝していたので、クリスティの過度な『女性らしさ』というものにはほとんど気が付かなかった。
そんな訳で、この作品を観て改めて、クリスティの『過度な女らしさ』を思い出した。この映画は、クリスティの多分にロマンチストな要素が大きく反映された作品だったと思うのだ。原作の方は未読なので、これがどれほど原作に沿っているのかは判断不能だが、事件全体としては、その『女性的要素』も含めて、クリスティらしさは十分に活かされていたと思う。
それにクリスティに関しては、この『女性的要素』が重要なのだ。だからこそ、女性ファンも多いのだろう。メロドラマとミステリが交じり合ったような作風だが、ミステリに関しては世界が認める一級品だ。メロドラマも十分に読ませる力量で、ミステリにおける色恋沙汰を、これほど『ソープオペラ的』に仕上げた人も類を見ないだろう。それこそが、クリスティらしさの真髄と言えるのかも。
と言う事を、この映画を観て改めて思った(笑)。要するに、良く出来ている映画なのだ。事件がなかなか起きないところも結構ドキドキさせてね(笑)。一堂に会させての鮮やかな推理・・・は、まぁ、ボチボチという感じなのだが、心理的要素を複雑に利用した展開はお見事だと言える。
その心理的要素を考えつつ、全ての結末を知った後にもう一度見直してみると、M・プポーが不気味なぐらいに秀逸な演技をしている事が解るだろう。M・プポー演じるギヨームの持つ二面性を、実にさり気なく気味悪いくらいに表現している。二度観れば、全く違ったギヨームを通して、作品も全体的に、違った見方をして楽しめると思う。
そしてそのギヨームを通して、必然的に二面性を表す事になるオードを演じるC・マストロヤンニ。マルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーブとの娘だそうだが、ちょっと笑ってしまうぐらい父親にソックリ。母の血は、血はどこに!?いやでもでも、マルチェロ・マストロヤンニは名優であると同時にかなりの『美男子』だった訳なので、それに似ているなら十分か?
作品の本質としてクリスティらしくはあったが、全体の視覚的な『イギリスらしさ』というのはやはり難しい。妙にもったいぶったどん臭いイギリス的印象は薄く、颯爽とテニスをするM・プポーがやけに眩しい(笑)。女性たちも絶妙にスタイリッシュで、やはりおフランスな感じ。とは言え、映画としてイギリスの模倣をしたかったのではないだろうし、余り気にするべき箇所では無いだろうな。
変な話だが、私はこの映画で、あの懐かしの佐野史郎演ずる『冬彦さん』を思い出した(笑)。いやいや違う、久し振りに、アガサ・クリスティーに首まで浸かりたい気持ちになった。
ぽすれん『ゼロ時間の謎』紹介
監督:パスカル・トマ
原作:アガサ・クリスティ
脚本:フランソワ・カヴィリオーリ/ナタリー・ラフォリ/クレマンス・ドゥ・ビエヴィーユ/ロラン・デュヴァル
メルヴィル・プポー/キアラ・マストロヤンニ/ローラ・スメット/ダニエル・ダリュー/アレサンドラ・マルティネス/フランソワ・モレル/クレマン・トマ/ジャック・セレ/ザヴィエ・ティアム/エルヴェ・ピエール
資産家の青年ギヨームは妻キャロリーヌと共に、叔母カミーラの別荘へ毎夏恒例の滞在をする。そこにはなぜか、ギヨームが呼んだ元妻オードも来ていた。離婚によって不安定になっているオードを気遣う為にと、彼女と親しい親戚のトマも呼び出された。近隣のホテルには、カミーラの古くからの友人で著名な弁護士トレヴォーズ、キャロリーヌの友人で怪しい雰囲気のフレッドなどが宿泊しており、なぜだか不穏な空気が漂う屋敷を心配する、カミーラの使用人マリ=アドリーヌもいた。そんな中、以前から心臓の弱かったトレヴォーズがホテルで亡くなり、マリ=アドリーヌの予感が的中したように思えたのだったが・・・。
中学生だった私を、ミステリの世界に引き込んだ張本人アガサ・クリスティ。『そして誰もいなくなった』を読んだ時の、重厚で感極まるような読了感を超える作品は今もまだ無い。と言っても、読書の楽しみに目覚めたばかりで、面白い作品を求めて、有名作家の作品を手当たり次第に読んでいた頃のことだ。例えばこの時に、エラリー・クイーンかはたまたG・K・チェスタトンなんかを読んでいたとしても同じように、『天才があたしの手の中にいる!』と大袈裟な感動をした事だろう。
いずれにしろ、私の浅はかな経験値に抉るような跡を残したクリスティ。当時はほとんど崇拝していたので、クリスティの過度な『女性らしさ』というものにはほとんど気が付かなかった。
そんな訳で、この作品を観て改めて、クリスティの『過度な女らしさ』を思い出した。この映画は、クリスティの多分にロマンチストな要素が大きく反映された作品だったと思うのだ。原作の方は未読なので、これがどれほど原作に沿っているのかは判断不能だが、事件全体としては、その『女性的要素』も含めて、クリスティらしさは十分に活かされていたと思う。
それにクリスティに関しては、この『女性的要素』が重要なのだ。だからこそ、女性ファンも多いのだろう。メロドラマとミステリが交じり合ったような作風だが、ミステリに関しては世界が認める一級品だ。メロドラマも十分に読ませる力量で、ミステリにおける色恋沙汰を、これほど『ソープオペラ的』に仕上げた人も類を見ないだろう。それこそが、クリスティらしさの真髄と言えるのかも。
と言う事を、この映画を観て改めて思った(笑)。要するに、良く出来ている映画なのだ。事件がなかなか起きないところも結構ドキドキさせてね(笑)。一堂に会させての鮮やかな推理・・・は、まぁ、ボチボチという感じなのだが、心理的要素を複雑に利用した展開はお見事だと言える。
その心理的要素を考えつつ、全ての結末を知った後にもう一度見直してみると、M・プポーが不気味なぐらいに秀逸な演技をしている事が解るだろう。M・プポー演じるギヨームの持つ二面性を、実にさり気なく気味悪いくらいに表現している。二度観れば、全く違ったギヨームを通して、作品も全体的に、違った見方をして楽しめると思う。
そしてそのギヨームを通して、必然的に二面性を表す事になるオードを演じるC・マストロヤンニ。マルチェロ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーブとの娘だそうだが、ちょっと笑ってしまうぐらい父親にソックリ。母の血は、血はどこに!?いやでもでも、マルチェロ・マストロヤンニは名優であると同時にかなりの『美男子』だった訳なので、それに似ているなら十分か?
作品の本質としてクリスティらしくはあったが、全体の視覚的な『イギリスらしさ』というのはやはり難しい。妙にもったいぶったどん臭いイギリス的印象は薄く、颯爽とテニスをするM・プポーがやけに眩しい(笑)。女性たちも絶妙にスタイリッシュで、やはりおフランスな感じ。とは言え、映画としてイギリスの模倣をしたかったのではないだろうし、余り気にするべき箇所では無いだろうな。
変な話だが、私はこの映画で、あの懐かしの佐野史郎演ずる『冬彦さん』を思い出した(笑)。いやいや違う、久し振りに、アガサ・クリスティーに首まで浸かりたい気持ちになった。
![]() | ゼロ時間の謎 (2008/06/04) メルヴィル・プポー 商品詳細を見る |
ぽすれん『ゼロ時間の謎』紹介

















最近のコメント